津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■佐方さんと志方さん

2022-12-16 14:34:43 | 徒然

 どうも最近ボケがひどい。
細川家家臣・佐方家の事でちょっと調べ事をしようと思ったら、一生懸命志方家の史料を引っ張り出して調べていた。
流石に途中でおかしいと気が付き、思わず笑いが込み上げてきた。
佐方氏も志方も細川家の肥後入国に当たっては、三斎に随伴して八代に入った。

佐方氏は元諏訪部氏で、幽齋公の田邊城籠城の際には、三刀屋際監物孝扶が一族を引き連れての援軍と共に、総勢500人の軍勢で三成の15,000人を引き付けた。
佐方与左衛門も一族の者として三刀屋氏と行動を共にした。

禁裏の周旋により幽齋は田邊城を開城し、忠興の関ケ原に於ける勲功や幽齋の働きを含めて、忠興は豊前・29万石の太守となる。
豊前に於いては三刀屋氏もそれなりに遇されたが、大名としての立身を夢見た身として、ついには細川家を退去することになる。
一族の佐方氏は細川家に残った。与左衛門は三斎について八代に入り1,000石、嫡男は後宇土細川家に仕えて家老職を勤めた。
本藩にのこったのは二男・長左衛門である。300石取りで8代にわたり明治に至った。
ご子孫で郵政政務次官を歴任、その後ふじ自動車工業の副社長を勤められた、佐方信博氏は一族の記録「つづら文から」という自家版の著書を発行されている。


志方氏は赤松則祐五代孫・志方城主志方右衛門尉・繁広が天正六年織田信忠に攻められ落城・戦死した。
初代六助・之吉は2歳であったが、乳母に守られ脱出、縁者である丹波の赤井悪右衛門方に連越し、後丹後国長生院という寺で育ち17歳の時細川忠興に仕え、高麗陣にもお供し深手を負った。
関ケ原・大坂の陣にも出陣、その後は忠興と共に豊前入り、細川家の肥後入国に伴い三斎に随伴して八代に入った。

その嫡男が半兵衛元政(之政)、父に伴われて大坂陣に出陣首ニの高名をあげた。
八代にて1,000石、天草島原の乱に於いては、細川立允に従い出陣、当時京都にあった三斎に対し戦況を報告し続けた。
志方半兵衛言上之覚」である。三斎死去後、光尚に仕えた。
半兵衛二男を初代とする分家(志方軸人家)があり、2代目半兵衛之経は寺尾藤次の子で「二天流」師範となつた。代々二天流に関わった。

佐方氏も志方氏も、細川忠興(三斎)と深い関わり合いをもった。三斎の「八代藩」構想はその死により潰えたが、家老村上氏と共に三斎を盛り立てた。

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■正室はどのような経緯で決められたのかという疑問?

2022-12-16 07:29:59 | 徒然

なんでこのような一覧を作成したかというと、正室との婚姻の事情を何とか知りたいと願ってきたが、2代光尚や7代治年くらいしか判らない。
その経緯を知りたいと思っている。
そして、正室の錚々たる方々の出自が見えるが、残念ながらその血が受け継がれていないことが判る。これが大名の実態だという事が判る。

 歴代藩主と正室及び生母(幽齋・三齋は除外する)

   1、忠利 正室・徳川秀忠養女・千代姫‐法号・保壽院(実・小笠原秀政女)
        生母・明智光秀女・玉姫(ガラシャ夫人)

   2、光尚 正室・烏丸権大納言光賢女・彌々姫(生母・細川忠興女萬姫)
        生母・忠利正室

   3、綱利 正室・松平讃岐守頼重養女・久姫(実・水戸中納言頼房息女・水戸光圀実妹)
        生母・光尚側室・京都浪人志水道是女・吉 法号清高院

   4、宜紀 正室・なし
        生母・細川利重(新田藩主)側室 築山氏女・辨

   5、宗孝 正室・紀伊大納言宗直女・友姫
        生母・細川宜紀側室 鳥井八郎兵衛女・喜和

   6、重賢 正室・久我大納言通兄女・由婦姫
        生母・細川宜紀側室 岩瀬氏女・理加        

   7、治年 正室・(宇土細川家)細川中務少輔興文女・埴姫
        生母・金澤氏女・此井

   8、齊茲 正室・岩城左京亮隆泰女・八千姫
        生母・細川中務少輔興文側室薗氏女・久

   9、齊樹 正室・一橋大納言治済(11代将軍徳川家斉の実父)女・紀姫
        生母・齊茲側室・芳澤氏女・織衛

   10、齊護 正室・浅野安芸守齊賢女・益姫‐法号・顕光院
        生母・(宇土細川家)細川和泉守立之の正室・土井大炊頭利厚女・福
 
   11、韶邦 正室・一條左大臣忠香養女・峯姫(実・三條大納言實萬女) 昭憲皇太后義妹
        生母・齊護側室・比企氏女・美衛

   12、護久 正室・鍋島肥前守齊正女・宏子
        生母・韶邦側室・加藤氏養女・田鶴(実・深水氏女)

 

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