読み下しにチャレンジしていますが、読めない字(■)が多く御見苦しい限りです。
丁度そんな中、23日付けの「西郷隆盛の全軍に出した指令書」なるがメールで届きました。その読み下しに悪戦苦闘中です。
晴 夜陰
二月廿一日
旧二月九日
前九時比間島発足竹 午前九時ころ、間島(熊本市東区秋津町秋田)を発足、竹
宮ヨリ過保窪野店 宮(たけみや=健軍)より、保窪(保田窪?)を過ぎ野店で
一酌事 新南部・小関渡 お酒を飲む、新南部から小磧(おぜき)で(白川を)渡り
三時至立田祠堂一宿 三時に立田の細川別邸(現泰勝寺跡)御祠堂に至りて一宿す
熊本為破裂弾 熊本城下は破裂弾で
被焼昼終夜焔烟 焼かれ、昼・終夜共に焔烟(炎煙)が
漲天曉明後橋辺薩 天にみなぎり明五橋あたりに薩
人進撃有砲声 兵が進撃して砲声がある
晴
二月廿二日既
旧二月十日
前七時大小砲声■塁 午前七時大小の砲声■塁
焔烟漲天薩兵渡 焔烟(炎煙)天にみなぎり薩摩の兵が
子飼橋安政橋九時 子飼橋・安政(安巳)橋を渡り九時
既至寺原岩下 既に寺原・岩下に至る
西南祇山ヨリ四方池小 西南の祇園山(万日山)より四方池~小山田
山田本妙寺田端■■ 小山田、本妙寺田畑■■
辺薩兵悉■ あたりに薩摩兵が悉く■■
❍樋口列北丘ヨリ多 ❍樋口氏(細川邸の家扶=樋口定か)北岡邸より多・・・
(列=同志の意)
耒ル 来る
三姫君布田郷錦埜 (細川護久侯)の三人の姫君(喜寿・宣・志津姫)は布田郷錦野
村赤星廣克宅へ 村の赤星廣重(弘重)宅へ
御轉住 お転住になる(3月14日迄20泊) 熊本大学・三沢純准教授‐御姫様たちの西南戦争
日田藩兵三百斗■ 日田藩の兵士が300人ばかり■
小川ヨリ白川辺ヲ廻テ 小川より白川あたりを廻って
小関橋ゟ経塚ヲ経 小磧橋より経塚をへて
テ植木ニ至り援兵 植木に至りて援兵
ヲ迎撃ノ策ナルヘシ を迎撃する策なるべし
鎮城攻撃尤急ナリ 鎮城攻撃尤急ナリ
夜月入ノ比ヨリ城ニ女 夜月が入るころ城に女(がいる?)
ノ風評ニテ双方ノ との風評があり、双方の
砲声互ニ発曉ニ撤 砲声が互いに発し、暁に徹
シテ不止 ❍休焉殿ニ してやまず ❍細川休焉(忠顕=内膳家9代)殿と
對話曉五時ニ至 対話する 曉五時に至り
就寝 就寝する
陰
晴二月廿三日
旧正月十一日
攻撃手頻響飯後 攻撃の手が頗る響き、(朝?)飯の後
祠堂ヨリ引取津崎 立田の細川邸御祠堂を引き取り、津崎
新旧屋敷ニ至下 新(か)の旧屋敷に至る 下
田家共皆無恙 田家共皆つつがなく・・・