津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■再度「手討達之扣」・(1)

2024-02-06 06:59:50 | 史料

ちょうど十年ほど前に■手討達之扣・目次をご紹介しているが、随分多くの手討事件があったことが理解できよう。
その事件一つ一つについては余りにも生々しく関係するお宅のことを思うと簡単にご紹介することは控えてきた。
今回、その内容を吟味しながらご紹介していこうと思いいたった。
「手討達之扣」とは、手討をした者、または関係者から提出されて書面の「控」であるが、その内容について■手討達之扣・緒言
目次の前に紹介されている。

届けられた事件が、すべてが正当な行為として認められたものではないことは当然で、行き過ぎた行為については其れなりの処分が
あったことを、申し添えておく。

目次を追って順次ご紹介する。ただし過去にご紹介したものは、その旨を表示することとする。

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1、宝暦六年 星野庄右衛門手討
   上田新兵衛組星野庄右衛門儀在宅ゟ致出府途中楠木丁ニ而御駕子之者難差通子細有
   之討果申候 依之其節之趣委細書付を以今日奉行所江相達申候 尤庄右衛門儀在宅仕居申
   候段申達置候処先刻御奉行所ゟ紙面ニ而庄右衛門儀在宅ニ不及候条沙汰候様二と申来ニ付
   庄右衛門へ及沙汰御請相済候由申■候事
      閏六月廿ニ日

2、同十一年三月 米田太次郎手討
   津田平助組米田又左衛門育之浪人米田太次郎一昨夜平原村百姓加右衛門と申者難差通
   有之討放申候 依之其節之趣委細書付を以昨日御奉行所江相達申候 太次郎・又左衛門儀在宿
   仕居候段をも相達置候処先刻御奉行所より紙面ニ而又左衛門・太次郎在宿仕慎居候ニ不及旨
   申来候事
      三月廿九日

3、宝暦十二年  鎌田小平太手討 十三歳
   (この事件に関する記事は
二度の手討ち事件でご紹介した。二度目の事件では切腹させられている)

4、明和元年十月 永井弥五郎妻手討
   志水三次兵衛組永井弥五郎妻召仕候下女難差通儀二付十月四日之暁致手討候段弥五郎覚書
   達有之候

5、明和三年二月 米良左源次手討
   小笠原斎組米良勘兵衛弟米良左源次儀二月十日用事有之下益城郡岩下村江罷越井芹儀
   三太宅江立寄申候処三太門前出小屋前二而何方之者とも不相知致慮外候ニ付不届之様子申聞
   候得とも不致承■悪口いたし其上可致手向程之躰ニ相見え至極難差通有之候故討放申候
   右之者鬢躰衣類之様子小者風情と相見申候得とも脇差を帯袈沙取を懸居申候由ニ而
   右之趣勘兵衛他委託ゟ出府いたし翌十一日相達申候ニ付勘兵衛・左源太共ニ在宅ニ而慎居候様
   二と申聞置尚又得斗承繕同十一日御奉行所江罷出其段相達置候處勘兵衛・左源次共に
   在宿慎居候ニ不及旨即夜御奉行所ゟ申来候事

  (なおこの事件については風説秘話・9(米良左源次)に於いても触れられている)  

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