九七八
一太守様先月廿九日御家督被為蒙仰候ニ付、為御祝儀進上
者之覚
一太守様え干鯛一折御物頭列、但五百石以上三枚
五百石以下貮枚
右同一折御奉行所觸、但御知行取組合拾枚
御中小姓組合拾枚
干鯛一折五枚川尻御船頭、御知行取・御中小姓組合
右は以便状進上之筈候
一御歡状差上候儀、隠居等奉願置又は御役断願書差出置
候面々も、扣ニ不及便状を以差上被申筈候、且又御肴
差上候面々之内故障等有之候ハヽ、障明候上御肴代上
納、御歡状支配頭より添状を以江戸詰御小姓迄
一濱町様え干鯛一折御物頭列、但五百石以上
五百石以下無差別貮枚宛
右同一折御奉行所觸、但御知行取組合五枚
御中小姓組合五枚
干鯛一折三枚川尻御船頭、御知行取・御中小姓組合
右之通進上之筈ニ候、尤右之外一局/\之御知行取・御
中小姓等は相列/\催合ニて御肴進上有之筈候、且又御
物頭列・御知行取・御中小姓來ル十九日・廿一日両日之
内、麻上下着四時より八時迄之間御花畑え出懸出仕謁御
小姓頭、御歡被申上筈候、右之面々進上之御肴は目録を
以遂披露候筈候間、來ル十九日迄ニ御物頭列名付、御知
行取以下は組合之名付相達候筈ニ付、前以名付等可被相
達候、右両日之内故障差合之面々は障明出仕之筈候間、
幾日迄差合との儀一同ニ被相達候様、左候ヘハ出仕日限
之儀は追て申達筈ニ候
一右為御歡、組ニ不入御中小姓以上、麻上下着來ル十九
日・廿一日両日之内御家老中・御中老廻有之筈候
右之通可及達由従御小姓頭申來候間、左様可被相心得候、
以上
四月十五日 御奉行中
九七九
一今度就御家督來ル廿三日於御花畑御祝被仰付候條、別紙
書附之面々麻上下着可被罷出候、刻限等之儀は右書付ニ
有之通候間、得其意、觸支配方へも可被達候、以上
四月十七日 奉行所
一御備頭より御物頭列迄 右五時揃
一御郡代以下組ニ不入御中小姓以上
幷歩御使番より獨禮之者迄 右九ッ時揃
一歩御小姓より諸役人段迄 右八時過揃
以上
九八〇
一太守様去ル四日依召細川熊之允殿御名代細川喜十郎様御同 細川熊之允→細川齊護の同母弟・宇土細川藩10代・行芬(17歳)
道、御登城被遊候處、只今迄太守様え御内分之通熊之允 細川喜十郎→常陸谷田部藩の第7代藩主・興徳
殿え相續被仰付旨、御用番青山下野守様被仰渡候由申來
候、此段為承知申達候、觸支配方えも知せ置可申旨御用
番被申聞候條、以下例文
四月廿二日 御奉行中
九八一
一太守様御家督之御禮被仰上候節より、越中守様と御名被
遊御改度旨、御願之通被仰出候段御到來有之、奉恐悦
候、此段為被奉承知申達候條、觸支配方えも可被達候、
以上
四月廿ニ日 御奉行中
九八二
一平野九郎右衛門病氣ニ付御役御免、御留守居大頭列被 平野九郎右衛門→6代 文政七年九月~文政九年四月 中老
仰付、朽木内匠殿御中老職被仰付候段、四月廿八日御奉 朽木内匠→朽木家8代・昭久
行達
一於西丸姫君様・御男子様御誕生、咸姫君様・松平春之丞 咸姫→ 德川家慶四女・夭折か
様と奉稱候旨、四月廿七日奉行所御觸之事 松平春之丞→德川家慶六男・夭折、徳川家定は同母兄(四男)
九八三
一御家中鹽渡及不足、其分は御買上を以被渡下候、右付て
は御中損も有之候間、惣並渡は當夏より、御割賦鹽は當
十月後、壹俵ニ付代錢五匁五分宛上納被仰付候、此段可
及達旨候條左様御心得、已下例文
五月九日 御奉行中
九八四
一來ル廿二日、諦觀院様御百ヶ日被為當候ニ付、於泰勝寺
御當朝御法事御執行被仰付候、依之右御法事相濟候以後
例月十二日之通、御中小姓已上可有参拝候、尤御當日諸
事相慎火用心彌堅可被申付候、此段觸支配方えも可被達
候、以上
九八五
一太守様去八日御老中様御連名御奉書御到來ニ付、翌九
日御登城之處、於御前御元服従四位下侍従御敍任被為蒙
上意、御字・御腰物御拝領、御盃頂戴、御實名齊護公と 四月九日従四位下侍従敍任、齊護と名乗る
被遊御改、諸事御家格之通御首尾好被為濟候段御到來有
之、重疊奉恐悦候
一御名乗之文字付居候面々は改可申候、名乗之文字護と申
唱之字ハ文字替り候ても改可申候、右之趣觸支配方えも
可被達候、以上
五月廿五日 奉行所