八
七九 文化九年七月
一御府外御出向御道筋ニて、下方之者共、畑中へ深平伏仕
候得は、作之痛ニ相成候儀、矢張御道筋脇え平伏仕居候
様被仰付候、自然町家之者御府外え罷出、御道筋ニ参懸
り候ハヽ、右之痛相心得候様、町中え及達候事
八〇 文政四年七月
一所々御出御供揃御刻限半時前、御掃除頭以下、御道筋見
分として出方之節、町屋之儀は、其懸り/\之別當以下
罷出、掃除等致せ置、右御掃除頭以下見分として、通行
之節迄相待居、掃除等不見分ニ相成候ヘハ、差圖を受申
筈ニ付、以來御共揃御刻限半時前、町中掃除等相濟候て
も、御掃除頭以下見分有之迄は、罷出居候様、惣月行司
へ及達候事
八一 文政九年八月 草履・草鞋
一町内被遊御通候節、店先ニそふりわらし下ヶ置候分は、
すへておろし置申筈候、其外店ニ出置候商賣ものハ、其
儘ニさし置不苦候、尤自然道筋ニ張出置、御通之妨ニも
相成候品は、前以片付置候儀勿論ニ候段、總月行司え口
達書相渡候事
八二 文政十一年十月
一太守様略御行列二て野方御出、夜分町中御通之節は、挑
灯を燈來候由二候得共、以來本御行列之節は各別、略御
行列二て御通行之節は右挑灯燈候ニ不及段、及達候事
九
八三 文政十年正月
一熊本町之者共、力量有之角力取ニ相成申度者共、親類・
五人組・所役人も故障無之、節々願出候者は得斗相糺、
其様子ニ應し其段相達、受差圖候様、且又御制外之衣類
等着用之儀は、勧進角力興行之内、宿屋より興行場所迄
之儀は其通候得共、右之外平日角力懸り等ニて、他行い
たし候節は勿論、其外願解祭禮角力なとの節、右様之身
なりいたし候儀は屹ㇳ被差留旨、町方え及達候事
不知火光右衛門 不知火諾右衛門 大空武左衛門肖像 / 渡辺花山 [画]
八四 同年三月
一御府中於所々、勧進角力或は歌舞伎芝居・見せ物等及興
行候節、其場所え詰方之御役/\え、受元之者より會釋
ママ
として、毎日酒肴晝喰等差出、間ニは廻役之内ニは疊等
引除置、客疊と唱、家内又は手寄之者を日々無札ニて
入、失墜有之、請元之者及迷惑候哉ニ相聞候間、以來決
て右躰會釋ヶ間敷儀等いたし不申様、若心得違之筋有之
候ハヽ、見聞方御役人より相達候様及御達候段、總月行
司え及達候、将又新一丁目幷両坪井市場え出役之御役方
休息所え、相應ニ會釋もいたし來候由ニ候へ共、以來右
躰失費ヶ間敷儀は遠慮有之候様、右懸り別當へ及達、出
役之面々えも及其達候事
八五 文政三年三月
一町在之者、力量有之、角力取ニ相成申度者は、親類・五
人組・村役人も故障無之、筋々願出候者は得斗相糺、其
様子ニ應し被差免候との儀付ては、去ル文化十年正月委
細及御達置候通候、然處、近年於在中聢ㇳ力量無之もの
共も、無願ニて内分角力取ニ相成居候者も有之哉ニ相
聞、間ニは前髪を立、或は異躰之衣服提物等、御百姓不
似合之身なりいたし候者も有之様子ニ相聞、村役人共も
等閑ニ押移候ともニては無之哉、彼是不埒之至候、依之
以來右躰之者は、村役人等より屹ㇳ差留、若承引いたし
不申者も候ハヽ、各手許え達出候様、左候ハヽ早速召捕、
■方申付置相達候様、右之趣庄屋・村役人は不及申、小 ■扌偏に乄=締
前/\えも不洩様屹ㇳ及達置候様、御惣庄屋え御郡代よ
り達ニ相成候寫、五ヶ所町え差遣、町屋も同様之事ニ
月、堅相守候様及達候事
八六 文政三年十月
一近年地蔵祭之節、市中ニて仰山ニ作り物等いたし候様子
ニ付、御時節柄旁たとひ費ヶ間敷儀無之候とも、仰山之
作り物等不致様との儀、追々及達候通候處、當年も華麗
成ル作物いたし候所も有之たる哉ニ相聞、御達之趣相背、
不埒之事共候、以來、右祭之節、作り物大略左之痛
一作り花之類
但、紙一式
一人形類
但、數はニッ三ッを限、時候有合之野菜類を以作り立
候分不苦
一至て手輕ヒ杓子類之小道具、費ニ不相成品々、幷貝から
躰之捨利ニ成候程之品々
一小家懸幕圍
但、是迄有來之痛ニて間數二間歟強て三間を限
右之分不苦候
一金銀錢は勿論、渡金之金物類難成候
一絹類は勿論、櫛・笄・髪飾・楊枝指類難成候
右之通被定置候、尤以來作り物いたし候所ニは、其所之
丁頭々々より、前廣ニ町方御横目之内え、ヶ様/\拵候
と申儀相達、差圖を受候様、若右之手數無之作り物は、
假令不苦品々たり共、右御横目及見次第早速差留、右ニ
携ろ候もの共は、屹ㇳ被仰付筋有之段、總月行司え及達
候事