これは熊本人にしか判らない言葉だが、熊本市西北部にそびえる金峰山周辺に古くから勢力を張った、田尻・内田・牛島三氏のことをいう。
この名字の人に出合ったら「もしや山上三名字の・・?」とお尋ねする必要がある。
田尻氏は後漢《帝》の後裔とし、阿智王の祠を岳村に祀り、大蔵氏・原田系の古い家柄で、肥後田尻氏もその別れだとされる。途中で豊後の緒方氏が田尻家に入ったため、大神氏をも名乗られる。
菊池氏と共に南朝方に属し、支配地の「嶽」地区には「岳の御所」があったと伝わる。
熊本史談会のO氏が現在、古文書「田尻善左衛門覚書」「山之上三名字ノ由来并覚書」「山上三名字伝」(上妻文庫)の読み下しをされている。全58頁に及ぶ膨大なもので一応の読み下しを終えられた。
判らない部分に目を通してほしいというご依頼を受けて、眺めているが、読み始めると大変面白い。
いろいろ忙しい身だが、古文書を読むという事は苦しいながらも大変楽しく、お預かりしている期限まで時間をやりくりして頑張っている。
刊行物からではなく、古文書からまた新たな知見を得るという喜びは代え難いものがある。