1,熊本九代藩主 細川斉樹(なりたつ)が家臣 山崎角弥に与えた200石の知行宛行状と知行目録
2,熊本十代藩主 細川斉護(なりもり)が家臣 山崎隼雄に与えた150石の知行宛行状と知行目録
1,2は共に山崎半十郎家の7代・角弥と9代隼雄あてのものである。
12代半十郎はまたの名を貞嗣、肥後六花「肥後山茶花」の祖と称えられる。
「熊本文学散歩」「湖東在稿」などの著を著した山崎貞士は貞嗣の孫である。
■ 山崎半十郎 (南東35-13)
出雲守 (興盛・・陶晴賢家臣・・?)確信無し=管理人
五郎右衛門
1、傳左衛門 (1)切米人数 百石八人 (於豊前小倉御侍帳)
(2)御側弓輝炮頭并組外衆 物書頭 百石 (肥後御入国宿割帳)
(3)八番・薮図書組 百五十石 (真源院様御代御侍名附)
(4)百五十石 (真源院様御代御侍免撫帳)
屋敷:城内慶安坂脇(新熊本市史・地図編24 p44)
2、半右衛門 御右筆衆 百五十石 (寛文四年六月・御侍帳)
3、傳左衛門 御側物頭衆 ・御右筆頭 三百石 (御侍帳・元禄五年比カ)
4、久之允
5、傳左衛門 八代詰 三百石
6、惣兵衛(養子)
在宅願頭書(熊本市史資料編第三編p251)
山崎惣兵衛、親山崎傳左衛門代、明和八年冬五ヶ念在宅願之通
被遊御免、其後隠居、惣兵衛儀家督以後今度改メ在宅願有之候、
尤親代在宅御免より去々年迄年限付而去春願継可申処、願年之
翌年在宅江引越候付、去年迄之年限と心得願継延引迷惑仕由、但
組脇より達迄ニ而本願相済 (安永六年二月)
7、角弥 三百石、当時二百石
8、傳左衛門 御番方・松下清蔵組 二百石
9、慶太(五郎右衛門)
10、隼雄(養子 傳左衛門)
11、直彦(養子・佐藤仙九郎七男 久之允・傳左衛門) 川尻御作事番 百五十石
実兄佐藤仙右衛門を後継し肥後宏流二代
12、半之助(半十郎・貞嗣) 百五十石
肥後宏道流三代、肥後六花「肥後山茶花」の祖
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3,熊本十代藩主 細川斉護(なりもり)が家臣 松見卓右衛門に与えた100石の知行宛行状と知行目録
下に記す通りこの宛行状の存在は、松本寿三郎氏の著「細川藩御書出集成」で知られていた。
■ 松見太郎八 (南東38-15)
1、上田長三郎(長右衛門)
2、長右衛門
3、文左衛門・貞仲 百石 御番方十一番御留守居組
4、吉之允 百石
5、権次(長右衛門) 二番与 百五十石
6、喜平次(仁左衛門)
7、卓右衛門 八代御城付八代御番頭組 文武稽古所見繕役 高百石之御擬作
細川斎護公御書出(弘化四年)百石
8、太郎八 須佐美権之允組 御留守居御番方 御擬作高百石