四
二八 文化十一年三月
一支配違之者、猥ニ市中え居住いたし候儀難叶段は、兼て
及御達置候通ニ付、彌以連々之御達筋堅相守候様、且又
町人數之ものたり共、他懸貮居住いたし候節は、以來本
所之丁頭え願出せ、丁頭より其町人數貮相違無之との儀
向々丁頭え送りを付、双方共委敷遂吟味、紛敷儀無之候
ハヽ、御國法等屹ㇳ相守、丁役之申付等違背仕間敷との
儀、其所之丁頭見込次第二請書申付請取置、其上にて引
移せ、自然心得違之儀も有之候ハヽ生所之丁頭え送り返、
彌以他支配之者猥ニ居住不致様、町中え達ニおよひ候事
二九 文化十二年三月
一家屋敷買添いたし又は懸屋敷等買取候者、町並に蔵を建、
或は屏圍等いたし、竈を潰候ては末々之者住所少相成、
丁所も不賑ニ成行候事ニ付、其勘辨佳致處、當時猥ニ相
成候様子ニ付、以來彌以堅令停止候、若無據子細有之懸 無據→よんどころなき
屋敷等買取候ハヽ、其譯相達、借家にいたし候歟、又は
見世を出し可申候、且又他支配之面々明内居住之儀表向
には屋代を差置、町並之番公役等相勤せ申筈に候、空名
之屋代を立、表向ニ致居住候儀、以來彌以令停止候旨、
天明八年七月一統及達置候處、近年又々猥ニ相成候様子
二相聞、心得違之至候條、彌以先年及達置候通堅相心得
候様、町中え及達候事
三〇 文化十二年三月
一他支配之者、町並居住は難叶御格に候處、近來ニ至候て
ハ、在人數之内々ニて入込居候哉ニも相聞不埒之至候、
右は畢竟、家移借家移等不取■之所より、右躰之儀も出 ■扌偏に乄=締
來歟致哉、依之以來は家移借家移之者は、都て今迄居住
之面々より、丁頭仕出之送り手形ニ、別當裏印を用、町
方御横目口印を取、其時々相達候様、且又市中之儀、役
儀等相勤候者之外は、病死出生之届是迄無之候處、以來
は村人數ニいたるまで不洩様、其時々丁頭え届出、丁頭
よりは通帳ニ記、別當え届出候様、左候て右通帳惣月行
司別當より取揃、毎年正月ニ至相達候様、且役儀等相勤
候者、産穢幷忌中病死之届を、今迄之通早速/\此方え
も相達候様、町中え及達候事
三一 文化十二年四月
一町方ニて米錢借貸之儀、間ニは空躰之取組等いたし、甚
及難澁候儀も有之段相聞不埒之至候、就中家屋敷書入證
文ニて現錢借受候分は、全家質之事ニ付、限ニ至聊難
澁可仕訳無之候處、是又間々不埒之儀有之、御歳許をも
願出不都合ニ候、依之以來右躰之申談ハ、家賃證文を相
調、利も六七朱を限五人組共受人ニ相立、丁頭・別當共
聞届候段、連印を以銀主え可相渡候、然上は不埒於有之
は、申出次第證文前之通屹ㇳ可申付旨、安永八年三月一
統及達置候處、近年ニ至心得違之者有之、御格通之證文
取置不申、返辨不埒ニ相成候節ニ至御裁許願出、不都合
之至ニ付、彌以先年及達置候通屹ㇳ相心得候様、町中え
及達候事
三二 文政三年四月
一御府中町家之孫庇、近年間ニは尺長之庇も有之、町幅狭
キヶ所/\萬一出火等之節、往來之障ニも可相成哉之様
子ニ相見候付、以來尺長之庇は懸方不致様、尤各別尺長
ニて町並不揃之庇も有之候ハヽ、此節取替候様、且亦、
孫庇は町並外道幅ニ懸候物ニ有之候處、間ニは本宅ニ取
込作事いたし居候ものも有之由相聞、不都合之事候、此
節取除可被仰付筈候得とも、有懸りは先其分ニて被差置
候條、此以後作事之節屹ㇳ取除候様、惣月行司え及達候
事
三三 文政四年十月
一負銀不埒之譯ニより分散被仰付候者共、負高仕向相濟候
上は、後年身上成立候儀も有之候ヘハ、何ヶ度ニても身
上限取揚、銀主え被渡下儀は勿論之事候得共、間ニハ表
向借宅之唱ニて、己は安らかに致渡世、銀主々々えは莫
大之損失を懸ヶ、奸曲を以身抜いたし候儀も有之様子相
聞不届之至候、以來右躰之者は、其節々被及御達、熊本
町は不及申、四ヶ所町共ニ裏借家居住は勝手次第、表屋
ニ致居住候儀は被差構筈候段、寛政四年二月、町中一統
及御達置候處、近年ニ至、自他之商賣品は餘計ニ取入、
代錢拂方不埒いたし、身代及分散候躰之者も間々有之様
子相聞、重疊不届之至候、向後自他共一統銀錢之取遣筋、
實意を以取計、不埒無之様相心得可申候、自然巧之筋を
以不簾之取計等仕候者は、御吟味之上屹ㇳ御咎可被仰付
旨、惣月行司へ及達、四ヶ所町えも及達候事
三四 安政三丙辰年十二月廿一日
一町家作事之節、横幅之寸尺、軒帳前より餘寸有之候ヶ所
餘寸丈ヶ殘置、軒帳前通切組、又は軒帳前より寸尺縮居
候ヶ所、両隣え熟談之上、古家通之尺寸ニ切組候得は、
子細無之筈之處、近年追々古形解除候跡ニて、両隣之境
出入之異論差起難相濟事ニ付、向後作事打立候節は、古
家解除不申以前、町役幷両隣之亭主と大工棟梁を頼ミ、
横幅古形之寸法を改書記町役え預置、其寸法通切組せ候
様、町中不洩様可及達旨、惣月行司え及達候事