左手が京町、右下が京町からのいろんな坂が下りてくる通り
日本地理院地図から(縦横比3:1)
熊本史談会終了後、会場である熊本市民会館内のレストランで5~6人の人で食事をするのが通例になっている。
ざっくばらんな話が出て面白い。
今回はある人が、「京町の雁木坂に至る道の中程に友人がコーヒーラウンジを開店した」から、機会が合ったら寄ってほしいと仰る。
地元京陵中学出身者が、「雁木坂?知らない」と仰る。「味噌屋さんの脇の道だ」と仰るから漠然とその道は理解できる。
「梯子坂」ではないのかと思ったのだが、よく判らないまま終わってしまった。
帰宅するバスの中で、スマートホンで検索してみると「鴈木坂」がある。私が「梯子坂」と認識していた坂だ。
これは私の認識違いで、「雁木坂」が本当で「梯子坂」は別名らしい。
いずれにしろ凄い高低差を一気に解消するため(190mあたりから)の石階段だ。
本妙寺の浄池廟前の石階段を「胸突き雁木」というが、言葉に厳しでご紹介したように、「雁木」について重賢公は私たちの認識とは真反対な事を仰っている。
上の会話をしたときに出てきたことだが、東北では雪除けの為に作られた通行の供する軒下をそう呼んでいる。
重賢公の認識とは異なり言葉の多様性も色々である。
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追記 19日07:40
京町にお住いのブログ「徒然なか話」の主催者様が、わざわざ現地に足を運んでいただいたようで、19日のブログに雁木坂を詳しくご紹介下さった。
この坂を下るとアパートの敷地内ではないかと思わせる道が県道・熊本ー田原坂線にでる。
そしてこれを突切ると本妙寺へ至る一本道でである。
加藤清正公をお祀りする本妙寺は、かっては参詣者でいつも賑わっていたというから、すごい急阪ながら鴈木坂のの有るこの通りも参詣の為のメインストリートであった。
私が「梯子坂」と承知していたこの坂は、まさしく梯子に例えられるような急阪である。
京町から県道へとつながるこの道、果たして現代では幾人の人が通られるのだろうか。
ずいぶん昔、西方寺坂を下り県道へ抜けたことがあるが、この坂を眺めて「恐ろしく急な坂だな」としばし足を止めたことを懐かしく思い出した。もう3~40年も前の事である。