エマニュエル・レヴィナス『実存から実存者へ』(ちくま学芸文庫、原著1984年)を読む。
だれもが、実存から逃れることはできない。だれもが、実存の内に置かれている。自分の存在は唯一無二の事件そのものであり、類型化も抽象化も不可能である。
この、レヴィナスによる大前提は、各々による苛烈な内なる闘いをもたらす。気だるさ、怠惰、疲労、義務、努力、希望といったものさえも、レヴィナスにかかると、実存は実存の中で個別に視ることしかできないゆえの足掻きの現象となる。これは恐ろしい思想である。だれもが地獄を抱えつづけなければならないのだぞと宣告されているのだから。
外部に逃れえないために、世界において他を対置して存在を論ずることは、実は、無理のあるヴァーチャルな行為である。これが、レヴィナスによるハイデガー批判にもなっているわけだが、またそれは、傲慢なる他者支配の基盤そのものに疑いを見出す考えでもあるのではないか。
「・・・自己から外に出た自我は、暴れ出すか、さもなければ非人称的なもののなかに落ち込んでしまうからだ。」
●参照
エマニュエル・レヴィナス『存在の彼方へ』(1974年)
エマニュエル・レヴィナス『倫理と無限』(1982年)
ジャック・デリダ『アデュー エマニュエル・レヴィナスへ』
合田正人『レヴィナスを読む』
高橋哲哉『記憶のエチカ』