津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■師走かな

2022-12-01 10:45:00 | 徒然

             植木屋のハサミせわしく師走哉   津々

 11月は大変温かく下旬でも夏日が数日在りましたが、師走に入ったとともに急な冷え込みで慌ててヒートテックのインナーを着込みました。
私が住む町の御近所には、もともとは農家であったろうと思われるお宅が数件あります。
周辺にはマンションが建ち、新興住宅地が広がりますがもともとこれらの土地の地主さんではかいか
と思われます。
散歩に出ると、植木に囲まれたそんなお宅では、植木屋さんが入って正月を迎える準備が始まりました。
何時もと変らぬ近所の静けさの中に、植木屋さんのハサミの音が聞こえました。
今に時代、重機が入ったり電動ハサミ?を使ったりと、随分様変わりしている植木屋さんです。
しばらくあるくと、石たたきが一羽少々流れを作っている水無川の石の上を忙し気に尾羽を動かしていて歩き回っていて、「おまえさんも師走かい」と思ったことでした。

熊本の紅葉はまだまだという感じ、此の冷え込みで紅葉も足早に進むことでしょう。
それでもケヤキ並木の道では、風に吹かれて落ち葉が乾いた音を立てて走り回っています。

             店先の落ち葉を掃けば又落ち葉  津々

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■御侍帳・家紋から考える(63)

2022-12-01 08:44:09 | 家紋

                               一時不手際にて説明文が削除されておりました 。お詫び申し上げます。12:11再掲

                           

            新・肥後細川藩侍帳「し」の部

生源寺助之允は、樹下氏一族【青龍寺以来】(南東51-5)生源寺 市家の9代目・角平(助之允)。
     初代は田邊城に籠城した樹下大炊介である。家紋は「丸に山の字紋」「隅切り立角に左巴紋」 

庄村五郎右衛門は、【丹後以来】(南東51-9)庄(荘)村省三家の8代目・新平(五郎右衛門)か?、家紋は「四つ石紋」

重田九一郎は、御船頭 (南東58-22 船)重田九一郎家の6代目。家紋は「梅鉢紋」     

嶋永重蔵は、       不詳          家紋は「三つ菱紋」

            新・肥後細川藩侍帳「ひ」の部

平野九郎右衛門は、北條氏、相模二郎時行を遠祖とする(南東53-1)平野九郎太郎家、代々九郎右衛門の名乗りで人物の特定は出来ない。家紋は「三つ鱗紋」
平野七兵衛は、同上分家、(南東53-2)平野七角家の4代目、家紋は同上。
平野作大夫は、同上分家、(南東53-7)平野弥平家の6代目、作大夫(善左衛門)。家紋は同上。

平野太郎右衛門は、太郎左衛門の誤植か?、(南東53-13)平野 大家、代々太郎左衛門を名乗り人物の特定は出来ない。家紋は「陰隅切り立角紋」
平野軍次は、同上一族(南東53-25)平野嘉門家の4代目、家紋同上
平野太源太は、同上一族(南東53-20)平野甚九郎家の6代目、家紋同上
平野源吾は、同上一族(南東53-24)平野角蔵家の4代目、家紋同上
平野藤助は、同上一族(南東53-9)平野太郎四郎家の4代目。家紋は「三つ角紋」?  

平野十郎右衛門は、(南東53-19)平野膳内家の7代目・傳太郎(養子 十郎右衛門・十郎)。家紋は「蛇の目紋」  

尾藤多賀丞は、尾藤知宣の息を初代とする(南東53-3)尾藤閑吾家の7代目・波枝(多賀丞)。家紋は「違い鉞紋」「桔梗紋」 
      比着座、留守居番頭、番頭、佐敷番頭、留守居大頭を勤めた。

尾藤市左衛門は、同上分家、(南東53-4)尾藤九平家の8代目。家紋は同上。

尾藤九郎兵衛は、【丹後以来】(南東53-10)尾藤友雲家の7代目。家紋は「隅入り平角に六曜紋」  

平井貞之允は、(南東53-5)平井清九郎家の7代目で400石、何が理由か判らないがこの代に御家断絶10代目に至り再興し五人扶持、家紋は「丸に■文字紋」「五つ木瓜に桔梗紋」  
平井丹左衛門は、同族、(南東53-26)平井井平家と思われるが該当年代に名前が見えない。家紋は「丸に■文字紋」「竹輪に■紋」

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