「一人扶持」という言葉があるが、これは米が一人一日五合宛支給されることをいう。味噌も併せて支給された。
年360日、年間一斗八升にあたるが、俵にすると5俵である。
江戸時代中期迄は二食であったから、一食2.5合が食べられることになる。俸給制度として、家族が5人いるから必ず5人扶持が与えられたかというと、必ずしもそうは言えない。
切米と併せて支給されることが多い。
「江戸煩い」という言葉がある。扶持米は現米(当時は玄米とは表記されない)で支給され地方ではこれを白米として食するのは高禄の人に限られた。
処がある時代から江戸参勤をした侍たちが次々に病気になる。原因が判らないから治療の方法も判らない。
それでも江戸での勤番を勤め足を引きずりながらなんとか帰国することになるが、国許で玄米食にもどると病は快気した。
それゆえにこの病気を「江戸煩い」と称したが、いまでいう「脚気」である。
「江戸煩い」が発生した時期の江戸に於いては、国許では玄米食の者が江戸で白米食になったことによるといわれる。
現代においては多様な食事形態が有り、米の消費量はくらべようがないが、現代では「茶碗1杯に使われる米の量は0.5合(75g)程と言われる。二膳食べても一合だから、江戸時代三食になっても5合/3=1.66合だから、粗末な食事の中米で腹を満たしカロリーを確保していたと考えられている。
白米の時代になると脚気と共に糖尿病も多く成ったことだろう。
考えてみると、昭和の時代の「一汁三菜」の食事が、健康には一番良かったように思える。
糖尿病宣言を受けて、今しみじみと感じている。