「手討達之扣‐(3)」をご紹介した中で、伴儀兵衛が所属した組頭が「西山大衛」とあった。
西山家のご先祖は足利将軍13代義輝の足利道鑑(義辰)だが、道鑑とその息・左京と勘十郎が細川家の客分となり、勘十郎の息・八郎兵衛
が細川家に仕えて、これが西山家の初代である。
時折何気なく「細川家臣略歴」に目を通すのだが、先の「手討達之扣」を書く中でページをめくってみたら、西山大衛家(南東8‐1)の項に
「相場彌左衛門正保弐年二月十一日病死仕」朱書きの書き込みをしていた。
その死亡の日がまさしく今日の日付で驚いてしまった。
2009:8:27相場彌左衛門という人という記事を書いたことを思い出した。
これは、私にとっては少々自慢できる発見で、ある方からお褒めをいただいたものである。
「真源院様御代御侍免撫帳」『熊本縣史料・近世編第二「部分御舊記」p399』「有馬ニ而牢人衆城乗之刻働之様子」(熊本縣史料・近世編
三p170)を総合してまとめたものだった。
彌左衛門の息左太郎と弟辰之助以降の消息は知れないが、道鑑にこのような子・孫が存在したことを知ることができて、2009年の記事にも書
いているが、「文書漁りもこんな事があるから止められない。」のである。
12代 13代 足利道鑑 伝右衛門・左京
足利義晴---+--義輝-----義辰---+--至之---+--重辰
| 14代 | |
+--義昭 | +--之氏---氏清---+--氏一---景備
| |
| +--氏政---氏景
| 勘十郎 初代
+--義茂---八郎兵衛・・・・・・・・→(細川家家臣・西山氏)
|
+--義次
| 藤左衛門
+--之直---次之
|
+---相場彌左衛門---+--左太郎 (以降不明)
+--辰之助 (以降不明)