九九二
一今度御入國之上、於御城御禮被遊御請候節、大勢之御禮
人即朝ニ至習禮有之候てハ手間取、御禮刻限遅々いたし
候間、習禮有之度面々は前以着座は最寄之御小姓頭へ懸
合有之、御物頭以下は都て最寄之御使者え懸合習禮相濟
居候様、且又揃刻限よりは随分早メニ相揃、御禮之即朝
は御間所幷御畳目等之拝見迄貮て御禮速ニ相濟候様、尤
御城は御座所等も御間近ニ有之候間、不敬之儀等無之様
相心得、子弟之面々えは父兄より精々可被示置候
一於御花畑御目見諸御禮等被為受候節之儀月ては、文政九
年委細及達置候通、彌以定例ニ相心得、組支配方え御目
見諸御禮被遊御受候節は、不洩様頭々より其達有之、御
目見申上候面々えは習禮等之儀も父兄より可被心附候、
右付ては猶又御小姓頭より相達候趣も有之、此段可及達
旨御用番被申聞候條左様御心得、已下例文
六月廿日 御奉行中
九九三
一來ル廿七日朝六時之御供揃ニて大津御發駕、御花畑え被
遊御着座旨被仰出候段申來候
一御花畑え御着座之上、御両殿様え為御歡組不入御中小姓
以上、麻上下着御家老中・御中老廻有之筈候、且又同夕
御物頭列以上麻上下着之、御花畑え出懸謁御小姓頭え、
被奉伺御機嫌筈候、右之趣は定達之事候得共、此節は初
て御入国之儀ニ付、此段可及達由御小姓頭より申來候條、
左様可被相心得候、以上
六月廿四日 御奉行中
九九四
ナル ナリ
一就君様御名今度就君様と御唱御改被成候、此段觸支配方 就 →細川治年女・久我前内大臣通明簾中
えも可被相知候、以上
六月廿五日 奉行所
九九五
一今度就御入國、來ル六日・九日・十一日於御城御家中御
禮被遊御受旨被仰出候條、別紙書附之通、長上下着可被
罷出候
一右出仕之面々大手御門より罷出、杉垣西迦より下馬可被 長上下
仕候、御門内供連様之儀は御小姓頭より立有之筈候、大
手御門より内御玄関前迄之間ニて多葉粉捨不申、高聲等 多葉粉→きせるたばこ
不仕、諸事不形儀無之様、尤御警固幷押之者差圖違背仕
間敷旨、家來/\え堅可被申付候、此段觸支配方えも可
被相觸候、以上
七月朔日 奉行所
一御備頭より御物頭同列迄 七月六日
一初日不参之面々
一御郡代より佐敷御番迄 七月九日
一初日・二日不参之面々
一御中小姓組脇より諸切米取幷獨禮之
町人、御扶持被下諸職人・諸町人 七月十一日
右三日共朝六ッ半時揃
一初日・二日・三日不参之面々は、追て於御花畑御禮被遊
御受筈候事
以上
七月
九六九
一今度於御城御禮被遊御受候節、出仕之面々家來之内他國
者有之候ハヽ、供ニ連被申間敷候、此段可及達旨候條左
様御心得、已下例文
七月二日 御奉行中
九九七
一今度於御城御禮被為受候節、差上物等之儀御小姓頭より
申來候間、則別紙引取書二通差廻候條、左様可被相心得
候、以上一組
七月三日 御奉行中
今度於御城御禮被為受候節、差上物左之通
一御物頭同列 御樽代 五百石以上鳥目三拾疋
五百石以下右同貮拾疋
一組付御知行取 右同 一組限鳥目百疋宛
一御中小姓 右同 一組限右同五拾疋宛
右之外一局/\之御知行取・御中小姓等、相列/\催
合ニて、右ニ准御樽代上納之事
以上
御城御禮之節御城内供連左之通
一御物頭幷同列組付御知行取以下、右何れも草履取一人
宛御數寄屋丸御門之内、坂之上迄供連可被申筈
右之通ニ候、雨天ニ候得は何レも闇り御門迄草履取一
人宛連被申筈、尤御用ニ付闇り御門内え供連候面々は、 闇り御門
御警固頭え相断可被任差圖候、惣供は大手御門外え可
被殘置候事
以上
九九八
一五節句御禮之儀、是迄之通惣出仕被仰付候得共、當七夕
御禮之儀な未御城御禮不被為濟候ニ付、御用番謁被仰付
旨被仰出候條、奉得其意、觸支配方えも可被達候、以上
七月二日 奉行所
九九九
一今度御城御禮之節、座並御禮申上候面々揃所之儀、平左
衛門丸内ニ被究置座並札打せ置候間、右之所ニ揃罷在、
御禮初り前歩御使番より申達次第闇り御門より入込、四
辻御門通抜右之方ニ輕輩口と張札有之所より御間内え入
込可申候、尤闇り御門より輕輩口迄置座幷竹簀敷込、雨
天たり共通路無支候間、闇り御門内ニて刀を持せ小者は
開せ可申候、此段御支配方座並御禮申上候面々え可被相
達候、以上
七月五日 御奉行中
この正面に四辻御門があった。
闇り(くらがり)通路とは本丸御殿の下に位置する長さ約20間ほどの地下通路である。
御門は御殿の「昭君の間」の中央真下当たりに位置し、若松の間・桐の間・桜の間・鶴の間の下が闇り通路である。
ここに四辻門があった。左折すると「四辻脇北御門」があり、ここから二階へ上ることになる。
御殿や天守部分が高い位置にあるため、やむなく地下通路が作られており、熊本城独特のものである。