津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■はたしていつの大小暦?

2023-02-14 17:07:30 | 歴史

以前ヤフオクに出品されていた大小暦である。
大の月(30日)が、三・五・七・八・九・十一とあり、小の月(29日)が正・二・四・六・十・十二とあり、いつの暦なのかはわからない。
1月から12月まで、「小・小・大・小・大・小・大・大・大・小・大・小」というのが、この年の組み合わせで、この組み合わせが又いつ出てくるか判らないのが大小暦の複雑さであり面白さである。
ただ、甲子とあるから、寛永元年・貞享元年・延享元年・文化元年・元治元年のいずれかのものであることが判る。
そしてこれは(文久4年・元治元年)の改元の年が該当する。日本の暦(大小暦)から
毎年暦の刷り物が贈答用に大量に刷られたというが、たったこれだけしか書かれて居なくても、大の月・小の月が判らないと商売人は月末の集金や支払いに支障が出来、お百姓さんは、季節を判断して苗床の仕立てや種まきや、雨の時期・風の時期などを判断したのであろう。
当然閏年が挟まり、一年が13か月になる年が生じるが、これとて、法則がある訳ではなく全く同じ配列の暦が見当たらないのは、見事とも思える。

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■一葉さんから梅子さんへ

2023-02-14 07:03:24 | 徒然

 「5000円札」の樋口一葉さんが、どうやら来年は「津田梅子さん」に取って代わられる。
5000円札を眺めながらふとそう思った。「桐一葉おちて、天下の秋を知る」という感じではある。 

 私は毎年の大晦日には、樋口一葉の「大つごもり」を読むことにしている。
お金に苦労したという一葉が、自分の姿を主人公に投影させ、ひねりにひねって考えた筋書きのように思える。
「年の暮れ、叔父を見舞った主人公は治療費が払えないことの相談を受け、やむなく奉公先の商家の金2円を盗む。
大晦日にはお金の締めが行われるため、露見を覚悟していた所、店の放蕩息子がやってきて残りの金をみんな持ち出した。」

そんな筋書きだが、お金に苦労した一葉さんの頭の中に妄想として在ったのかもしれない。

 何の本で読んだのか覚えがないが(終活で処分したか?)、一葉さんのこの名前の由来は、どうも桐一葉の話とは全く関係なく、どうやら「貧乏話」に由来するらしい。
何方かの死にあたり香典に窮し歌を託した?らしいが、「自分は達磨大師になり、弔おうにもおあし(銭)がない」とあった。(その歌については全く覚えていない)
つまり、「達磨さんは葦の一葉に乗ったまま、ときの皇帝にまみえた」という故事から、自分はおあし(お金)がなく「葦の一葉に座っている」という認識であったろうと解説されていた。真偽のほどはよく判らない。

 そうだとすると一葉さんの貧乏は悲しい。商家に勤めた女の苦しみが始まる。貧乏はいろいろ悲しい。

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