津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■熊本史談会12月例会の御案内

2022-12-06 08:31:48 | 熊本史談会
                        記
 
          期日:令和4年12月17日(土)午前10時~11時45分
          場所:熊本市民会館 第6会議室
          演題:清正公さんの夢の具現に努力した男の記録
                   「御大工棟梁善蔵より聞覺控‐第二回目」
          講師:熊本史談会会員、「サイト・肥後細川藩拾遺」主宰
                               眞藤國雄             
 
          一般参加自由:
                  参加費 500円を(資料代を含む)申し受けます。
            資料準備のため事前にご連絡をお願いします。電話(  090‐9494‐3190 眞藤) 
            尚、開会前に当会例会を催しますため、入場は9:50頃からと致します。
            又、当日はコロナ対策の爲、マスクの着用とご記名をお願いいたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 不肖津々堂が「御大工棟梁善蔵より聞覺控‐第二回目」をお話しすることになりました。
一度では終わらないなと思い、運営委員会に「二度で」とお話しておりましたので8月に続いてのお話です。
一度目はとりとめのないお話でしたが、今回は資料8ページを順に追って御話しようと、又資料に目を通しています。
少々体力も落ちて、以前のような活動もなりませんし、最後の講演のつもりで臨みたいと思っています。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■旧・金屋町(紺屋町3丁目)

2022-12-06 07:06:17 | 熊本

 熊本地名研究会編の「くまもと城下町の地名」を読んでいたら、「金屋町」という項が立てられている。
知らない名前がまた出たぞと思い説明文を読むと、紺屋町3丁目の一部を指すとある。
その名前は全国に10数か所あり、そのほとんどが川沿いにあると説明されている。
渡し場に由来するのではないかと、編者は言われるが、名前がぴったり来ない。
ぐぐってみると、熊本市南区城南町に金屋町が存在するが、ここも川沿いである。渡し場があったかどうかは定かではない。
船場町からやや喰い違いになるが、紺屋町1・2・3丁目と一本道で清正公の町割りから現在まで変わっていない。
そして白川右岸の川岸に下りる石段があった。慶長五年にはやや上流部に「長六橋」が架けられた。
大きく蛇行する白川の右岸は広い河原で下河原とよばれ、金屋町から川岸へ石段で降りると処刑場があった。
磔付けの刑や、火付け犯の火あぶりの刑が執行されたとの記録が残る。
そんな場所だが上流部には上芝居懸り、下流部には下芝居懸りがあって、日ごろは庶民の芝居見物で賑わった。
私はそのあたりの文書を所有しているが、それが下の図、よく見ると上の方に「金屋町構口」の書き込みが見える。
罪人は馬に乗せられて引き廻しされ、高麗門から新町・法華坂・二ノ丸・京町・瀬戸坂・坪井・上通・下通・唐人町・細工町それから石塘口へ廻り川に沿って構口へ向かった。
磔付けや火炙りの刑は、鎌田浩氏著「肥後藩の庶民事件録」を見ると結構多かったらしい。
いつの時代も物好きは多いもので、長六橋のうえには是を見ようと多くの人で埋まったらしい。
そんな暗い時代を共にした古い町名だった。

    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする