津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■北海道地震

2019-02-22 07:09:07 | 徒然

 昨晩北海道では胆振を震源とする地震が起きた。昨年大きな被害が出た地域だ。
すぐさま札幌の友人K氏にメールを入れた。札幌は前回同様震度5だと報じている。
熊本の人間は3位の地震には慣れっこになってしまったが、度々ではないが4が発生するとやはり身構えてしまう。
K氏のお話だと、胆振は今日は随分寒い予報が出ているとのこと、こんな中停電が起きて居れば生死の問題となる。
漸く復旧の途に就かれた方々の落胆を思うと、同じ地震経験者としてなんともやるせない気持ちにさせられる。
ただただ皆様のご安全を願うばかりである。

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■「市井雑式草書附録」(9)

2019-02-22 06:51:51 | 史料

 六六 文政十一年十一月
一熊本町中ニ御蔵預致所持居候者は、石高名當之書付幷歩
 入質札共ニ差出候様及達、差出候處、現預前幷諸御間ニ
 歩入致置候分共ニは大數貮萬八千石餘有之、相對歩入札
 前も貮萬貮千石内外に相見候、右有丈之現預を相當之直
 段にて賣出候ヘハ、斯迄米無多事中段以上ニ御救米をも
 被仰付程ニは至り申間敷處、畢竟、現預は歩入ニいたし、
 其質札を以御達ニ背キ候致商賣候付、彌以現物隠レ、直
 段は遂日高直ニ相成、諸人は日ニ増逼迫を重ね候を不顧、
 貧福持合之御沙汰にも相背候のみならす、右御蔵預等差
 出候様との御達之砌、餘計ニ致所持候ものは遠在抔知音
 之方え分遣、或は餘人之名前を借候躰之儀有之、右名前
 之内ニは分限不似合之者も有之哉ニ相聞、彼是不届之至
 ニ付、歩札商賣之手續等被遂御穿鑿、屹ㇳ被仰付筋も有
 之候江共、御僉議之趣有之、此節迄は先其分ニ被閣候て
 左之通
一相對歩入質札は一枚/\裏ニ官印を用、差返候間、三斗
 五升入四拾目を限、來ル廿一日限順々ニ取計仕舞候様、
 若日限迄ニ片付不申分は流ニ被仰付候
  但、十月以後之歩入取扱商賣いたし候もの有之候ヘハ
  町方御横目廻役より見當次第取揚、其段相達候筈
[付紙]「在町其外々え振出置候歩入札片付方も本行同断、
  若日限限持出懸合有之候ハヽ、札主持合町方御横目改
  を受歟申事」
一現預所持之者は、粮物其外商賣方ニ入用餘分は速ニ賣出、
 一統之融通肝要ニ過相心得候
 右之通被仰付候間、此上歩入商賣は不及申、有餘之米穀
 賣惜なといたし、諸人之難澁ニ係り候奸智之取計いたし
 候ものは、早速被召捕屹ㇳ被仰付之筋有之、一類・五人
 組迄其分ニては被差通間敷候條、向後聊心得違之儀無之
 様、相互ニ兼々心を付、其上ニも不相用ものも有之候ハ
 ゝ、不閣申出候様及達、銘々印形を取相達候様、惣月行
 司え及達、町方御横目・町方受込廻役えも及達候事

 六七 文政十一年十一月
一當年柄米穀至て無多事、右ニ付、當時は御郡より米穀一
 切、市中ニ付出不申由ニ付、折角町家ニ買貯置候米穀を
 在中ニ賣捌候ては、在中之貯乏敷相成、諸人難澁之基と
 相成候付、米穀を在中え賣出候儀は當分被差留、在中之
 者たり共御家中御扶持方拂等ニ俵數株立不申、賣買は是
 迄之通相心得候様との儀、先年委細及達置候通候處、近
 來間には大豆・麥抔を在中ニ商取組賣出候付ては、紛敷
 儀も有之哉ニ相聞不埒之至候條、以來穀類は一切在中え
 賣出候儀、當分被差留置旨候條、當時賣買取組置候者も
 有之候ハヽ、早々及破断候様及達候事

 六八 文政十二年六月
一空躰之商賣いたし候儀は、兼て被禁置候處、羽書商賣と
 名付、空躰之米穀商賣いたし候もの有之様子ニ付、向後
 右躰名目を以、米穀空躰之商賣いたし候儀屹ㇳ停止被仰
 付旨、文化五年十一月及御達置候處、近來又々穀物類之
 羽書商賣いたし候聞へ有之、米穀相場ニも相響キ、不届
 之至候、依之羽書商賣は勿論、前賣・前買抔と稱し、空
 躰之商賣いたし候儀、彌以停止被仰付候、自然心得違之
 者有之候ハヽ、御吟味之上急度被仰付筋歟有之候間、町
 中不洩様及達、人別印形之書付相達候様及達候事

 六九 文政十二年九月
一空躰之歩札商賣は、嚴敷被禁置候處、間ニは正真之御蔵
 預質入いたし候儀をも被差留候様ニ相心得候者も有之哉
 ニ付、御蔵預歩入は不苦段、此旨一統及御達候處、近來
 米直段少引上候付ては歩札商賣を被成御免候なとと氣取
 兼候故之儀と相聞候、空躰歩札商賣は勿論哉以難叶事ニ
 候間、若右躰不正之商売いたし候もの及見聞候ハヽ、不
 閣町方懸り之御役筋へ申出候様、左候ハヽ屹ㇳ御吟味可
 被仰付候様、相對を以申分ヶ間敷儀不仕、かさつ之取計
 等決て不仕様、町中末々迄不洩様、委敷申示候様、惣月
 行司え書付相渡候事

 七〇 文政十二年十月
一造酒哉之内、酒之小賣をいたし候店々は、手製之酒迄ニ
 て他之酒は買入申間敷段、文政三年十一月及御達置候通、
 彌以相守候様、若心得違之族於有之は、揚酒屋より訴出
 候様被仰付旨、諸色しらへ受込別當へ及達候事

 七一 天保元年六月
一熊本町中造酒本手を在中等え譲切は勿論、他所より買入
 願も容易ニ不被成御免候様ニとの儀付ては造酒彌共より
 先年願之趣有之、其通被仰付置候處、近來間ニは造酒職
 打立、内證は夫々手數相整候上、在中等より本手譲請願
 相達候族も有之、最早其期ニ至不被差免候ては、身代之
 障ニも相成候故、別段を以被差免候儀も有之、畢竟、不
 案内故之事とは相聞候得共、追々類引候様ニ成行候ては、
 先年御達之趣ニも致相違候付、以來新ニ造酒打立度存候
 ものは、前廣ニ造酒直段元え懸合、其様子ニ應し願出候
 様、町中え及達候事

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■熊本大学学術リポジトリーから「内山幹生氏」

2019-02-21 17:53:03 | 論考
71 普請夫役と対価 / 内山, 幹生 -- 熊本近世史の会2006-6年報 熊本近世史 Vol.18 p.26-30 雑誌掲載論文
72 八代城廃城一件 / 内山, 幹生 -- 熊本近世史の会2004-6熊本近世史論集 Vol.16 p.2-10 雑誌掲載論文
73 蝗害と鯨油仕法 / 内山, 幹生 -- 熊本近世史の会2009-4年報 熊本近世史 Vol.19-20 p.12-19 雑誌掲載論文
74 屯田兵関連記録にみる西南戦争 : 宇城市周辺の戦闘経過を中心に / 内山, 幹生 -- 宇城市教育委員会2015-3-31郷土誌燎火 Vol.22 p.20-41 雑誌掲載論文
75 不知火海考 : 豊穣の海奇譚 / 内山, 幹生 -- 宇城市教育委員会2018-3-31郷土誌燎火 Vol.25 p.1-10 雑誌掲載論文
76 宇城市松橋町御船「久原家文書」の概要と示唆する課題 : 八代海北部海辺干拓における位置づけ / 内山, 幹生 -- 宇城市教育委員会2017-3-31郷土誌燎火 Vol.24p.12-24 雑誌掲載論文
77 薩摩街道小川宿と娑婆神峠道 : 歴史の道と人馬賃銭 『河江旧記』巻之四より / 内山, 幹生 -- 宇城市教育委員会2012-3-31郷土誌燎火 Vol.19 p.10-19 雑誌掲載論文
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■新刊「細川家文書 熊本藩役職編 」

2019-02-21 10:26:12 | 書籍・読書

 熊本大学・永青文庫研究センター編の「永青文庫叢書・細川家文書 熊本藩役職編」が発刊されたのでご紹介する。

             細川家文書 熊本藩役職編 

目次

序文…細川護熙/例言/図版編(熊本藩職制/熊本藩条目)/翻刻編(熊本藩職制/熊本藩条目)/解説編(近世中後期熊本藩の職制機構と服務規程…今村直樹)/跋文…稲葉継陽/収録史料目録

内容説明

宝暦6年(1756)から慶応2年(1866)まで、熊本藩役職に関わる「職制」(職制機構図)および「条目」(服務規程)を、図版編と翻刻編に分けそれぞれ収録。職制・条目に関する解説編も収め、巻末に収録史料目録を付す。藩政機構の全体像を図示し、部局や諸役人が果たすべき職務内容を記した史料群は「藩とは何か」を考えるために格好の素材。
 
 その他の既刊五冊  
  • 「永青文庫叢書 細川家文書 中世編」吉川弘文館、2010年
  • 「永青文庫叢書 細川家文書 絵図・地図・指図編Ⅰ」吉川弘文館、2011年
  • 「永青文庫叢書 細川家文書 近世初期編」吉川弘文館、2012年
  • 「永青文庫叢書 細川家文書 絵図・地図・指図編Ⅱ」吉川弘文館、2013年
  • 「永青文庫叢書 細川家文書 故実・武芸編」吉川弘文館、2014年

 http://www.yoshikawa-k.co.jp/files/naiyoumihon/eisei-hosokawa2.pdf

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■「市井雑式草書附録」(8)

2019-02-21 07:10:32 | 史料

 五九 文政九年三月
一米穀空躰之質入札商賣は被禁段、追々及御達置候處、近
 來町内ニて諏合躰之者多人數打寄、米穀質入札を商賣い       
 たす様子ニ相聞、空躰之取組ニ紛敷、且は重キ穏便中多
 密々打寄候躰之儀有之候ハヽ、及見聞次第早速筋々申出
 候歟、又は町方御横目之内ニ申出候様、末々迄不洩様、
 早々相達候及達候事

 六〇 同年四月
一現之米穀歩入之質札幷御蔵預歩入質札は、小前目録書相
 添取遣いたし候儀は不苦旨、先年一統御達ニ相成居候處、
 書入質札商賣有之候ては米價ニ差障、自然と高直ニ相成、
 下方及難澁候様子ニ相聞候、依之御蔵預又は現米を相對
 ニ質入いたし候儀は、唯今迄之通不苦、右之質札を致商
 賣候儀は、當秋新穀出來迄之間は一切被差留候條、當時
 迄取組置候質札取遣は來ル十一日限、夫々取引いたし候
 様及達候事

 六一 文政九年五月
一去冬以來米直段高直ニて、末々及難澁候様子ニ相聞、先
 年も右躰之節は双場極を以致賣買候様被仰付候儀、追々
 有之候、今年之儀も、當秋新米出來迄之間、三斗五升ニ
 付御相場通錢三拾八匁八分八厘を限、過致賣買候、若右
 之直段より高直ニ商賣いたし候歟、又は福錢なとゝ名付、
 右究より上ニ取遣いたし候ハヽ、吟味之上屹ㇳ可申付旨
 及達候事

 六二 文政十年七月
一米穀空躰之歩札取遣は申不及、其外商賣ニ付空躰之取組
 堅不仕候様ニとの儀は、先年度々御觸ニ相成居候處、近
 年纔之手付錢を以、餘計之米高を取遣いたし、大勢打寄
 候由、全空躰之取組ニ相聞不届之事ニ付、向後屹ㇳ相止
 候様、若此上密々打寄右躰空ナル商賣いたすもの於有之
 は、町方御横目廻役より見出聞出次第相達候ヘハ、御吟
 味之上屹ㇳ被仰付筈之段、町中え及達候事

 六三 文政十一年七月
一米穀歩札致商賣候儀被禁段、此間及達置候處、町内諏合
 躰之者多人數打寄ケ所も有之哉ニて、やはり内分歩札商

 賣有之候得は、自然と米價釣上末々及難澁候處より、右
 取遣を被禁事候處、御達ニ背不届之至ニ付、諏合躰之者
 集り候儀屹ㇳ停止被仰付候、依之、自然密々打寄歩札取

 扱候躰之儀有之候ハヽ、及見聞次第、早速筋々申出候歟、
 又は町方御横目之内え可申出候
一徒黨狼藉躰之儀は兼々稠敷被禁置、自然心得違之者は重
 キ御仕置ニも可被仰付段、御達之通堅相守可申候、町中
 右躰之見、懸り/\惣鳶役中え被仰付候條何レも申合      扌偏に乄=
 せ、萬々一狼藉者有之、町屋ニ入込あはれ候躰之事有之
 候ハヽ、速ニ取抑相達可申候
 右之趣、町中一統不洩様早々及達、人別印形之御請書相
 達候様、惣月行司え及達、米穀高直付ては、末々之もの
 何となく諏合躰之者を忌悪ミ候情態有之、萬々一家宅等
 打崩候歟、又は打擲いたし候不穏之取計仕候者も難叶、

 廻役より精々心を用、右之崩シ自然有之候ハヽ、速ニ押
 捕候様密々含ニ相成候様、御刑法方え書付差廻候事

 六四 文政十一年七月
一現之米穀歩入質札、御蔵預歩入質札は、小前目録書相添 
 取遣いたし候儀は不苦旨、先年一統御達ニ相成居候處、
 歩質入札商賣有之候ては、米價ニ差障り、自然と高直ニ
 相成、下方及難澁候様子ニ相聞候、依之御蔵預又は現米
 を相對ニ質入いたし候儀は、唯今迄之通不苦、右之質札
 を致商賣候儀、當秋新穀出來迄は一切被差留旨及達候事

 六五 文政十一年九月
一無現之米穀歩札を以致商賣候儀、従前々御停止之段は不
 及申、此砌町家有餘之米穀を圍賣惜いたし不申、ヶ様之
 折柄は貧福持合候て押移候様ニ、若心得違之者も有之段
 於相聞は、被召捕忽ㇳ被仰付筋有之候段も委ク被及沙汰
 置候通候處、米商賣之者共下地過分之利潤を得なから猶
 も飽足ス、間ニは密々歩札を取扱、米價引上ヶ候手段い
 たし、夫のみならす御蔵預も相應ニ致所持居候ものも有
 之様子ニ候得共、潜ニ貯置諸人之難澁ニ無構、未為を専
 ニいたし、貧福持合候様との御主意心得方等閑之躰ニ相
 聞、彼是不埒之至候、依之見合ニ成候儀有之候間、熊本
 町中ニ御蔵預致所持候者共、一枚々々ニ石高名當共小前
 書書添、早々差出候様、若隠置不差出預は、根方及吟味
 通用被差留筈候付、早々懸り/\へ通達人別不洩様吟味、
 右書付來ル廿九日限無間違、一懸限取揃差出候様及達候
 事

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■「市井雑式草書附録」(7)

2019-02-20 08:26:10 | 史料

       七

 四九 文化十年十月
一御年貢上納之砌、在口/\え熊本町より出買之物罷出居、
 在中之物ニ申談、新米買取、右付ては紛敷筋も有之様子
 ニ相聞不届ニ付、堅出買ニ罷出不申様、雑穀も出買ハ難
 成段、先年及達置候通ニ付、是又心得違無之様、町中え
 及達候事

 五〇 同年閏十一月
一市中豆腐職いたし候者共、大豆直段之高下ニよつて、豆
 腐直段も夫ニ應し高下有之儀有前之事候處、大豆直段下
 り候とて、豆腐直段直ニ引下ヶ不申者も有之哉ニ相聞、
 不都合之事ニ付、以來は豆腐一挺ニ付拾六文宛定直段ニ
 〆、大豆直段高下ニて舛前之多少は別紙積書之通相違不
 致様、豆腐之形大小を以賣捌候様、且小路/\ニて右職
 いたし出商賣仕候者も、其懸り/\丁頭等より精々申付
 候様、示方可有之旨、町方御横目え書付相渡候事

 五一 文化十一年正月
一空躰之歩札商賣は、兼々御制禁之處、舊臘以來諏合共、      諏合→人名では「すごう」と読むらしいですが、ここでは
 近在又ハ市中ニてハ密々打寄申談候様子ニ付、空躰之商         「はかりあい」=「相談しあい」でしょうか?
 賣等企候ニては無之哉、右打寄候内ニは商賣方のミなら         
 す、よからぬ申談も仕候哉之風評も有之候、空躰商賣は
 勿論、萬不穏儀等企候ものは、早速押へ捕被召籠御吟味
 可被仰付候、正道之商賣ニ祕候儀ハ有之間敷候條、向後
 密々打寄候儀等堅仕間敷候、萬一心得違之物有之候ハヽ、
 諏合仲間同志吟味いたし訴出候様、自然かくし置外手筋
 より相願候ハヽ、屹ㇳ曲事可被仰付旨、諏合商賣仕候者
 共、別當宅え呼寄、町方御横目立合教諭被仰付候事

 五二 文政二年八月
一御儉約二付、武器類之質物流レ不申様との儀、衣服之部
 二有之候事

 五三 同年十二月
一町中二て質物取扱者は筋々相願、質屋札被渡下候處、近
 年不相願無札貮て、當座七なとゝ唱、歩合高直ニ取候も
 のも有之段相聞、心得違之至候、以來不相願質物を取、
 又は不法之高利を取候者於相知は、屹ㇳ曲事か被仰付旨、
 五ヶ所町え及達候事

 五四 文政四年十月
一在中より付出候穀類出買仕間敷段は、追々屹及達置候通
 候處、近年心得違之者有之哉二相聞、不埒之至候條、右
 躰心得違之者於有之は、抜米見在御家人之内見逢次第      扌偏に乄=
 差押、買取候穀類取上名前相達候様、猶此節右見役人
 え達有之候段、町中え及達候事

 五五 文政六年十一月
一町家之者、米穀出商賣は御構無之段、火廻御物頭等え及
 達候事

 五六 同七年四月
一諸所町・在町共質屋共歩合を取候儀、區ニ有之様子相聞
 候、仍て御府中重立候質屋共及吟味候處、衣類は一ヶ月
 壹歩半、道具類は貮歩ニて、拾匁以下幷一ヶ月ニて受候
 文衣類は貮歩、道具は三歩にて取引いたし候由、當時先
 中分之利合貮相見候、質屋共之儀何も依願被成御免、同
 産業之儀に付大小之無差別、利合等等ク相究、可及取引
 事候處、區貮有之候てが不對ニ有之、申分も引起、且賤
 家之もの別て及難澁候事ニ付、以來前文熊本町之通、歩
 合等ク相究、質札にも歩合を記取引いたし候様、且又質
 屋札不願受質を取候者之儀付ては、文政二年別紙此口ニ扣アリ
 之通及達置候處、年隔候事ニ付寫差遣、両條之趣一統不
 洩様達有之候様、町在え及達候事

 五七 文政七年十一月
一所々町在中等より熊本町え造酒本手譲受候儀、是迄勝手
 次第被差免來候處、當年より十五ヶ年之間、所々町在中
 等より造酒本手譲受候儀被差留候事

 五八 文政八年九月
一御年貢皆納ニ相成不申内新米買取候儀難叶段は、追々及
 達置候通候、若密々買取候者於有之は、御吟味之上屹ㇳ
 被仰付筈候、尤御家中御扶持方幷開米之儀は道送を以付
 出候様被仰付候、右送之儀、開米は何村帳本何某仕出、
 御扶持方之方は受主何村何某仕出、右何レも村庄屋連印
 之通帳ニ御代官中印有之筈ニ付、右之送を日當ニ買取候
 様、五ヶ町え及達候事

 

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■トロイの木馬

2019-02-20 07:49:40 | 徒然

 以前ある方から、当方サイトが「安全でない可能性がある」旨のご指摘をいただいた。
ところが昨日当方のPCに、「トロイの木馬」に感染している旨の表示が出た。ご丁寧にセキュリティーソフト OneSafe PC Cleaner の案内までついている。
感染の連絡とセキュリティ―ソフトの案内はセットで来ることがあるらしく、このセキュリティーソフトのインストールを促し、かえってそれがPCの作動に支障をきたすことが有るらしい。その他ゲームソフトの案内も来たがこれもなんとも怪しい。
しかしわがPCに特段支障が起きているとも思えず、まずは正常に動いている。クレジットカードの登録もしておらず、こちらも心配はない。
私はセキュリティーソフトはMcAfeeを使っているが、「Active Protection」によってスキャンされる際、時々「トロイの木馬」として誤検出されるというが、さきの表示が誤検出であるかどうか定かではない。
私がごとき個人のPCに入り込んで何の得があるというのか、「ご苦労なこったい」とも思うが、無作為にやっていることに当たってしまったのだろう。
しかし乍ら、是迄ため込んできたデータを破壊されるのもしゃくだから、データのバックアップなど手段を講じなければならない。
誠に迷惑なことではある。皆様もどうぞお気を付けください。

            

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■「市井雑式草書附録」(6)

2019-02-19 17:59:07 | 史料

        六

 四一 文化十一年
一近御郡之儀、買集置候俵物類、其所々方角村々之作馬を
 以付越、熊本町牽通向々迄付越候付、熊本町馬士共及迷
 惑候由相達候、右は継所/\ニては継替可申筈ニ付、以
 來津端其外所々え付越候商賣荷物は、熊本町ニて夫々継
 替候様、若又無據譯有之候ハヽ、其段人馬會所え相答上
 荷錢差出、人馬會所え印鑑を以牽通候様
一旅人猥ニ在中え入込、俵物等直賣いたし候儀は難成儀候
 間、彌以旅人え直賣不致様
 右之通諸御郡え御達に相成候段、継馬受取別當え及達候
 事

 四二 文政元年五月
一在中不作等ニて民喰難取續見込二付、御代之内を以
 穀類會所え買入二成、在馬二て付取候分、此節御僉議之
 趣有之、上荷錢出方なしニ、熊本驛所付通候儀被差免候、
 尤、御圍籾之儀は公義御備分は諸國一統非常急飢之御備
 として、別段ニ被圍置、御自分方分迚も同様之御主趣を
 以、年々御年貢米之内より籾ニて被引除置、急飢拝領拝
 借等取計ニ相成來候、右之通各別之御備之事ニ付、御圍
 籾代より御出方ニ成候分ニ限、上荷錢出方無之様被仰付
 置候事ニ付、おろしや御手當米或は會所御用錢を以貨殖
 筋ニ買入候分は勿論、悉ク上荷錢出方いたし候筈之段、
 驛馬受込別當え及達候事

 四三 文政元年六月
一御國町在之者共、堂上方之人馬帳等を願受、驛人馬受取
 候儀は難相成候處、相撲取共之内ニは心得違いたし居候
 者も有之様子相聞、不都合ニ付、以來右躰帳面等を以、
 人馬受取候儀は難叶段、町中え及達候事

 四四 文政元年八月 寶暦四年八月、寛政四年七月達
一馬士共一人ニて馬貮疋牽不申様ニとの儀は、兼て及御達
 置候通候處、高橋通之熊本馬士共之内、間ニ貮疋牽越候
 様子ニ付、示置候様馬差え及達候事

 四五 同二年六月
高橋町より石塘磧所上ニ平田船を登せ致積荷候儀ハ難叶      高橋町→五ヶ町の一つ、現・熊本市西区高橋
 段ハ、當四月十七日及達候通候處、右一件御取計之儀ハ      
 高橋町立行之為ニて、既ニ被及御達候上之儀付、今更御
 差留ニ相成候ては下方氣受ニも懸、於御役前も難相濟由、
 委細御内意之通候ヘハ無餘儀事ニも有之候得共、御存念
 通之御取計ニ相成候ては、細工町船屋共生産之妨ニ相成
 候由、右船屋共貸船を以産業ニいたし候儀は數年之致來、
 旁全御存念通之御取計は難叶事ニ有之候得共、前文御内
 意之通ニ付及僉議、磧所せかり居候内、右磧上ニ平田船      せかり=狭かり→「閉まっている」の方言「せかっとる」
 六艘登せ置、高橋町より積登せ候荷物運送いたし候儀は
 勝手次第相心得候様、尤、御用船と唱候儀は難叶、且又
 右六艘之船ニて致不足候分は、今迄之通、細工町船屋共
 致所持候船を借受可申候、右之通被仰付候上は、都て坪
 井川筋・高橋川口迄、通船之仕法不被究置候ては、後年
 煩敷筋可被出來哉も難計候付、以來左之通
一石塘磧所明キ居候節、高橋町より積登せ候荷物、商賣品
 は勿論、御用物・御家中荷物共一切、高橋町之船を以、
 何方迄も積登せ可申事
一右同断之節、熊本より積下候荷物は、御用物・御家中荷
 物共、細工町船屋共船を以本船迄積越、商賣荷物は高橋
 町迄積参か申事
一前條磧所せかり居候節、前文之荷物磧所下は、上下共都
 て高橋町之船を以致運送可申事
[朱書]「文政九年八月細工町船持共之依頼、已後石塘磧せ
 かり居候節、磧上ニ高橋町六艘登せ置候儀難成、磧上ハ
 都て細工町船荷積、磧下ハ都て高橋船荷積と分別被仰
 付、磧明り居候節ハ、文政二年相究居候通ニて被閣段及
 達候趣、四ヶ所町諸達扣高橋町之座ニ有之候事」
一右同断之節、磧所上下り荷物は、細工町船屋共船を以致
 積方、登り荷物は高橋町より積登せ可申、尤手船六艘ニ
 て不足之節は、細工町船屋共より借船いたし可致積方事
一前條之ことく致通船候節、高橋町之物共、細工町船屋共
 も手船及不足候ハヽ、相互双方より致借船、他所之船を
 借り候儀は難叶候事
  但、本行之趣相互致借船候儀ニ付、双方共貸船賃錢之
  儀は熟知ニ申談、不可致高直候事
 右之通被究置、細工町船屋共えも及達候段、高橋町御奉
 行え及達候事

 四六 文政六年十一月
一御蔵御年貢拂之牛馬幷荷付馬等、御花畑裏御門前下道牽
 通、在馬と町馬行逢候節之儀付て、今度在中より願出候
 趣有之、以來町馬は下道川端之方往來いたし、御年貢拂
 之牛馬ハ下道土手之方ニ寄牽通候筈ニ相究候間、行逢候
 節は御年貢拂之牛馬ニ對、強儀之仕形等不仕、川端之方
 往來いたし候様との儀、馬差甚兵衛え及達候様、驛馬受
 込別當え及達候事

 四七 同八年八月
一町馬取扱入念候様との儀、兼々御達之通候處、御蔵米付
 下等之節、口牽共我勝ニ馬を馳せ、往來之妨は勿論怪我
 人も難計、馬之痛ニも可相成候、其上不法ニ馬を打たゝ
 き候者も有之、重キ御役方見及も被致候由、追々示方不
 相用不届之事候、以來右躰之儀有之候ハヽ、名前承糺せ
 其分ニては被指通間敷候條、此段、馬士幷口牽之物共迄
 不洩様人馬會所え呼寄、委敷合點いたし候様可申示旨、
 馬差甚兵衛え致通達候様、驛馬受込別當え書付相添候
 事

 四八 文政九年十一月
一近御郡ニて買集置候俵物類、村々作馬を以熊本町牽通向
 々迄村越候付、馬士共迷惑いたし候付、以来津端其外所
 々え付越候商賣荷物、熊本町は夫々継替候様、若無據譯
 有之候ハヽ、其段人馬會所え相答上荷錢差出、人馬會所
 之印鑑を以牽通候様、先年御達ニ相成居候處、年久敷相
 成候付、間ニは心得違之物も難計、以來彌以右之通相心
 得候様、御郡中一統被及御達候間、人馬會所えも相達候
 様、驛羽化受込別當え及達候事
 

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■雨の中散歩

2019-02-19 10:34:02 | 徒然

 皆勤の朝散歩(時折・昼・夕)は237日目になった。
今日は朝から珍しく雨模様である。雨の中とはいえごみ捨てに出なければならない。
奥方が一月ばかり入院して以来、ごみ捨ては私の担当になってしまった。
今日とてあまり遅くなるとごみ収集車が通り過ぎてしまう。
雨の勢いに少々躊躇していたが、4・5㎜という感じの雨の中にごみ袋を提げて出発、ごみを処分後そのまま約45分ほどを散歩する。
今日は雨なのだが気温は上がりそうな予報、自衛隊前の桜並木の花芽を気にしながらすすむ。
正門を過ぎて左折すると、熊本市民病院の建設現場が見えてくる。
昨日はシートに覆われていた外装部分が一部顔を見せていた。昨日一日で足場も含め取り除かれ年末オープンの足音が聞こえる感じ。

             左手道路沿い部分の低層階部分が姿を見せていた

大きな傘をさしてあるいたが、横雨ではなかったものの、ダウンの背中はすっかり雨に叩かれ足元はびしょ濡れである。
今年も花粉症とみえて、目がかゆく鼻水が止まらない。今日は雨のせいで花粉もすこしは静まってくれるか・・・
喜寿爺も何とか元気です。


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■S家所蔵の熊本城の瓦

2019-02-19 07:19:40 | 史料

                                   

               ▲金箔が残る桔梗紋瓦

               ▼慶長四年八月の銘がある滴水瓦

                   

 先に「家系研究・山形家」(2)でご紹介した第58号に掲載されている、同家ご子孫が所蔵しておられる熊本城の瓦である。
今般鮮明な写真の提供を受けたのでご紹介する。
上▲は「清正公ご寝所」に葺かれていたとする金箔が残る桔梗紋の瓦である。
専門家の見解によると「伝来の経緯が怪しい」とのご指摘があったそうだが、これは「清正公ご寝所」の瓦であるという事に対する見解ではなかろうか。入母屋屋根の隅棟先端部かと考えたが、厚みがなく形からするとそういった殿舎のものではないように思える。
さてどのようなところに使われたものだろうか、素人判断は止めておこう。
下▼は慶長四年八月の銘がある「滴水瓦」であり、熊本県内でも数点しか存在していないとされる大変貴重なものである。
欠損部分も小さく状態も良くてすばらしい。

 山形家は遡ると「山根」氏・「村」氏と名乗られており、備後から肥後に入国して加藤清正に仕官し、慶長・文禄の役にも出陣しておられる。
加藤家没落後細川家に仕官され山形姓となり、細川家入国後加藤家の「桔梗紋」の瓦が九曜紋の瓦に差し替えられた折、瓦を頂戴して代々保管されたものだと伝えられる。

こういう品物は発掘などの経緯がはっきりしたものでなければ、なかなか真贋を含めて認められない傾向があるようだが如何だろうか。
科学的な調査が行われれば作成時期の特定などは容易にできるだろうと考えるが・・・

写真のご提供に感謝申し上げる。


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■中西太膳宛・細川齊樹の宛行状

2019-02-18 13:58:00 | オークション

                              
             
《細川斉樹知行宛行状》肥後細川家第11代当主/熊本藩第9代藩主/越中守/江戸幕府/江戸後期/古文書

 

 侍帳などにおいては「太膳」と表記されている人物だが、ここでは 宛名は「太善」と書かれている。
一画・二画の点のあとに「吉」の文字を窺がわせる「善」のくずし字である。
このオークションの品は、松本寿三郎氏の「熊本藩御書出集成」に掲載されている、下記「太膳」の項にある「細川斎樹公御書出(文化九年)百石」と同一内容のものであると思われる。松本先生が調査された史料が流出したのか・・・

      6、中西亀之允(養子 実・志水牛右衛門長房三男 格助
        
 明和五年・御近習御目付--寛政二年・御郡方御目付、御郡代
                寛政八年六月~寛政九年六月 上益城郡郡代
                寛政九年六月~寛政十一年六月 八代郡郡代
                寛政十一年六月~文化三年二月 芦北郡郡代
                    --文化三年・御番方
                    --文化四年・退隠(細川霊感公より)

      
 中西大閑 名は安福、格助と称し、大閑と号す。藩に仕へ食禄百石、近習目付、
            郡方目付及び郡代を勤む。性亢直にして果敢決断の人なり。又義父
            に仕へて善く孝養を盡せり。文政十一年正月に十五日没す。
            享年八十五、墓は子飼松雲院。

    
  7、中西      細川斎樹公御書出(文化九年)百石

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■怪帝ナポレオン3世

2019-02-18 10:20:32 | 書籍・読書
 怪帝ナポレオン3世
 
   講談社

 

 先週の「ブラタモリ」は、オスマンによるパリ大改造を取り上げていた。
建築を勉強した人間にとっては非常に興味深い番組で、楽しく拝聴したところだが、俄然このことに関する書籍を購入したいと思い至った。
パリの事なら「鹿島茂」だろうと検索してみると、膨大な数の著作に圧倒される。まずはこの本をチョイスすることにした。

パリ改造はオスマンの手により計画実行されたのだが、これを指示したのがナポレオン三世である。
この二人の情熱的思考が今日の「花のパリ」に結実した。しばし古文書をはなれての合間に、建築の世界に舞い戻ってみようと思い購入の手続きをとった。
大震災後の東京を大改造した、後藤新平の働きもまさにこの二人がお手本になっているのではないかと思える。
魅力的な郷土をつくるには、この様な優れた指導者の存在が不可欠である。

「鹿島茂」の著作はどれも魅力的である。私の本棚に彼の著作が数冊並ぶのではないかと予感している。

 

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■「市井雑式草書附録」(5)

2019-02-18 06:58:18 | 史料

        

 三五 文政元年七月
一熊本市中之者共之内、近年大勢相催大造講會いたし、右      講會頼母子講
 之内ニは貧家之者も有之、當前之難澁を凌候とて、末は
 猶々難澁いたし候様子相聞、不宣事ニ付、此節屹ㇳ被差
 留筈候得共、左候ては講連之内損益不同ニ有之、及迷惑
 候者も可有之候間、是迄取組置候分は無御構被差置候間、
 此以後、右躰之講を企候儀は堅不仕様、若致違背候者も
 有之候ヘハ、御吟味之上其程ニ應し被仰付筋も可有之段、
 町中え及達候事

 三六 同六年四月
一於他御領、金銀之直段高直之聞有之候得は、熊本等より
 下直之金銀を持行、向々之銀札ニ高直ニ賣放、其札ニて
 御國端之産物等を買調、利潤を得候取計いたし候者も有
 之由相聞、他所之銀札、御國え入込候様子ニ候、惣て御
 國預・他所銀札共、御領内々々限通用いたす譯之物ニ候
 處、右躰之手段を以他所札取入候ては、漸々と御國中ニ
 て廣り不相濟事ニ付、以來右様之取計いたし不申様、若
 此以後、右躰之取計いたし候者於相顯は、屹ㇳ被仰付筋
 可有之段、五ヶ所町え及達候事

 三七 文政七年八月
一以前は惣仲間ニて月番を立、金銀包方致來候處、去ル辰
 年より引分り、銘々包方有之段相達、銘々印鑑をも差出
 置候處、此節僉議之趣有之、包方之儀舊復被仰付候間、
 以來は惣仲間ニて月番を立、包方いたし候様、平田彦三・
 友枝善蔵・笠吉蔵え及達候事

 三八 文政七年十一月
竹田表え銀夥敷入込候由、右は熊本町其外姦商共銀持越     竹田豊後岡藩(竹田藩ともいう)
                      ママ(敷・誤植か)
 候由ニて、岡札餘計ニ入込候段相聞候、仍て怪我荷物と     岡札→ 同上・藩札
 見受候分は、在御家人より押取荷明いたし、相改、銀子
 ニ相違無之候得は、商人共押捕候様、御郡代え及御達候
 間、熊本町之者共、右躰之儀無之様及達候事

 三九 文政十三年閏三月天保改元
一迎寶町人數、喜三次七十九歳也扶助基手錢として、貮百目、忰             (ニ六)に関連記事有
 共え被渡下候趣、御救恤筋之部 褒貶之部也 ニ有之候事

 四〇 同年五月
一現錢他所密出被禁候儀ニ付、別紙書付一通差遣候間、町
 役人は不及申、市中末々ニ至迄、達之旨趣能々合點いた
 し、心得違無之様、懇ニ教示行届候様精々申付、人別印
 形申付、來月十日限相達候様、自然教示等閑ニて、不行
 届之儀於相聞は、別當以下丁役人迄、越度之筋ニも可相
 成候條、聊無油断心を用候様ニと、惣月行司え及達、四
 ヶ所町えも及達候事
  御國用上下利便之ため、寛政四年以來、御銀所等之錢
  預通用被仰付置、右融通之助として現錢入用分は相應
  ニ引替被渡下候、現錢被備置候付ては、大造之手數失
  費も有之候得共、一統便宜之ため、大坂御拂米代等よ
  り御取下ニ相成候事候處、現錢暫も御國内ニ留り不申
  様子ニ相聞、自然は姦商躰之仕業ニて、他所え抜出ニ
  ては無之哉、現錢密出之儀は兼て堅被禁置、第一金銀
  同錢を以、唐紅毛人より抜荷致直買候者共は、聊之品
  たり共以後可為死罪旨、公義御觸之趣も有之、御國之
  儀は長崎え近ク、若現錢他所え密出いたし、其末異國
  人之手ニ渡候様之儀も有之候ては、如何成御難題筋差
  起可申哉も難叶、被對公邊え候ても重疊不相濟次第ニ
  付、彌以他所密出を被禁候條、其旨屹ㇳ相心得可申候、
  若旅出不致候て難叶子細も有之節は、其譯筋々申出可
  受差圖候、若御法を犯し密出いたすニおゐてハ、現錢
  は直ニ御取上被仰付筈候條、密出之儀見出聞出次第、
  早速相達可申候、仍て途中船中ニても心を付、密出を
  見出候ハヽ、其錢を押置、最寄之役方え相達候様、尤
  旅人之手ニ渡候分は、旅人え懸合、何方何某より受取
  候哉承糺、受取向明白いたし候ハヽ、旅人えは現錢を
  持せ差通候様、左候て、旅人え相渡候たけ之員數は密
  出いたし候者より、屹ㇳ辨被仰付筈候、惣て密出いた
  し候儀、跡達て相顯候とも、糺明之上其者より密出之
  員數是又辨被仰付候、尤右密出之儀達出候者は別段御
  心付可被下候、たとひ現錢密商・密出之企ニ加り候と
  も、前非を改訴出候節は其咎を免され、同様御心付可
  被下候、此段町中小前/\ニ至迄不洩様早々可被達候
  以上
   五月

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■菫・二種

2019-02-17 16:05:05 | 徒然

 昼から散歩に出て自衛隊を一回り途中でホームセンターにより買物、となりの園芸&ペットショップを散策すると肥後スミレがポット仕立で売られている。
二三年前、種子を購入して蒔いたのだが発芽せずに残念な結果になったが、苗なら育つだろうとポットを二つ購入642円也。
ぎざぎざの葉っぱに、写真のような白い可愛いい花が咲く。随分小さな苗でいつ花が見られるか待ち遠しい。

             

 そして帰宅の途中、日当たりのよい高い崖地に沢山スミレが花をつけていたので、デジカメ撮影してきた。何の変哲もない野スミレだが小さくてかわいい。
夏目漱石の句で有名な「菫ほどな小さき人の生まれたし」を思い出した。「目立たず小さな存在だけれど、懸命に生きる菫程愛らしいものはない、目立たなくても良い、ひっそりと自分の力を尽くす人生でありたい。」というのである。
漱石の心情が込められている。才能ある人の言だけに心にしみ、シャッターを切った次第。

              

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■熊本城マラソンの日

2019-02-17 11:03:33 | 熊本

 数々の名選手の登竜門となった「金栗四三記念・熊日30キロマラソン」+市民参加型の「熊本城マラソン(フルコース)(復興チャレンジ)」が現在市内を駆け抜けている。
熊本春の恒例行事として定着しているが、選手にとっては現在薄曇りの絶好のコンディションである。
「熊本城マラソン」は抽選(2.3倍とか)をへて、13,000人程が全国津々浦々から参加されて、沿道の応援も趣向を凝らし年々盛り上りを見せている。

 私はと言えば人混みが苦手で、一度も見に行ったことはないが、TV局が二社中継放送をしているから、こちらを時折眺めるといった按配である。
昨日は熊本史談会の例会で会場の市民会館迄出かけ、市役所周辺は準備のために賑わいを見せていた。
私は史談会で二時間ほど立ったままでのおしゃべりや、帰りは重たい荷物を以て帰りすっかり疲れ果て、帰宅後は少々うたた寝をして鼻風邪を引いてしまった。散歩もこのマラソンのTV観戦後に出かけようという次第である。


 

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