Sightsong

自縄自縛日記

ビル・マッケンリー+アンドリュー・シリル@Village Vanguard

2014-06-29 13:32:24 | アヴァンギャルド・ジャズ

今週は、ビル・マッケンリーアンドリュー・シリルが組んでVillage Vanguardに出演。ジャズファンなら知らぬ者はないVillage Vanguardである。近づくと、意外に迫力なくぽつんとした佇まいだった(笑)。(2014/6/28)

Bill McHenry (ts)
Andrew Cyrille (ds)
Ben Monder (g)
Reid Anderson (b)

何といっても、「あの」、アンドリュー・シリルである。セシル・テイラーの日本公演を収めた『Akisakila』において、最初に「Drums! Andrew Cyrille!」と呼ばれるレジェンドである。

今回の編成は、マッケンリーの『Ghost of the Sun』http://blog.goo.ne.jp/sightsong/e/04a326a2c923abd286e60fc6d6c2b215)のドラマーが、ポール・モチアン(故人)からシリルに変わった形。

さて、そのシリルが数メートル先にゆっくり座る。音は意外に小さい。聴いているうちに、あまりの悦びで手足が勝手にぴくぴく動き、顔が勝手に笑ってしまう。迫力で攻めるとか音が小気味良いとかいったものではない。文字通りの「キレキレ」なのだ。武道の達人が、余裕を十二分に残して、すさまじい速さで「キレキレ」の演武を繰り広げるような感覚。ふとソロの間で休んでいるマッケンリーを見ると、かれも似たような笑みを浮かべて目をかっと開き、シリルを見つめていた。このように血が逆流する体験があると、ジャズファンでよかったと思ってしまう。

マッケンリーのテナーはオーソドックスなアプローチ。「Bye Bye, Blackbird」のソロはまったく冴えなかったが、オリジナル曲は良かった。仮に全部が良かったとしても、シリルにすべて持っていかれたかもしれぬ。

『Ghost of the Sun』では、モチアンの伸び縮みするドラムスが、ギター、サックスと化学変化を起こしていた。それに対し、ここでは別の音楽になっていた。このメンバーでの吹込みも聴きたいところだ。

演奏の終了時のMCでは、マッケンリーもシリルのことを「レジェンド」と表現していた。MCなのに、いきなり、「シリルの最初の吹込みは、コールマン・ホーキンスと、なんだぞ。それからセシル・テイラーとの共演・・・自分は『Conquistador』が一番好きだな。ジミー・ライオンズとのデュオも素晴らしい」などと、ファンそのものの解説。やっぱりね。

終わった後に、シリル氏と少し話をした。「日本か・・・もうしばらく行っていないな。呼んでくれれば行くよ」と。仮に来日でもしたら、演奏にみんな狂喜することだろう。そしてマッケンリー氏に『Ghost of the Sun』とのドラマーの違いを訊いてみたところ、ふたりと共演できて幸運だとだけ言った。

ふたりにサインをいただいた

●参照
ビル・マッケンリー『Ghost of the Sun』
http://blog.goo.ne.jp/sightsong/e/04a326a2c923abd286e60fc6d6c2b215
アンドリュー・シリル『Duology』
http://blog.goo.ne.jp/sightsong/e/85e1ac69a692dfbd25c0c52b4c1f3f21
セシル・テイラー『Dark to Themselves』、『Aの第2幕』
ジョー・ヘンダーソン『Lush Life』、「A列車で行こう」、クラウド・ナイン
デイヴィッド・マレイ『Saxophone Man』
ウィリアム・パーカーのベースの多様な色
ブッチ・モリス『Dust to Dust』
ザ・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ


MOMAのジグマー・ポルケ回顧展、ジャスパー・ジョーンズの新作、常設展

2014-06-29 08:13:32 | 北米

MOMA(ニューヨーク近代美術館)に足を運んだ。目当ては、ジグマー・ポルケの回顧展である。

ポルケはドイツ占領下ポーランド生まれ。戦後、東ドイツから西ドイツへと移住している。

かれの作品群をまとめて観ると、冷笑や皮肉と表現しては軽々しすぎるほどの狂気の毒流が実感できる。かれが師事したヨーゼフ・ボイスや、A・R・ペンクといったドイツのアーティストがそうであるように。このことを、二次的に、戦後流入してきた消費文化=アメリカへのアンチテーゼと説明することはできるだろう。その(攻撃の?)対象は、モノや広告だけでなく、抽象表現主義にも及んでいた。

モノやカネという駆動力がないなかで一見弱弱しく立ちながら、何ものかに回収されることのない活動というべきか。ちょうど前日に、アメリカ消費文化の中にどっぷりとつかる覚悟をジェフ・クーンズの作品群に見ることができたために、それとあまりにも対照的な姿として、大変印象的だった。

会場では、亡くなる直前に手がけられた、チューリヒの教会のステンドグラスが映像として流されている。ポルケの作品には定型的なスタイルがなかったことの証明のひとつかもしれない。もちろん、素晴らしい出来である。

別の階では、ジャスパー・ジョーンズによる「Regrets」と題された新作群が展示されている。

フランシス・ベーコンが絵のモチーフに使った写真が出発点である。その写真には強く後悔する男が写されており、変に折り曲げられている。ジョーンズはそのかたちにインスパイアされ、左右対称に展開して奇妙なフォルムを作り出した。それをアイコンとして、何枚も何枚も、Regretsが生み出されている。「的」や「アメリカ国旗」にこだわったジョーンズならではだと思える。しかし、何を考えているのか。

MOMAの最大の見どころは、やはり常設展であろう。かつて日本でも(90年代初頭以来?)、MOMAの所蔵作品が紹介されたことがあったが、わたしも現物を目にするのはそれ以来だ。

ゴッホの「星月夜」、ピカソの「アヴィニヨンの娘たち」、シャガールの「私と村」、セザンヌの「水浴する人物」、ダリの「記憶の固執」、モンドリアンの「ブロードウェイ・ブギ・ウギ」、デュシャンの「自転車の車輪」、ポロックのアクション・ペインティング諸作といった名作中の名作が、普通に沢山展示されていて、しかも撮影自由というのだから凄い。先日の「バルテュス展」で観ることができなかった道の絵もあった。