Sightsong

自縄自縛日記

イングリッド・ラウブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone

2014-06-30 22:28:56 | アヴァンギャルド・ジャズ

イーストヴィレッジにある「The Stone」は、ジョン・ゾーンがディレクターをつとめる小屋。足を運んでみると、よくよく注意しないと通り過ぎてしまうような佇まいである。中には50脚くらいのパイプ椅子が置いてあり、飲みものなどはまったく出ない。

◆ Death Rattle

20時からのセッション。かなり楽しみにしていた。

Ingrid Laubrock (ts)
Mary Halvorson (g)
Kris Davis (p)

体感すると確かに格が違う。まるで3つの恒星が、互いの周りを高速で回り続ける三体問題である。

イングリッド・ラウブロックのサックスの音域がとても広い。ヘンな音もノイズも精力的に繰り出してくる。マウスピースを外して吹いたりもして。メアリー・ハルヴァーソンのギター音は、猛烈に立っていて、鼓膜と頭蓋を直撃する。そして、鋭く押したり忍び込んだりするクリス・デイヴィス

終わった後にメアリーさんと少し話をした。今度来日だねと訊くと、ヴィザが果たして間に合うか?と不安そうな発言。とりあえず、アンソニー・ブラクストンと一緒に来てほしいと熱烈要望。

◆ Kris Davis' Capricorn Climber

22時からのセッション。目当てはマット・マネリである。

Mat Maneri (viola)
Ingrid Laubrock (ts)
Kris Davis (p)
Eivind Opsvik (b)
Tom Rainey (ds)

もう空調を止めた会場が暑くて酸欠状態、ぼんやりしながら聴く。しかし、さっきの三者パラレルのセッションとは異なり、主役はやはりマネリ。マネリのヴィオラとラウブロックのサックスとがつかず離れずシンクロし、大きな流れのようなものを作りだしていたからだ。

しかし、最後にはラウブロックがエキサイトして速いフレーズを吹き始め、マネリは明らかに困ったような顔をして追随していた。

●参照
イングリッド・ラウブロック(Anti-House)『Strong Place』
メアリー・ハルヴァーソン『Thumbscrew』http://blog.goo.ne.jp/sightsong/e/fbe3c7979d4d3c71d8a02864b21dda29
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Electric Fruit』
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Mechanical Malfunction』


ハーレム・スタジオ美術館

2014-06-30 21:43:11 | 北米

アメリカのマイノリティ文化史において重要なハーレム。はじめて行ってみると、ダウンタウンともまた雰囲気がまるで異なる。道には、キング牧師やマルコムXの名前が冠されている。

ハーレム・スタジオ美術館は、40年以上前に作られた施設である(改装されているようでモダンなつくり)。ちょうど日曜日ということで、入場料が無料だった。観客もわりと多く、みんな、かなりじっくりと観て歩いている。

◆「星が降り始めるとき 想像力とアメリカ南部」

1階と2階では、「星が降り始めるとき 想像力とアメリカ南部」と題し、数十人のアーティストの作品を展示していた。それぞれの作品の意味を十分に受け止められるわけではない。しかし、意味という物語は必要不可欠である。

南部の建築物にインスパイアされたベヴァリー・ブチャナンの作品

マリー・"ビッグ・ママ"・ローズマンはキルトでミシシッピの伝統を示す

ケヴィン・ビースリーの「多くの空の下で休息を取るとき、私は自分の身体を聴く」。ヘッドホンで、ヴァージニアの環境音とともに観る。動物の頭をかぶせて何を言わんとしているのか。

デイヴィッド・ハモンズは、デルタの文化を瓶に詰めたという。蠅に見えるジッパー、ジョージアの土、・・・。

◆「Draped Down」

どういう意味だろう?個々の単語の意味はわかるのだが、と、係員に訊ねてみたが、「自分にもよくわからない。でもあのナイジェリア人の作品は凄く良いだろう」と。

ここでのコンテキストは、ハーレムにインスパイアされたセルフ・ファッションといったもののようだ。

1935年にマリ共和国で撮影された女性と現代のNYの女性を並べてみると、確かにクールだなと軽口を叩いてみたくなる。

同じシェイプで顔が塗りつぶされた3連作(ハーヴィン・アンダーソン)。

◆キャリー・メイ・ウィームス

キャリー・メイ・ウィームス(Carrie Mae Weems)という写真家の作品群。

ミュージアムのシリーズでは、ルーヴルやテート・モダンといった世界中の有名な美術館・博物館に向かって自分自身が黒いドレスで佇み、自分の背中とともにミュージアムを撮る。これにより、人種やジェンダーの複雑な関係を封じ込めようとしたのだという。また、黒人のアイデンティティに立ち戻ろうとした「墓場(Boneyard)」も示唆的。

はじめて知る写真家だが、かなり気になる人になった。

The Museum Series。これはロンドンのテート・モダンに行くための「ぐらぐら橋」。

Boneyard


グッゲンハイム美術館のイタリア未来派展、現代ラテンアメリカ展、抽象以前のカンディンスキー展

2014-06-30 15:16:38 | 北米

セントラル・パーク東側のグッゲンハイム美術館に朝一で入ろうと急いで出かけた。到着すると、開館前だというのに行列ができていた。

◆「イタリア未来派1909-1944」

実はイタリア未来派の諸氏による作品がかなり好きで、画集も何冊か大事に持っている。もう15年以上前にミラノを訪れたとき、未来派を観ようと思って美術館を探したところ、あるべきところにない。インフォメーション・センターで訊ねると、最近つぶれたよという答え。それはミラノのアイデンティティではないんだなと悲しかった。そんなわけで、このようにまとめて観ることができるのは嬉しい。

グッゲンハイム美術館は、吹き抜けの周りを螺旋状に登っていく変わったつくりだ(1階以外は撮影禁止)。

登り始めると、さすが、いきなり、ボッチョーニの騒乱の絵や、バッラの街灯の絵という大作を持ってくる。もちろん、カッラ、セヴェリーニ、ルッソロなど代表的な画家の作品をたくさん展示している。これに加えて、キアットーネによる未来都市のスケッチや、より定型的なデザイン性を求めたデペーロ、さらに知らない画家たちの作品の数々。

かれらの感覚や意匠のセンスなんてとても現代的であるし、キアットーネの未来都市は現代都市そのものだ。いまだに心が浮き立つのだから、機械文明の進展や急速な産業化と同時代の人びとにとっては、さらに刺激的であったことだろう。

ただ、螺旋を登りながらクロノロジカルに観ていくと、段々とつまらなくなっていく。意欲は、最初の粗削りのものであるから、作品を生み出すのである。しかし、意欲を二次生産し、綺麗なデザイン化を行うと、力が失われるのは当然のことだ。(こういう人はどこにもいますね。)

ブラガーリアの貴重な無意味映像(女性が密室で自ら毒ガスのスイッチを押しもだえ苦しむ)が上映されていたことも、嬉しかった。あとは、ルッソロらの爆笑未来派音楽も紹介してくれればなお良かった。

◆「現代のラテンアメリカ芸術展」

 こちらの頭が鈍磨しているのか、インスタレーションはあまり面白くはない。

 それよりも、アメリカとの政治関係・権力関係を形にした作品群が興味深いものだった。

メキシコのマリオ・ガルシア・トーレスは、自国の森林の光景をスーパー8フィルムで撮り、アメリカへのメッセージを公開ヴィデオレターの形でかぶせている。それによれば、グッゲンハイム美術館はメキシコにも美術館をつくる活動を繰り広げており、そのことが、オリエンタリズム的な権力関係をはらみ、かつ、文化破壊に他ならないと指弾する。(グッゲンハイム美術館自身がそれを晒しているわけであり、何かあると問題を覆い隠す日本の姿とはまるで異なる。)

メキシコのハビエル・テレスは、メキシコ国境からアメリカに向けて「人間砲弾」を発射するパフォーマンスのドキュメンタリーを作っている。スタントマンが大砲に入って飛び出すところなんて爆笑である。

コロンビアのカルロス・モタは、アメリカによるラテンアメリカへの介入の歴史をポスターとして作っている。表は革命の印、裏は年表であり、観客がポスターを1枚ずつ持って行ってよいことになっている。

キューバのウィルフレッド・プリエトは、大型扇風機を2台ならべ、片方に首の縦の動き、片方に横の動きをさせている。これは資本主義者と社会主義者とのすれ違いなのだという。シンプルなだけに、なるほどなと思う。

◆「抽象以前のカンディンスキー展 1910-1911」

文字通り、抽象の密度が高い抽象画に進む前のカンディンスキーの作品群である。以前とはいえ、すでに、独特のピンクや紫が多用されており、誰がみてもカンディンスキーである。