堀田善衛『天上大風』(ちくま学芸文庫、1998年)を読む。
「ちくま」への長期間の連載(1986-98年)をまとめたものであり、単行本として刊行された『誰も不思議に思わない』『時空の端ッコ』『未来からの挨拶』『空の空だからこそ』がすべて収録されている。
この連載は、わたしも当時にときどき目を通していて、ちょうど1年前、『時空の端ッコ』を見つけて読んだ。このような形でまとまっているとは知らなかった。とは言っても、損をしたと言うつもりはない。読むたびに、最高の知性に触れることができ、刺激を受けないわけにはいかないからである。
著者は、戦争末期に上海に渡り、その後アジア・アフリカ作家会議を通じて他国の文学者と交流し、晩年にはスペインに住んだ。コスモポリタンではあったが、単なる世界主義者ではなく、地域の文化と歴史とを文字通り体感し、それをもって世界を考える人であった。
たとえば、ユーゴスラヴィア内戦に対して、ローマ帝国の東西分裂(330年)に遡る。まさに、ビザンティン帝国と西ローマ帝国との境界は、イスラム・ボスニアとギリシャ正教セルビアを東、カトリック教クロアチアを西側として貫いているのであった。アイデンティティの起源をそこまで求めなくても、クロアチアのナチス傀儡とセルビア・ボスニアとの戦い、旧ユーゴ・チトー政権のセルビアによるイニシアティブ、民族間のきびしい争いなど、歴史は古代から現代までつながっている。著者の視点は、そのようなものである。
また、スペイン内戦については、ファシズムとナチズムに対する戦いであった第二次大戦の先駆と位置付け、「若者たちが理想のために、誰に頼まれたわけでもなくて、自発的にその理想を守るために、外国へ、生命懸けの戦場へ出ていったことがあった」ことを強調している。
著者は、「過去と現在こそが、われわれの眼前にあるものであって、それは見ようとさえすれば見える」と言う。未来は背後にあり、なかなか見ることができない。しかし、見なければならないものは歴史であるということだ。