四方田犬彦『マルクスの三つの顔』(亜紀書房、2013年)を読む。
ここでいう「マルクス」とは、ローマ皇帝のマルクス・アウレーリウス、革命家のカール・マルクス、そして喜劇役者のマルクス兄弟。わたしはマルクス兄弟のファンであったから、かれらについての評論を読みたかった。
同じ「マルクス」とは言っても、血縁など直接のつながりはまったくない。ざっくり言えば駄洒落である。もっとも、強引な関連付けはなされている。
統一的な世界観をもったマルクス・アウレーリウスが、<1>。仮想敵を見出してそれを叩きのめすカール・マルクスが。<2>。そして、マルクス兄弟のチコ、ハーポ、グラウチョ(小林信彦と同様に、ここではグルーチョと呼ばない)が3人であることを、たとえばフロイトのいうエス、自我、超自我を引用したりもして、あたかも必然であるかのように<3>としている。しかし、マルクス兄弟について言えば、単に、初期のフィルムに登場する末弟ゼッポの個性が希薄であり、やがて姿を消したから3人になったに過ぎない。要するに、著者得意のスノッブ本である。
何年かぶりにマルクス兄弟の映画を観たくなったから、良しとする。
●参照
四方田犬彦・晏�慌編『ポスト満洲映画論』
四方田犬彦『ソウルの風景』
四方田犬彦『星とともに走る』
吉本隆明『カール・マルクス』