津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

歴史REAL 江戸大研究

2012-03-14 18:46:12 | 書籍・読書

歴史REALvol.6  洋泉社 本体838円+税

 

目次

☆保存版特集 江戸大研究

◎PART1 江戸幕府が続いた10の理由
【特別対談 中村彰彦×磯田道史】天下泰平の世が260年続いた秘密
1 天下泰平の世を築いた大名統制のシステム
2 文武両面で将軍を支えた直参「旗本」と「御家人」
3 徳川の屋台骨を支えた御三家・御三卿 
4 徳川の地を絶やさぬ禁断の園「大奥」
5 生かさず潰さずで臨んだ天皇・公家統制
6 江戸の三大改革とは「富の再分配」だった! 
7 商教分離を実現した外交管理体制の要「鎖国」
8 武力討伐も辞さなかった幕府の治安維持・警察力
9 社会保障システムの鍵を握っていた被差別民
10 じつは能力主義だった徳川幕府の人材登用術 

◎PART2 徳川15代将軍の知られざる素顔
家康 執念深さとポジティブシンキングの創業者 
秀忠 思慮深さと判断力を持ち合わせた最高の二代目 
家光 将軍が象徴的存在へと転換していくきっかけ 
家綱 温順にして仁厚な文化人〝左様せい様″
綱吉 〝犬公方〟は暴君? それとも卓越した君主? 
家宣 下積み時代が長いからこそ上司にしたい№1!? 
家継 わずか5歳で継いだ将軍は大人泣かせだった!? 
吉宗 家康以降では珍しい鷹狩りが得意な〝体育会系将軍〟
家重 何らかの障害を抱えていた可能性がある〝小便公方〟
家治 吉宗仕込みの帝王学を発揮することなく趣味に生きる 
家斉 歴代最長の治世を誇る将軍は55人の子だくさん 
家慶 先代の尻拭いに追われた実直にして愛情あふれる将軍 
家定 体が弱く、暗愚だったというのは本当か? 
家茂 将軍家の威光を保つためのイメージ戦略の主役 
慶喜 江戸幕府の幕引きのために登場した〝剛情公〟

将軍になれなかった徳川一族
徳川 将軍職継承年表
江戸幕府の職制・主要役職一覧図
体感「江戸」BOOKガイド

 

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こんなところに忠興公

2012-03-14 07:38:03 | 徒然

                    http://kumanichi.com/news/kyodo/social/201203/20120314002.shtml

     

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江戸の備忘録

2012-03-13 19:22:52 | 書籍・読書

最近ではTV等でも盛んにお見かけする売れっ子・磯田道史氏の注目の著作。

 

     江戸の備忘録
   
     朝日新聞出版

内容紹介

ベストセラー『殿様の通信簿』『武士の家計簿』の著者が達意の文章でつづる歴史随筆。万巻の書物をひもとき、織田信長・上杉鷹山・山岡鉄舟・坂本竜馬など、この国を創ってきた人々の素顔に迫り、忘れてはならない「この国のなりたち」を見つめる。
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六所宮

2012-03-13 15:28:58 | 史料

 このお宮もかっては熊本城内藤崎宮の隣にあったものである。現在は井川渕の藤崎宮境内にささやかに残されている。
もともとは豊前に於いて細川光尚公の誕生の折に創建されたものである。 

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八代城町絵図

2012-03-12 07:20:00 | 史料

 

               八代市のHPから引用

                   先日八代市立博物館未来の森ミュージアムを訪ねた際この地図を購入してきた。600円也・・・・・ 
                   熊本の城下町図もあったらいいな~、という想いがつのっているのだが・・・出来ないかな~

                  勝手にリンク 【散歩な城】 http://1st.geocities.jp/golden_shiro/33yatsushiro.html
                            【八代城大パノラマ】 http://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/museum/event/per_ex2/pdf/pa.pdf

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鎮魂の日

2012-03-11 10:31:11 | 徒然

                                               


                       

                              多くの犠牲になられた皆様に、心からの哀悼の意を表します。
                  又避難を余儀なくされている福島の皆様、仮設住宅での不自由な生活をされている震災被災の皆様にも
                           希望ある日の到来が一日も早からんことを心からお祈り申し上げます。 

 

                                            津々堂 敬白

                             

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歴史の不思議・・細川興秋を通じて

2012-03-11 09:37:22 | 歴史

 ぴえーるさんが3月7日のご自分のブログで細川興秋(忠興二男)について書かれていた。http://d.hatena.ne.jp/muxia/
改めて戸田敏夫著「戦国細川一族・細川忠興と長岡与五郎興秋」のページをめくった。

父忠興から切腹を命ぜられた興秋は、伏見稲荷山・東光院の地で命を終えたとされる。(元和元年六月)
一方命ながらえ肥後天草の地へわたり、子孫はこの地で脈々と続いたともされる。ぴえーるさんの指摘はここにつながっている。
歴史の奇跡はそれから16年後の寛永九年十二月、細川家が肥後の地へ至り、細川忠興は興秋が住まいしたという天草の目と鼻の先である八代の地に入ったということである。天草に残る記録によると興秋の死は寛永十九年だとされるが、父忠興との音信などなかったのだろうか。先の「戦国細川一族」の巻頭で、細川護貞様は天草の地に足を運ばれ、興秋の足跡を訪ねられたことを紹介されているが、確証を得られなかったとされる。

興秋の遺骸は稲荷山の南谷に埋葬されたとされるがその場所は明らかではない。この南谷の入り口に「ありの山墓地」があり、「忠興の家臣深尾長兵衛と深尾源六郎の妻の墓がある」と「戦国細川一族」は紹介している。
この深尾氏について著者戸田氏は詳らかにしていないが、「深尾源六郎の妻」 なる人物は忠興が七十を過ぎて為した娘であり、生母のみつなる人物を深尾長兵衛に託したものである。何故この地にその墓地があるのか・・・不思議な巡り会わせの偶然なのか、興味は尽きない。

 三斎は孫娘祢々(三斎女・萬 *烏丸中納言光賢卿簾中* の女、細川光尚室)のお側に幼少のころから召し置かれていた「みつ」という娘を、十四歳になったころもらい受けた。「格別の御憐憫を以召仕れ」ていたが寛永十七年八月、俄かに深尾長兵衛なる者に下し置かれた。身重であったみつは翌月女の子を出産する。「くま」と名付けられたこの赤子は当然の事ながら三斎の子である。三斎七十八歳であった。「御老年の御事ニ御座候とて、御隠密ニ被遊度思召上られ」たが、お七夜には産屋に入り守刀や産着、白銀、御樽・肴を届けたという。また台所向賄いを心配し乳母抱守の手配をし、長兵衛には知行五百石が宛てがわれた。後くまは名をすまとかえる。三斎の没後は烏丸光賢卿簾中萬からすまに対し扶持が下されたらしい。生前の三斎の配慮ではなかったのだろうか。後年長兵衛は弟伊兵衛を養子とし、すまと娶わせ家督させる。源六という子をなすが源六が五歳の時すまは亡くなったらしい。みつなる人の消息は知れない。享保三年深尾源六の記録である。(綿考輯録から)

正保二年十二月付け「八代分領侍帳」に深尾長兵衛五百石、おすま二百石などの記載が確認できる。深尾長兵衛は忠興死後、肥後を離れている。

                                    


興秋の法名は黄梅院真月宗心。護煕さまのお住まい湯河原の細川邸(旧近衛邸)のテラスには、祖母・近衛文麿公夫人千代子様が育て愛された黄梅がこの時期美しい花を咲かせていることであろう。(千代子夫人は宇土細川家から毛利家(佐伯三万石)に入られた毛利高徳氏二女である)

 

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竜馬からの忠告記した書簡発見 県立図書館

2012-03-10 10:41:10 | 新聞

    http://kumanichi.com/news/local/main/20120309007.shtml

 庄(荘)村省三  【丹後以来】 (南東51-9)
    1、五郎右衛門 御門番衆 百石 (豊前)
    2、仁左衛門  (1)台所人 十石五人扶持 豊前  
              (2)組外衆 百石 (真源院様御代御侍名附)
              (3)百石 (真源院様御代御侍免撫帳)
              (4)御留守居衆・田中左兵衛与 百石 (寛文四年六月・御侍帳)
    3、八助       御奉行処触組 御勘定役 百石・御役料米三十石 (御侍帳・元禄五年比カ)・・八
郎?
    4、五郎右衛門・政長 百石 御番方 十二番 屋敷・内坪井
    5、五郎右衛門
    6、仁左衛門   御番方 百石
    7、八助     
 庄村八助知行(年代不明)百石
    8、新平(五郎右衛門)
    9、市太郎(一郎助)  (1)須佐美権之允組御留守居御番方 百石
                   (2)八代御城付八代御番頭組 百石
            市太郎  
天保八年四月~弘化元年四月 阿蘇南郷郡代
            一郎助 
 慶応二年四月~慶応三年十二月 高瀬町奉行
    10、助右衛門(省三)   百石  

         何代か不明 五郎右衛門
                  
 宝暦二年三月~**   鶴崎郡代
                   明和元年十一月頃~   宇土郡代
                   明和元年*~明和四年  八代郡代

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見つけた・・・・・

2012-03-10 07:43:41 | 書籍・読書

  細川齊茲が愛してやまなかった耇姫の画像は何ともかわいらしく、幼くして死んだ無念さが偲ばれる。
耇姫については吉川弘文館の「本郷」2007年3月号に斉藤研一氏の「子どもの肖像画『細川耇姫像』によせて」がある。又地元熊本の郷土史家・蓑田勝彦氏の「細川耇姫と『荒仕子』清七」が熊本歴研・史叢第13号に発表されている。いずれも耇姫の愛らしさを増幅させてくれた。
斉藤研一氏の論考によると、耇姫の生い立ちの記ともいえる永青文庫蔵「梅の薫」があり、これを翻刻した山岸素夫の論考「『梅の薫』と耇姫画像の考察」が日本風俗学会の1993年32-2号に掲載されているという。

二年ばかりだろうか、随分探し回ったのだが昨日ようやく「日本の古本屋」で発見、早速注文をする。

山本素夫氏といえば甲冑の研究家に同姓同名の方が居られる。同一人物であろうか・・・・
数日待たねば成らないが楽しみではある。 

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サイトご紹介「熊本城城下町歴史研究会」

2012-03-09 13:42:55 | 熊本

           http://d.hatena.ne.jp/kumamotojo/

 熊本市新町の、町おこし運動の核となってがんばっておられる「熊本城城下町歴史研究会」さんが、最近立ち上げられたサイトです。
私は出席することの出来なかった、「高麗門跡遺構調査」の説明会の様子など詳しくUPされています。
横手寺院の涅槃図拝観では白髪頭でうろうろしているのが津々堂です。 

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Q&A 旅家老

2012-03-09 11:10:03 | 歴史

以前 「旅家老」についてご質問をいただいた。官職制度考を開いてそのことを思い出しここに記す。

   A:細川家においては、次のように規定している。
     漢名御吏大夫之類なるべし爵位右に同(留守大頭同列) 大監察なり
     家老中老と同席して政事の参議を見聞す外に職掌なし或は家老の代として東都(江戸)の藩邸に交替す
     是を旅家老と唱 

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神護寺

2012-03-08 16:54:58 | 史料

                            かつては熊本城内にあった神護寺です。先にご紹介した藤崎宮に隣接していました。
                                天台宗在郭中 有寺録百石
                                此寺ハ藤崎宮ノ執行ナリ且東照神祖ノ祠ヲ境内ニ建ツ
                                大法妙院ノ末寺ナリ 将軍家天台ノ尊霊位ヲ此寺ニ安置ス
                                又國中天台宗ノ總司ナリ 無量壽山  (官職制度考より)

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新聞から「熊本ニュース」

2012-03-08 12:42:38 | 史料

清正の短刀か 本妙寺で「吉光」の銘入り発見 2012年03月08日 熊本日々新聞

           http://kumanichi.com/news/local/main/20120308002.shtml


クスノキ:「立曳き」で移植 江戸の伝統技術、熊本で復活 2012年03月07日 毎日新聞

            http://mainichi.jp/area/kumamoto/news/20120307ddlk43040572000c.html  

     以前にもブログでご紹介しましたが・・・・・
              http://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/10e2b954a3389b091e98f8f22738377d


 

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八代・未来の森ミュージアム

2012-03-07 14:12:03 | 展覧会

            http://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/museum/event/2011/2011_yasu.html

            http://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/museum/event/2011/2011_win.html

 所用で宇土まで出かけ足を伸ばして八代・未来の森ミュージアムへ出かける。
残り10日ばかりとなった松井康之没後400年記念 戦国武将・松井康之の軌跡」展を観るためである。
利休の死の直前の康之宛書状他興味ある古文書や肖像画などを拝見する。

 また、沢山の八代焼のすばらしい焼物も拝見、福原先生にもお目にかかりしばしお話しする。
松濱軒、松井神社、春光寺なども訊ねたかったのだが、ここ数日左ひざの調子が悪く歩行もままならず断念・・・・・

まだご覧になっていない方は是非ともお出でください。3月18日までです。


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高麗門跡発掘現場見学会

2012-03-06 18:57:15 | 新聞

 昨日は午後から高麗門跡の発掘現場で、説明会が行われたが、私は残念ながら私用で出席が出来ず残念のきわみ・・・
あいにくの雨模様になったが史談会会員で地元のTさんにしっかり見ていただくようにお願い、次回史談会での報告をお願いする。
今日の熊本日々新聞にその模様が報告されている。
                       http://kumanichi.com/news/local/main/20120305004.shtml

 

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