津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■東北東微東

2024-02-03 08:24:43 | 徒然

 節季分れの今日は、豆をまいたり、恵方巻を食べたりとお忙しくなさるお宅も多いことであろう。
今年の恵方は「東北東微東」なのだそうである。
東北東より「微かに東」というのが曲者だが、私は起き掛けに東向きの私の部屋からその方向を眺めて手を合わせた。
恵方詣りとは参らぬのでこれにて一件落着としてお許しいただきたい。
豆まきは室町時代、一方恵方詣りは11世紀初頭までさかのぼるとのことだが、私はとんと知らなかった。
恵方巻に至っては熊本に於いては近年のことではないのか?
いささか商業ベースに乗った感もあるが、こういった日本の風習が後々まで続いていくことは結構なことだ。
明日は立春、春とは名のみでしばらくは寒さが続きそうだが、能登地方には一日も早い春の訪れを願うばかりである。

      

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■風説秘記・2

2024-02-03 07:02:36 | ご挨拶

一同年(文化元年)七月阿高村ニ在宅し居る廣瀬安之允妻手討之事
 安之允出府の留守に兼々出入する隣村の百姓鳥目のかゝり有けるか来りて盆前故右之銭遣候様二云 妻云けるは今日
 ハ安之允出府し其上一銭も無れハ暫待呉候へと断けれと一切不聞様二及悪口何分差置ぬ次第なればそれとなく
 座を立次の間二有脇差を取て脇二引付彼者か不知様二て本の座に来りしに猶ニ悪口募る故左様ニ慮外の事
 申ならハ覚悟致候得と云しかハ覚悟とは何事ぞときせるを取既に手向すへき勢也 廣瀬妻爰ニては斬損することもあ
 らんと思ひ妹を呼何となく用事云付ける内彼者少之気■二て烟草を吸付候処を抜討に斬る 首を斬られなからあつと云て
 立上んとするを同所に斬付たり されとも女の手二てニ太刀共ニ浅かりしけれハ立上り向ひ来るを足を拂はゞ倒れんと思ひ
 右之足を斬けれハ其侭倒なから猶這懸んとするを左の手首を打落し又右の指を打落しけれハ其時打■せしを
 直ニ留を刺ぬ 扨早速熊本ニ人を立安之允ニ知せ近所在宅人ニも告知せけれハ各馳行中本庄角太も近隣故行けるに顔
 色も平日のことく段々の次第太刀筋等を語るに前後審にして泰然たる躰也 安之允儀致出府居候間私儀女の事
 二付気付不申儀も可有御座候 万端被附御心被下得と挨拶せしと其節安之允頭境野加十郎此手打討の次第を聞
 大ニ悦ひ安之允ニ紙面を贈て云 古へ阿蘇家の臣何某の妻夫の留守に薩摩勢を防て敵を討取甲斐/\敷働
 有しとなん其後は如妻女事更ニ不承及と大ニ称誉しける

   (尚、本庄角太とはニ天一流を収めて著名な柴任三左衛門(2代目・本庄(柴住)角兵衛の弟)を輩出したお宅の8代目である。)

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     ■ 廣瀬 新 (東南53-28) 【代々御中小姓】
    1、杢之助  
       原城にて武功之面々御褒美被下候--黄金一枚袷単物帷子五宛(綿考輯録・巻四十九)
            (1)御小姓組 三百五十石  
            (2)御買物奉行衆 五百五十石 (真源院様御代御侍名附)
            (3)五百五十石 (真源院様御代御侍免撫帳)・・杢
            (4)沢村宇右衛門組 御物奉行 五百五十石・・杢介
    2、安右衛門(養子 実・益田弥一右衛門甥-岡本伝十郎)
       岡本伝十郎  有馬之役武功被賞--寛永十五年九月朔日
                 白銀十枚単物帷子三 益田(本丸一番乗)と一度ニ乗込火之手揚る
                                            (綿考輯録・巻四十九)

              沢村宇右衛門組 五人扶持 (寛文四年六月・御侍帳)
    3、五郎兵衛   御側物頭衆 御鉄炮十五挺 三百五十石 (御侍帳・元禄五年比カ)
    4、梶之助
    5、五郎兵衛
    6、杢之允
    7、一(安之允・杢之助)
    8、保  組附御中小姓・横山藤左衛門組 五人扶持十石
    9、牛之助(新)  五人扶持

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