津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■手討達之扣-(11-2)

2024-02-23 09:28:34 | 史料

             緒方平兵衛
  右平兵衛儀弟緒方定八郎儀當七月二十七日玉名郡内田手永江田村居住地士松本嘉吉弟信平江
  及刃傷討洩候始末平兵衛書付相達被置候 然處其場ニ携候同村安右衛門手前遂穿鑿
  候處安右衛門儀其節宿元江罷在嘉吉方喧嘩之様子ニ而聲高ニ有之候ニ付容メ可申と臺所口ゟ
  入 込ミ候處勝手の間ニ而安右衛門参候■下信平儀定八郎刀を捩取投遣り猶又脇差をも取投遣り其刀
  邪魔ニ成候間脇へ寄せ呉候様安右衛門江信平申聞候ニ付刀を取脇二差置候處定八郎手懸有之候 菜切り包
  丁を取り信平額江切懸候ニ付信平直ニ迯出候を定八郎信平指料之刀同間障子之際二有之候ヲ取
  追馳左候而無程定八郎立帰り留森岡之允同道ニ而定八郎大小ヲ渡候様安右衛門江申聞候ニ付大小ヲ取
  差出候 右之通ニ而定八郎を抱留候儀は曽而無之段安右衛門申出平兵衛書付之趣と不致符合候次第今
  一應定八郎手前得斗承糺委細書付を以達有之候様平兵衛江可被有御達候段可申達旨御用番
  被申聞候 以上
     九月

      口上之覚
  私弟緒方定八郎儀當七月廿一日玉名郡内田手永江田村居住松本嘉吉御弟松本信平江
  及刃傷討洩候始末之儀委細書付を以御達仕置候通ニ御座候 然處其場ニ携候同村安
  右衛門手前御穿鑿被仰付候処私ゟ御達仕候書付前と右安右衛門申出候趣符合不仕候
  二付今一應定八郎手前委細承糺御達仕候様御達之趣奉得其意候
 一右御達之書付安右衛門申分其節安右衛門儀宿元江罷在嘉吉方喧嘩之様子ニ而高声有之候付
  宥メ可申と臺所口ゟ入込ミ候処勝手の間二而定八郎信平取合有之
     此儀勝手之間二而は無御座候右嘉吉親順斎調合之間二而御座候
 一定八郎は抜身を持信平は無刀ニ而居申候由
     此儀其通ニ而御座候
 一安右衛門参候即下信平儀定八郎刀を捩取投遣り候と御座候
     此儀投遣りニ而は無御座候 先達而御達仕候通信平捩取安右衛門江相渡申候
 一猶又脇差を投遣り候と御座候
     此儀其通ニ而御座候
 一其方邪魔ニ成候間脇江寄呉候様安右衛門江信平申聞候ニ付刀ヲ取脇江直置候処と有之候
     此儀は左様申候ニ而も可有之哉急場之儀二付覚不申候信平投遣り取安右衛門江慥ニ相渡候事
 一定八郎儀手懸りニ有之候菜切包丁を取信平額二切懸候ニ付信平直ニ迯出候と有之候
     此儀は先達而御達思想労本書之通ニ御座候
 一定八郎儀信平指料之刀同間之障子際二有之候を取追懸候と有之候
     此儀は同間二テは無御座候 次之間二有之候刀ニ而御座候
 一無程定八郎立帰り候と有之候
     此儀信平指料之刀ヲ取嘉吉門外ニ而切懸ケ本書ニ認メ置候通後ゟ右之額先キゟ肩ニ懸ケ
     切込ミ申候 夫ゟ直ニ追懸追失申候処留森岡之允相見申候
 一定八郎ゟ大小を渡候様安右衛門江申候ニ付大小ヲ取指出申候と有之候
     此儀定八郎ゟ申聞候ニ而無御座候留森岡之允ゟ安右衛門江定八郎ニ相渡候様申聞候ニ付初ニ脇差を
     門内二て請取暫間有之候而刀を持参り差出申候付受取申候
 一定八郎を抱留候儀ハ曽而無御座安右衛門申出候よ有之候
     此儀安右衛門申出之通ニ而は無御座候 先達而御達申上候通相達無御座候信平は取合居候内左の
     後ゟ安右衛門抱留メさゝへ候ニ付存分之儀難成打洩し申候 右之通ニ而御座候抱留申儀少も相
     違無御座候
  右御達ニ付定八郎手前精々承糾申候処右之通ニ御座候 此段御達仕候 以上
      九月        緒方平兵衛

                (つづく)

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■細川護美の大村益次郎評

2024-02-23 06:58:51 | 人物

 一體先生は淡泊無我な人であって、一寸私が見舞に出ても直ぐに戸棚から『シャンパン』でも出して、今日は一杯上がらんかと云う塩梅で、極く感心の人である。然るに軍事上の事ことに付ては、実に・・・其結果即ち今日の陸軍の制度のなったのでございませうが、軍事上に就ては、如何にも卓識で、軍略上の其他軍制上に関しては、どうしても何人よりも一番能く分って居る。例へば、北越の戦ひに幾ら兵を出す、之は弾丸は幾らで宜しい、弾薬は幾らで宜しい、此戦ひはどう云も具合にすれば勝てると云うことをちゃんと前以て極められる。私は陪席して実に驚いた。果していつでも先生の言はれる通りになる。それから上野の彰義隊の戦さにしても、総て元講武所で先生が勉強されて、東京に近い所の地理は、畢竟軍事の考があるから、詳しく知られて居る。東京の一寸言へば裏道でも承知して居られる。そこで兵の配置抔でも能く出来る。戦争が始まってから先生はどうかと云うて人が見舞ふて見ると、先生は却て昼寝をされて居ると云う様なことであった。あの頃の人で所謂西洋の戦争、今日の軍事的の考を持って居った者は珍らしいと思ひます。その性質は洵に純粋の人で何も世情に頓着ない。併し軍事上になると熱心に注意してやられる。さうして極、無口である。先生の軍事的兵事上に詳しいことは、先生のやうな人は、其頃は無論だが今日に於てもさう沢山はあるまいと私は考える。『大村先生逸事談話』P5

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