昨日は随分風が吹いた。そんな中、朝散歩にでかけたら、途端に花粉症症状が出て目のかゆみとくしゃみと鼻水の三点セット症状が勃発した。
当然眼鏡をかけて外出するのだが、あまり役には立っていないということだろう。花粉防止用ゴーグルを購入しようかと本気で考えてしまう。
鼻水も難儀なものでもうティッシュの山を形成し始めた。それにくしゃみを連発し始め、胸が痛くなり始めた。
良く咳で肋骨にひびが入ったという話を聞くが、私のくしゃみは天地を轟かすように激しいので奥方の顰蹙をかっている。
出もの腫物所かまわずで、是ばかりは止めようがない。私の肋骨は随分丈夫にできているようで、生半可なことで折れはしないだろう。
しかしある友人が転んで肋骨にひびが入り、何とも情けない格好で咳も出来ないと言っていた姿を思い出すと、くしゃみも天地間に轟かせずに何とか静かなものにしたいと思ったりする。
私は数年前濡れたベニヤ板に足を滑らせ、70数㌔の体を宙に浮かせたことがあるが、その時には骨折はしなかったものの暫く痛みが取れなかった。
階下の90を超えたお婆さんが、「年寄の骨折は命取りですよ、ご用心なさい」といいながら、しばらくして転倒、腕を骨折された。元気になられたが、仰る通りで歩行に支障をきたすような骨折は、老人にとっては本当に命取りである。
敵は足元ばかりではない。くしゃみという大敵を忘れてはならない。
ある方から「『風説秘話』と『手討達之扣』に登場する不破氏はどういう関係か」との、お問い合わせをいただいた。
不破氏は三流四家が存在するが、この三流を結びつける史料がなく難儀している。
さて、お問い合わせの事件は、それぞれ次のようにご紹介している。
Ⅰ「風説秘話」から、不破杢助殺害事件とその顛末
Ⅱ手討達之扣ー(9)20、寛政四年□月九日 不破素太郎家来手討
Ⅰは、不破太直家の9代目で、長崎留守居を勤めて長崎にあった不破杢助が若党に殺されたという事件である。
これは長崎奉行の介入するところとなり、犯人の若党はとられられ、急ぎ長崎に息子数太と千次、及び甥の
鎌田軍助と興之允が長崎に出張った。
そして、若党のお下下げ渡しを願い、これを誅伐したという事件である。
寛政九年十二月二十九日に高四百五十石の御知行被召上、数太が百五十石を減知されて相続が認められた。
Ⅱは、不破源次郎家5代目で奉行職を勤める不破万平の嫡子・素太郎が江戸に下る途中の嶋田之駅で家来を殺害し
て自らも切腹して果てたという事件である。寛政四年の事件だが何月なのかは判らない。
跡目は相違なく敬二郎に相続された。減知にも至っていない。
二家の家紋が全く違うが、「昌」という字を通字としておられるように見受けられるので、もしかしたら一族かと思われる。
今後の課題としたい。