津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■山上三名字

2023-02-20 09:55:14 | 熊本

                                                

    これは熊本人にしか判らない言葉だが、熊本市西北部にそびえる金峰山周辺に古くから勢力を張った、田尻・内田・牛島三氏のことをいう。
この名字の人に出合ったら「もしや山上三名字の・・?」とお尋ねする必要がある。
田尻氏は後漢《帝》の後裔とし、阿智王の祠を岳村に祀り、大蔵氏・原田系の古い家柄で、肥後田尻氏もその別れだとされる。途中で豊後の緒方氏が田尻家に入ったため、大神氏をも名乗られる。
菊池氏と共に南朝方に属し、支配地の「嶽」地区には「岳の御所」があったと伝わる。

熊本史談会のO氏が現在、古文書「田尻善左衛門覚書」「山之上三名字ノ由来并覚書」「山上三名字伝」(上妻文庫)の読み下しをされている。全58頁に及ぶ膨大なもので一応の読み下しを終えられた。
判らない部分に目を通してほしいというご依頼を受けて、眺めているが、読み始めると大変面白い。
いろいろ忙しい身だが、古文書を読むという事は苦しいながらも大変楽しく、お預かりしている期限まで時間をやりくりして頑張っている。
刊行物からではなく、古文書からまた新たな知見を得るという喜びは代え難いものがある。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■「丁丑戦争日報」ー(5)

2023-02-20 07:29:04 | 史料

     坂本寓居保田窪
     宮近邊松本武市郎宅
     
      晴
      二月廿五日
       旧一月十三日
    ・今日浅井鼎泉内田
     敬次郎西京へ出立 立田

    ・昨日三丁目採蠟所
     焼失  立田
    ・北丘構拊ノ辺ニ薩
     人ゟ臺場ヲ築スル
     由 立田
    ・鎮台ヨリ京町
     津屋ノ米ヲ採ル銃
     兵ヲシテ出町口瀬戸
     坂辺ニ戦ハシメ虚
     ニ乗シテ米ヲ取
     タル由
     午後一時比城西兵


     營焼失ト見ゆる
     熊本■士ハ出町往
     生院へ屯集也
    ・此日
     日向佐土原大勢来テ        行政主導による参陣「西南戦争時における日向国民衆」
     薩兵ニ附従ス
    ・休焉殿大津苦竹          細川忠顕 

     之■古閑原村相馬         古閑原村=内膳家旧領地?
     宅宿居
    ・今日立田邸ニ一宿
     流民救恤ノ議アリ區
     長中路新之ト同宿

      晴
      二月廿六日
       旧正月十四日
     田中靖人六ヶ庄島
     渡ア■■宅
     河崎彦人傳吉ト
     云者ニ六根月遣ス
     舩廻之雇入我
          

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする