過日走破した日田往還『朝倉街道』ですが筑前山家から日田間の通称です。
筑前山家は長崎街道の宿場。この地で日田往還と分岐し、その先で薩摩街道と分岐します。
この交通の要衝には福岡城や博多から至る道があります。
福岡・博多から日田までを通して『日田街道』と呼んだようでもあります。
今回は日田往還・朝倉街道番外編として博多~筑前山家間を走破してきました。
今回の走破ルートはこちら
走破距離は21.7kmでした。
◆博多
福岡城側は天神西通りを起点としているようです。
博多側は辻堂口という現在では承天寺・出来町公園あたりが起点だったようです。
博多からスタート。理由は家から近いから(笑)
博多山笠発祥の地と言われる承天寺、この門前をスタート地点とします。
承天寺の開祖が疫病が発生した際に祈祷水を町中に撒いて回ったことに起因するようです。
この承天寺さん、とっても大きなお寺さんです。
博多千年門・承天寺通り この両サイドが承天寺さん。
この先、若八幡宮横を抜けて御笠川沿いの道に。
川と並行する道を南下していきます。
板付で県道112号(旧国道3号)に合流し、さらに南下していきます。
◆雑餉隈宿
県道112号を進んで山田4丁目交差点に。
この界隈、西側が雑餉隈のエリアです。何も残っていません。
錦町1丁目交差点にかけて数軒の旅籠屋があったようです。
日田街道が整備されたときには二日市宿まで4里あり、その間の宿として栄えたようです。
現在ロイヤルチェスター福岡という結婚式場がありますがその脇が郡境だったようです。
もともとの群境石は傷みが激しいので移設され代わりにこの石が建っています。
東が御笠郡、西が那珂郡。
本物は大野城市役所内にある資料館にあるとのこと。
この先で宿場外れになり、新川緑地帯を走ります。
ここで日田街道の案内板が登場です。
近代になってからのものですが。
鉄道が敷かれた際、街道から春日原の駅へ行く道が雑木林を抜ける小道しかなく…ということで
ここから駅までの道を開設した記念の碑となっています。
戦後すぐまでこの辺りに運動公園があり、野球場ではプロ野球も開催されていたようです。
平和台球場ができるまでの話です。すごい昔の話ですね。
この川を使った水運を試みるも筑後川からは距離がありすぎ、また那珂川から水を引いても
水量が足りずに十数年で廃止になったとのこと。
新川は牛頸川に合流します。
川向うに道標が見えます。なんだろう?
川を渡って振り返ると旧瓦田橋の橋脚の一部が残っていました。
何と書いているのかよくわかりませんでした。
太宰府市内に入りました。街道にはこのような埋め込みがありました。
歴史を大事にする太宰府市、さすがです。
水城跡 東口門になります。
大宰府に入ります。
姿見井 菅原道真公が大宰府入りする際、水城東口門から入り装束を着替えて姿を見た井戸と言われています。
上述の道真公が装束を着替えた際にここの松・石に衣を掛けたことに由来するのとことです。
銀杏がとてもきれいに色づいています。
苅萱関跡の碑 住所は「坂本一丁目」、あの坂本八幡宮もこの区域です(離れてますけどね)
関があったところで「関屋」という地名になったようです。
ここはさいふ道(宰府路)と日田街道の合流地。この先に分岐がありました。
常夜灯や道標がまとまっています。
「是よりひかしさいふ参詣道」や一の鳥居
交差点を右に曲がると御笠川を越えて二日市の方へ向かいます。
鷺田川を越えると二日市宿はすぐそこです。
◆二日市宿
迎田橋のあたりから宿場になっていたと思われます。
迎田橋のところにあった碑
桝形で宿場ができています。この醤油屋さんを過ぎると左折⇒右折していきます。
二日市商店街は宿場の中心地がそのまま残ってきたのでしょうか。
この先右手に二日市八幡宮が出てきます。
八幡宮のあたりまでが宿場。左折して山家を目指します。
二日市東小学校は街道の上に作られていますがその説明がなされているところが良いですね。
ご近所さんだけでなく、通う小学生にも知ってもらえるというのも歴史や地元のことを理解してもらえそうです。
宝満川を越えました。
ここまでくると山家宿はもうすぐです。
◆山家宿
宝満川を越えると小さな丘を越えていきますが、下りに入ったところに道標がありました。
二境界石
「山家の下宿として賑わった夜須郡と御笠郡との郡境に立てられた境石」と説明されています。
つまりここから山家になります。この先の交差点が長崎街道との追分です。
長崎街道との追分
過日の「日田往還・朝倉街道を行く」では右手から来たのでこれで通貫になるのですが、
何もないここで終わりにするのは何だなと思って先の追分まで進みました。
写真左手から進んできました。写真奥が山家宿に。右に進むと日田。石櫃で薩摩街道と分岐です。
ここで終了としました。
◆旧日田往還(朝倉街道)を行く
2021年 10月 24日(日) 山家宿~甘木宿~比良松宿~久喜宮宿 ~天領・日田
2021年11月20日(土) 博多旧市街~筑前山家宿
『旧街道を行く』シリーズ
◆五街道
旧東海道を行く 日本橋~
旧中山道を行く 日本橋~
旧日光道中を行く 日本橋~
旧奥州道中を行く 宇都宮追分~
旧甲州道中を行く 日本橋~
◆その他
旧川越街道を行く 板橋~
◆九州
旧門司往還を行く 大里~小倉・常盤橋
旧長崎街道を行く 小倉・常盤橋~
旧唐津街道を行く 小倉・常盤橋~
旧中津街道を行く 小倉・常盤橋~
旧秋月街道を行く 小倉・常盤橋~
旧薩摩街道(出水筋)を行く 筑前山家宿~
旧日田往還(朝倉街道)を行く 筑前山家宿~
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筑前山家は長崎街道の宿場。この地で日田往還と分岐し、その先で薩摩街道と分岐します。
この交通の要衝には福岡城や博多から至る道があります。
福岡・博多から日田までを通して『日田街道』と呼んだようでもあります。
今回は日田往還・朝倉街道番外編として博多~筑前山家間を走破してきました。
今回の走破ルートはこちら
走破距離は21.7kmでした。
◆博多
福岡城側は天神西通りを起点としているようです。
博多側は辻堂口という現在では承天寺・出来町公園あたりが起点だったようです。
博多からスタート。理由は家から近いから(笑)
博多山笠発祥の地と言われる承天寺、この門前をスタート地点とします。
承天寺の開祖が疫病が発生した際に祈祷水を町中に撒いて回ったことに起因するようです。
この承天寺さん、とっても大きなお寺さんです。
博多千年門・承天寺通り この両サイドが承天寺さん。
この先、若八幡宮横を抜けて御笠川沿いの道に。
川と並行する道を南下していきます。
板付で県道112号(旧国道3号)に合流し、さらに南下していきます。
◆雑餉隈宿
県道112号を進んで山田4丁目交差点に。
この界隈、西側が雑餉隈のエリアです。何も残っていません。
錦町1丁目交差点にかけて数軒の旅籠屋があったようです。
日田街道が整備されたときには二日市宿まで4里あり、その間の宿として栄えたようです。
現在ロイヤルチェスター福岡という結婚式場がありますがその脇が郡境だったようです。
もともとの群境石は傷みが激しいので移設され代わりにこの石が建っています。
東が御笠郡、西が那珂郡。
本物は大野城市役所内にある資料館にあるとのこと。
この先で宿場外れになり、新川緑地帯を走ります。
ここで日田街道の案内板が登場です。
近代になってからのものですが。
鉄道が敷かれた際、街道から春日原の駅へ行く道が雑木林を抜ける小道しかなく…ということで
ここから駅までの道を開設した記念の碑となっています。
戦後すぐまでこの辺りに運動公園があり、野球場ではプロ野球も開催されていたようです。
平和台球場ができるまでの話です。すごい昔の話ですね。
この川を使った水運を試みるも筑後川からは距離がありすぎ、また那珂川から水を引いても
水量が足りずに十数年で廃止になったとのこと。
新川は牛頸川に合流します。
川向うに道標が見えます。なんだろう?
川を渡って振り返ると旧瓦田橋の橋脚の一部が残っていました。
何と書いているのかよくわかりませんでした。
太宰府市内に入りました。街道にはこのような埋め込みがありました。
歴史を大事にする太宰府市、さすがです。
水城跡 東口門になります。
大宰府に入ります。
姿見井 菅原道真公が大宰府入りする際、水城東口門から入り装束を着替えて姿を見た井戸と言われています。
上述の道真公が装束を着替えた際にここの松・石に衣を掛けたことに由来するのとことです。
銀杏がとてもきれいに色づいています。
苅萱関跡の碑 住所は「坂本一丁目」、あの坂本八幡宮もこの区域です(離れてますけどね)
関があったところで「関屋」という地名になったようです。
ここはさいふ道(宰府路)と日田街道の合流地。この先に分岐がありました。
常夜灯や道標がまとまっています。
「是よりひかしさいふ参詣道」や一の鳥居
交差点を右に曲がると御笠川を越えて二日市の方へ向かいます。
鷺田川を越えると二日市宿はすぐそこです。
◆二日市宿
迎田橋のあたりから宿場になっていたと思われます。
迎田橋のところにあった碑
桝形で宿場ができています。この醤油屋さんを過ぎると左折⇒右折していきます。
二日市商店街は宿場の中心地がそのまま残ってきたのでしょうか。
この先右手に二日市八幡宮が出てきます。
八幡宮のあたりまでが宿場。左折して山家を目指します。
二日市東小学校は街道の上に作られていますがその説明がなされているところが良いですね。
ご近所さんだけでなく、通う小学生にも知ってもらえるというのも歴史や地元のことを理解してもらえそうです。
宝満川を越えました。
ここまでくると山家宿はもうすぐです。
◆山家宿
宝満川を越えると小さな丘を越えていきますが、下りに入ったところに道標がありました。
二境界石
「山家の下宿として賑わった夜須郡と御笠郡との郡境に立てられた境石」と説明されています。
つまりここから山家になります。この先の交差点が長崎街道との追分です。
長崎街道との追分
過日の「日田往還・朝倉街道を行く」では右手から来たのでこれで通貫になるのですが、
何もないここで終わりにするのは何だなと思って先の追分まで進みました。
写真左手から進んできました。写真奥が山家宿に。右に進むと日田。石櫃で薩摩街道と分岐です。
ここで終了としました。
◆旧日田往還(朝倉街道)を行く
2021年 10月 24日(日) 山家宿~甘木宿~比良松宿~久喜宮宿 ~天領・日田
2021年11月20日(土) 博多旧市街~筑前山家宿
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◆五街道
旧東海道を行く 日本橋~
旧中山道を行く 日本橋~
旧日光道中を行く 日本橋~
旧奥州道中を行く 宇都宮追分~
旧甲州道中を行く 日本橋~
◆その他
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旧門司往還を行く 大里~小倉・常盤橋
旧長崎街道を行く 小倉・常盤橋~
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旧中津街道を行く 小倉・常盤橋~
旧秋月街道を行く 小倉・常盤橋~
旧薩摩街道(出水筋)を行く 筑前山家宿~
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