身は死せども霊は決して死せず候間「銃殺されたら、優秀なユウレイになって所信を貫くつもりに御座候えども、いささか心配なることは、小生近年スッカリ頭髪が抜けてキンキラキンの禿頭にあいなり候間ユウレイが滑稽過ぎて凄味がなく、ききめがないではあるまいかと思い、辛痛致しおり候。貴家へは化けて出ぬつもりに候えども、ヒョット方向をまちがえて、貴家へ行ったら禿頭の奴は小生に候間、米の茶一杯下さるよう願上候」
このような滑稽な文章を遺したのは、2:26事件(1936年‐昭和11年)で逮捕され後銃殺刑に処された、皇道派の磯部浅一主計大尉である。
彼の「獄中日記」にある8月14日の文章だが、一方次のような事も書いている。
余は日夜、陛下に忠諌を申し上げている、八百万の神神を叱っているのゼ、この意気のままで死することにする。
天皇陛下 何という御失政でござりますか、なぜ奸臣を遠ざけて、忠烈無双の士をお召し下さりませぬか。
八百万の神々、何をボンヤリしてござるのだ、なぜおいたましい陛下をお守り下さらぬのだ。
8月28日には
「日本もロシヤのようになりましたね」と言うことを(昭和天皇が)側近に言われたとのことを耳にして、私は数日間気が狂いました。
「日本もロシヤのようになりましたね」とははたして如何なる御聖旨かにわかにわかりかねますが、何でもウワサによると、青年将校の思想行動がロシヤ革命当時のそれであるという意味らしいとのことをソク聞した時には、神も仏もないものかと思い、神仏をうらみました。
だが私も他の同志も、いつまでもメソメソと泣いてばかりはいませんぞ、泣いて泣き寝入りは致しません、怒って憤然と立ちます。
今の私は怒髪天をつくの怒りにもえています、私は今は、陛下をお叱り申し上げるところにまで、精神が高まりました、だから毎日朝から晩まで、陛下をお叱り申しております。
天皇陛下 何というご失政でありますか、何というザマです、皇祖皇宗におあやまりなされませ。
磯部浅一は山口県の出身である。農民の出身だそうだが、私の先祖も「磯部氏」で下松に居住した毛利の家臣だったが、血族ではないことはお断りしておかなければならないが、何となく親近感を持つのである。
この「獄中忌」をよむと、「一途」という言葉が一番似合いそうな「稚気愛すべき」人のように思える。
銃殺されるときには「天皇陛下万歳」は叫ばなかった。