6、明和六年七月 久武権之助仝金吾手討 宜敷トテ御褒詞
上田卯助組 久武兵助嫡子久武権之助・二男金吾
(この記事については過去■明和六年七月十日、坪井報恩寺にてでご紹介している。我が家の親戚に関わる記事でもある。)
7、安永三年八月 佐藤右衛門八手討
志水三治兵衛組佐藤三郎右衛門養弟佐藤右衛門八儀一昨四日用事有之松橋村江罷越候而夜ニ
入罷帰候処下益城河江手永浦河内村際を唄をうたい通候處村中ゟ稠敷咎メ申候ニ付
道筋唄をうたい候儀何も妨ニ成候事ニ而も無之候ニ付構申間敷申し聞候得とも色々悪口仕候
(小文字ニテ挿入)
二付不届ニ存候段申聞候処大勢罷出 〇相待居候處声をかけ候間待居候処棒■参仕先ニ進ミ候者 棒を打懸候
はつ/\(古語・かすか)
二付者川/\ながら抜打仕候得は手を打落シ面跡ニ懸ヶ深手ニ負せ申候 其外ニ手向仕候者
有之候 其夜吟味仕候得とも相分不申候ニ付翌五日浦河内村江罷越吟味仕候處理右衛門と申者之
由ニ而止メ指申候事
8、安永三年八月八月廿ニ日 荒瀬(牧か)忠次手討
西山大衛組牧忠治儀宇土郡浦手永里浦村ゟ在宅仕居申候 荒瀬文次郎隠居荒瀬秋蛍儀も右
忠治近所ニ在宅仕居申候 秋蛍儀は忠治実兄ニ而御座候 秋蛍妻ハ文次郎方へ幼年之孫共居申候
二付一所に在罷折々秋蛍方へ罷越申候事ニ御座候 然処當月十九日秋蛍妻在宅所江参居候 去ル廿二日忠
次宅江罷越彼ノ方ゟ帰り候節屋敷内ニ而嫡女か免後ゟ切懸申候 既二殺害仕候と相見候ニ付忠次儀娘ヲ
早速打放候 左候而秋蛍妻を郡浦村江居申候醫師江口玄球松倉村江居申候江本多仲右両
人を呼療治仕せ手疵之様子吟味仕候得は長サ五寸深サ六分程之儀二而命分ニ懸り申候程之儀二無御座候
追々快方ニ相成申候由ニ御座候 右か免當年廿七歳罷成申候 秋蛍妻に對し何ぞ意趣ヶ間敷儀
無御座候 右之通儀二御座候得は病乱之様子ニ相見申候由忠次親類中ゟ申聞候段牧才次郎ゟ相達候ニ付則
昨日御奉行所江持参相達置申候事
9、安永三年十一月廿日 永井七十郎手討不首尾 扶持方召上ゲラル
平井貞之允組国武十之進■(舅か)永井七十郎儀當九月十九日之夜田迎手永出中村(出仲間)ニ而田中又助組
屋敷居申候太平次と申者打放申候 始末不宜候ニ付御合力御扶持方共ニ被召上候 依之十之進伺有之
一日扣有之候事
十一月廿日