津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■不夜城出現

2024-02-15 08:14:09 | 熊本

 誠にローカルな話で恐縮だが、我が家から直線距離で300メートルにも満たないところに、4,000㎡を超える24時間営業のスーパーストアなるものが昨日オープンした。
土地の造成から建築の一部始終を我が家から数か月眺めてきたが、オープンの運びになると周辺にある大型店舗に大いに影響が及ぶのだろうといらぬ心配をしたりもする。
屋上も含め350台ほどの駐車場が開店前からごった返している。周辺道路は大渋滞をきたしている。
そんな状況を眺めながら、あと2週間ほどで卒寿を迎える奥方は、わさもん振りを発揮して出かけて行った。
歩いて10分もかからないところにこういう施設ができると住環境としては誠にありがたく、すぐ横には12階建てのマンションが2棟建設中でもある。
熊本市の人口分布に於いても随分東区の比重が大きくなりつつある。

    

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■二代目さんご活躍

2024-02-15 07:24:43 | ご挨拶

 我が家の2代目さんが活躍したのは綱利公の時代である。参勤にも4~5度御供をしているし、代参を命じられたり中々頑張っている。
そんな中、綱利女・光姫の嫁入り道具調達に走り回った。
綱利夫人は家康の孫娘、つまり松平讃岐守頼重養女・久姫(実ハ水戸中納言頼房息女)だから、光姫は家康の曾孫として、その結婚は華やかなものであったろう。
お相手は徳川家臣としては筆頭格ともいえる家柄の「左衛門尉酒井家」(荘内藩主)6代目の酒井忠眞である。

我家の先祖附には「元禄二年巳二月十五日より光姫様御祝言ニ付而 京都江戸ニ而致出来候 御道具支配人被仰付江戸へ被残置候(以下略)」とある。
光姫は寛文八年(1668)戌申正月十九日江戸に生まれている。酒井忠眞に嫁いだが、元禄九年(1696)丙子十一月十六日に亡くなっている。
年二十九歳。僅か九年の結婚生活である。

 

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