銀座ニコンサロンに足を運び、石川文洋さんの写真展『戦争と平和・ベトナムの50年』を観る。
言うまでもなく、石川さんは米海兵隊の従軍カメラマンとしてベトナム戦争を取材した人であり、また、南ベトナム側で取材した者としてはじめて、北ベトナムの取材を許可された人でもある。
ベトナム戦争は、東西冷戦の生み出した1コマにとどまらない。米軍は、太平洋戦争中に日本に投下した20倍以上もの量の爆弾を、共産主義とみなしたベトナムに使用した。空爆だけではなく、ベトコンが潜伏しているとして村々を無差別に攻撃した。この写真群には、その隠しようもない姿が焼き付けられている。これらを凝視しても、被害者の恐怖の表情とは対照的に、米兵ひとりひとりの表情に何か物語に加工しやすい傾向を読みとることは難しい。
若い米兵は、戦争の背景はもとより、攻撃の相手が誰かなど知らされもせず、考えうる環境にもなかった。兵隊のリクルートや教育は、そのようになされていた。まさに、故アラン・ネルソンが語ったように。
「・・・皆さんは理解しなければなりません。何を理解するかというと、私たちは海兵隊員であり、軍隊であり、私たちは人を殺すために訓練されているということです。」
米兵の中にも差別は存在した。黒人兵が、戦地で不安そうに佇む写真がある。かれらはしばしば最前線に駆り出され、死亡率は非黒人兵よりも明らかに高いものだった。
かれらは紛れもない加害者であると同時に、被害者でもあった。だからと言って、歪に被害意識を肥大させ、加害性を覆い隠すことは、どこかの国のようになされてはならない。このようにベトナム戦争を視ることは、戦争に加担した日本の間接責任を忘却せず、また、歴史修正主義がいかにおぞましい所業であるかを意識することでもある。
写真は、ベトナム戦争だけではなく、その後のベトナムとカンボジアのポル・ポト軍との紛争、それを理由とした中越戦争、いまだ続く枯葉剤の被害をもとらえている。映画『石川文洋を旅する』も、観なければならない。
●参照
石川文洋講演会「私の見た、沖縄・米軍基地そしてベトナム」
石川文洋『ベトナム 戦争と平和』
金城実+鎌田慧+辛淑玉+石川文洋「差別の構造―沖縄という現場」
石川文一の運玉義留(ウンタマギルウ)
石川文洋の徒歩日本縦断記2冊
スーザン・ソンタグ『ハノイで考えたこと』
伊藤千尋『新版・観光コースでないベトナム』
枯葉剤の現在 『花はどこへ行った』
『ヴェトナム新時代』、ゾルキー2C