津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「奥田権左衛門家由來記」を読むー2

2022-12-13 15:25:18 | 先祖附

      

                              家居屋敷も狭く不残の居住難成候ニ付以前の下屋敷を
          拝借願有之候得共相濟不申右下屋敷の隣に明屋敷の
          有之候を拝借被仰付候ニ付城善兵衛其外の家来も此所に
          少々は引移候由権三郎十五歳ニ而知行無相違被為拝領
          候上ニて右拝借屋敷直ニ拝領に相成其後南隣岡島頼左衛門
          病死跡上屋敷嫡子十五歳未満ニ付被召上又其後北隣の屋敷南隣屋敷
          添屋敷に奉願一ト屋敷に相成 按田壽助享保十七子年十三歳ニ而奉公に参元文四未年迄二十歳に
                なり候迄勤候由其内ニ南隣の添屋敷ハ按田十六七の比北隣の添屋敷ハ夫より
                ニ三年もいたし候而添屋敷相済候由此間ニ放生会の節馬も弐度出候由按田咄有之
            此屋敷前今ニ丁幅廣く有之候は権左衛門屋敷の
          節廣クなり候■聞傳候ニ付按田に承候處権左衛門

          拝領已前より只今之通之由今平野太郎左衛門屋敷前也此屋敷権左衛門
          替相後又々元之通に割南北の添屋敷も夫々ニ拝領

          屋敷相成候由 右屋敷より年経帝(て)塩屋町御堀端の
          屋敷ニ替相引移候 今溝口蔵人屋敷也御客屋裏の屋敷也
            此屋敷にて権左衛門正英は乱心にて御知行家屋敷并
          手取の拝領屋敷も一同ニ被召上此拝領屋敷には城善兵衛其外之家来召置候ニ付
          貫家弐間ニ七之間の本家九尺に弐三間の掘立長屋冠木門有之
                候由八木田新右衛門咄有之候
            此添屋敷被召上候後直ニ八木田政之助ニ被為拝領候由右
          政之助数年居住にて沢村弥平太と替相に相成候由
          八木田新右衛門政之助嫡子咄にて有之候   

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■御侍帳・家紋から考える(66)

2022-12-13 07:21:45 | 家紋

         

           新・肥後細川藩侍帳【せ】の部


関 惣左衛門は、(南東24-21)関 慎三家の5代目・寿太郎(惣左衛門)。家紋は「隅きり平角に橘紋」

関 左市は、(南東55-22)(南東24-24)関(大津山)孫弥太家の7代目・左市(孫兵衛)。家紋は、「九目紋」「   」

関 郡馬は、同上分家か、(南東55-23)(南東24-25)関(大津山)安家の5代目・群馬 名は經貴、九郎左衛門と称す。各種の武技に通達す。
      藩に仕へて故実師役となる。家紋は「九目紋」「丸に三つ鷹の羽紋」

瀬戸角右衛門は、(南東24-18)瀬戸充太平家の7代・万平(養子 角右衛門)。家紋は「替り唐花・三弁紋」?

瀬川長左衛門は、(南東24-26)瀬川麟次郎家の7代目。家紋は「違い垂れ角紋」

瀬崎伊右衛門は、(南東24-19)瀬崎猪一郎家の6代目・右衛門か。家紋は「陰の桝紋」

薛 三蔵は、(南東64-112 *)薜(セツ)長蔵家の7代目、初代は明国人の薛少峯で医家であった。家紋は書かれていない。

           新・肥後細川藩侍帳【す】の部           

須佐美十右衛門は、(南東54-1)須佐美源五家の8代目。家紋は「毬挟み紋」「  」
須佐美は、 名前がなく不詳
須佐美は、 名前がなく不詳
                              讃岐国小豆島領主 
       須佐美紀伊守---+---甚太郎---権之允---+--半大夫・・・・・・・・・・・・・・・・・→太能家
              |          |
              |          +--源左衛門・・・・・・・・・・・・・・・・→源五
              |
              +---弥吉---九郎兵衛 ---+--清右衛門 ===九大夫・・・・・・・・・・→素雄家
                         |        ↑
                         +--四宮傳兵衛---九大夫

須崎伴太夫は、【丹後以来】(南東54-12)須崎休十郎家の7代目・伴大夫(伴助)で楠流軍学師範。家紋は「丸に二つ鷹の羽紋」「丸に中陰武田菱紋」   

住江次郎右衛門は【丹後以来】(南東54-4)住江甚兵衛家の10代・次郎吉(次郎右衛門)、長く番頭を勤めた。家紋は「丸に違い櫂紋」「松笠に折れ松の葉紋」   
住江角大夫は、同上分家、【丹後以来】(南東54-16)住江又八家の8代目直記(角大夫)、家紋は同上・  

住谷常之進は、御馬方(南東59-24 茶・鷹・馬)住谷一角家の5代目・冨記(常之進)。家紋は「三つ違い沢潟紋」「 不詳」     

末藤新右衛門は、(南東54-13)末藤新二家、同名乗りの人が多く人物の特定に至らない。家紋は「丸に唐花紋」

末松金助は、(南東54-18)末松勘次家の6代目。家紋は「中陰丸に片喰紋」

水津武内は、(南東60-29 一代御中小姓)水津彦之允家の5代目。家紋は「中陰丸に隅切り立角に水文字紋」

菅村七大夫は、【丹後以来】(南東54-14)菅村泉二家の6代目・権之進(七大夫・藤兵衛)、家紋は「梅鉢紋」

菅屋作大夫は、(南東54-22)菅屋又十郎家の5代目・兵助(作大夫・九右衛門)、家紋は「三つ丁子右巴紋」

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