かって白川には、二ノ井出の水を取り込んで花畑邸に送り込んだ木樋が横断していた。
いわゆる水道橋だが、場所を記す資料は見受けられるがその詳細をまだ知らないでいる。
その経路は白川を横断すると追廻田畑の低部を通って花畑邸の東側から入れ込まれたものと考えられる。
江戸のお茶の水の水道橋(懸樋)みたいな上等なものではなかったかもしれないが、それに類似する設備が白川を横断していたのだろう。
但し、長さはもっとあったろう。
歌川広重 東都名所‐お茶の水の図 同左模型(左右逆か?
このお茶の水の「水道橋」懸樋はサイホン式だと聞くが、白川は自然勾配の落下型とはとても思えないし、それとてサイホン式とも思えない?二ノ井で側で水車でも使ったのだろうか。
一方追廻側の方はどういう設備があったのか、水道自体は「水道町」の名が残る様に、その敷設技術は確かなものであったろうから、木樋の埋設管などで取り込んだものと思われる。
詳細を知りたいと思うが、資料の存在さえ知り得ない。ご存知の方がおられればご教示賜りたい。