岡本亮輔『聖地巡礼 世界遺産からアニメの舞台まで』(中公新書、2015年)を読む。
かつて、聖地巡礼と観光とはすっぱりと分けることができないものだった。一期一会の移動体験はすなわち観光でもあった。それらを潔癖に分けようとするのは近代の現象に過ぎない。
現代、そしてまた、観光と聖地巡礼とがお互いに接近し融合している。世界遺産は観光とは切り離すことができず、またそれを見越した登録のための物語が形成される。サンチャゴ・デ・コンポステラや四国遍路では、聖地巡礼というエッセンスを取り戻した観光として、あえて不便に歩いてアクセスする方法がシステム化されている。青森のイエスの墓は、誰もがフェイクだと知っているものの、パワースポットとしての求心力を得た。パワースポットはいまや無数に存在し、それらの由来さえロジカルに信じられているわけではないが、多くの人が苦労してまで訪れる。
著者はこうした現象を不純で否定すべきものととらえているわけではない。むしろ、日常にない共同体への参加や(見知らぬ人々との触れ合いという物語、「自分探し」)、ネットを通じた大きなつながりの獲得を、現代における社会と宗教のかかわりという文脈でみているようだ。シニカルに陥らず面白い分析である。他者の物語への「ただ乗り」という指摘もあって然るべきだとは思ったものの。