すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

長月の世の中を緩く語れば

2024年10月01日 | 雑記帳

 九月前半は暑さが続いた。しかしそれもここ最近当たり前になったようにも感じる。彼岸入りを前に能登半島を襲った豪雨被害は、正月の地震のこともあり本当に同情を禁じ得ない。報道ではわからない部分も多くあるだろう。結局、傍観者のような言い方になるが「明日は我が身」という構えは捨ててはいけない。

 

 ニュースを賑わした某県知事のパワハラ騒動。普通に報道に接すれば、本人はいったいどのような心持ちでいるのか、想像してしまう。メンタルが強いだけは確かであり、周囲とどのような軋轢を重ねても我が身を貫く姿となる。政策上のことを評価する向きもあるようで、問題の芯は何なのか見えにくくなっている。

 

 明るい話題と言えば、レギュラーシーズン終盤になっても衰えない大谷の活躍か。シンプルに競技スポーツの素晴らしさを甘受できる気がする。ただ、付随する情報はまさに玉石混交とでもいおうか。情報を誘導したり誇張したりする点が常にある。直接観戦できない者は、間に入り込む濁ったバイアスに気をつけよう。

 

 政党内の代表選びも賑やかだった。与党も野党第一党も多くの候補者が出たことはいいことだろう。ただ「終わればノーサイド」という言辞がいかに信用できないか。権力争いに終始している姿だけがクローズアップされる。まとまることだけがいいわけではないが、結果それで政策が行き渡らず不幸になる者もいる。

 

 

 だらだらと世の中を括ったが自分はどうか。読み聞かせはこども園から高校まで計9回。少し噛んだことがあった。ほんの一箇所でも集中を切らすので要注意だ。老化もしくは緊張感の欠如か。中旬にいい朗読を聴いたので、レベルアップしなければと思う。10月から選書に一つの縛りをつけてやると決意(笑)した。


長月彼岸の頃日記

2024年09月23日 | 雑記帳
9月17日(火)
 今日は十五夜だが天気は良くないらしい。明日からの読み聞かせの下読みや準備をする。お昼はシーズン最後になるか、冷やし中華を食する。10日目を迎えた大相撲は、霧島の不甲斐ない立ち合いで大の里がぐっと優位に立った。今晩から祭典のサイサイ(祭り囃子)の練習に孫が参加するという。どうなることやら。




9月18日(水)
 午前中は今取り掛かっている原稿の手直しをする。やはりプリントアウトして紙面でみると作業しやすい。午後は山間部へ。だいぶ涼しくなってきているのがわかる。高瀬小上学年への読み聞かせは落語絵本『平林』『星につたえて』。読みこなしてはいるが字が小さく見えづらさが募ってくる。さあ、どうする。


9月19日(木)
 午前中は羽後高校2年生で保育の授業。読み聞かせの話と実演をする。面白い選書があって刺激を受ける。この世代にも絵本を親しんでほしい。帰宅して昼食をとってから、午後は羽後明成小5年生へ。絵本は昨日と同様になんとかやりきる。大相撲で若隆景が大の里を破る。意地を見せた勝負。最後まで楽しめるか。


9月20日(金)
 朝の雨が酷く、登校は送っていくらしい。祭典時の天気が心配だ。午前は原稿の手直しを少しして、来週からのこども園、学校の読み聞かせ選書と準備をする。大谷翔平が今日の試合で「50-50」へ、と思ったら「51-52」に到達したらしい。10打点とは何事か。政党内の選挙のつまらなさを吹き飛ばしてくれる


9月21日(土)
 天気予報通り雨が降り続く。祭典でこんなに降るのは記憶がなく残念だ。それ以上に能登の方々には同情を禁じ得ない。午後3時過ぎ、降りしきる雨の中、地域の方々のお世話に頼って、孫がサイサイで太鼓を頑張って叩いていた。来年は出来ないとのことで、いい体験になっただろう。夕方からは皆集まり、小宴。




9月22日(日)
 昨日の酒が残っていて、今日一日は全体(笑)。朝から花火(狼煙)が何発も打ちあがるが雨は止まない。ごろりと横になってテレビを見る。相変わらず政治家たちのPRが続くが、いったいどれくらいの人が信頼して聴くのだろう。撮りためておいたドラマや映画などを観て一日過ごす。久しぶりのノンアルデーとした。

話題の場所で多様性を聴く

2024年09月17日 | 雑記帳
 「話題」とは、「全国最年少市長誕生」ということ。むろん、といって半月も経ずに何かが変わるわけはない。街を見れば、以前感じた「ここも隣市と同じシャッター通りが続くなあ」という表現はそのまま当てはまる。ただ市民が託したい何かが、その場所の空気を少し揺るがすかなと、かなり文学的な想いは浮かんだ。




 ところで訪れた9月15日は、名優樹木希林の七回忌。目的の図書館主催講演会で、講師のドリアン助川氏が語った。小説『あん』の作者で、映画化されたことで深く付き合うようになったという。それまで映画祭などに興味を示さなかった樹木希林とともに、カンヌやウクライナに出向いた時の写真が興味深かった。


 今回は、彼の朗読が聴ける機会であり非常に楽しみにしていた。結果的に、取り上げられた最新作『確かなリスの不確かさ』(全21話)中の1話のみで終わり、少し残念。ただ、さすがに鍛えられた声、緩急の表現法は見事だった。講話時の発声とは明らかに違い、物語世界へ聴者を呼び込む空間は非常に心地よかった。


 講話のテーマは「組み合わせから始まる多様性」。自身の子ども時代から現在に至るまでの、特に仕事上のエピソードを入れ込みながら「わたしは鈍い、受身の人間である」しかし「組み合わせからの創造に活路を見出してきた」と語った。平凡な言葉ゆえに意味は深い。また汎用性も広い。老化する頭に刺激となる。


 教えている学生らに訊くと一様に「社会で役に立つ人間になりたい」と返答があると語った。人間原理、生命原理という思想によって、その矮小性を指摘していた。論理は難しかったが、真っ当であり模範的な返答は、自己存在をあまりに社会との関係で意味づけるよう教育された結果ではないか、と哀しくなった。

八月は、ひろがる虹で

2024年09月01日 | 雑記帳
 去年も暑い8月だったが、今年はとうとうエアコンをつけずに寝る日が一日もなかった。データはわからないが、蒸し暑さがずっと続いた感じがする。それでも生き物は正直なのか、盆踊りの終わる日を待ち構えていたように秋の虫が鳴きだしていた。気象に関する状況がどうであっても、ここで生きるというように。


 パリ五輪のことはちょっとだけ書いた。正直あまり印象深いことがなかった。誰の顔が忘れられず残っていくのだろうか…メディアによる軽重のつけ方で左右される気がするし、今はなんとも言えない。ただ、チームプレーが求められる団体競技が、ことごとく今一歩だった。大雑把であっても、これは記憶に留めたい。


 私事では、自費出版した記念の会を開いていただいたこと、それに孫との結構長い(笑)夏休みが印象に残る。拙著を一冊仕上げたことで次への意欲もやや高まってきた。孫の宿題や遊びに付き合うと今さらながら「イマドキ」がわかる。だからと言って、自分でやれることが増えるわけでもなく、徐々に輪郭がはっきりしてきた。


 こども園読み聞かせは先月からの延長が一つあって、計5回。楽しくやれた。選書はパターン化しているが、対象が違うのでそれなりに変化はある。自分の読書生活、これは極端に落ちている。メモだと読了が3冊、今読みかけが2冊で最低クラスだ。ただ内容として面白いので、これはペースが落ちても可としよう。


 これほどお天気が気になって、雨雲レーダーを見た数日間はない。5年ぶり、つまりコロナ禍以来の花火大会である。結果、幸いにも雨が落ちることはなく、風がないので煙がこもるのは残念だったが、やはり「大曲」であった。本番開始前に、観客席の声があんなふうに挙がったのを初めて聴いた。広がる虹だった。


「秋波」の色は泥水のよう

2024年08月30日 | 雑記帳
 何度か引用しているが、かの名曲『命の別名』は♪知らない言葉を覚えるたびに、僕らは大人に近くなる♪と始まる。しかしいくら「大人」になっても使ったことのない言葉は結構ある。聞いたことがあり、なんとなく雰囲気はわかっても意味は明確に言えないフレーズを新聞紙上に見つけた…「秋波を送る」である。




 新聞はこう記していた。「ハリス陣営は『トランプ氏にうんざりし新しい道を探している皆さん、われわれの選挙運動はあなた方のためにある』と訴え、秋波を送った」。慣用句であり広辞苑には「いろめをつかって、異性の関心をひこうとする」と記されていた。他の辞書では使用者が「女性」限定とも書いていた。


 なるほど。記事では、「皆さん」とは大統領選の行方を左右しそうな「ケネディ支持層」を指す。個人ではなく、集団を対象とした場合にも使われるわけか。ということは、向ける対象の性別ではなく、使用する者の性別に重きが置かれるわけだ。ジェンダーフリーとすれば関係ないか。いや使用自体がもはや偏見か。


 そもそも「秋波を送る」とは、どんなイメージがもとになっているのか。世の中、いろいろと研究している方がおり、ある病院の広報誌に載っていたので、興味深く読んだ。「眼差し」の強さを男女の違いで語っているのは、今どきの事情にあわない気がする。昔でも「流し目」が有名な男性俳優など結構いたはずだ。


 昭和後期の中高生であれば、好きな異性に「こちらを向いて」と念を送ったりした(笑)経験のある方は大多数のはず。そうした感情が徐々に乾いてくるのは仕方ないにしても、小説や映画などに触れ多少の潤いは残しておきたい。ともあれ自分が使いようもない「秋波を送る」は、今、権力闘争の泥水の色をしている。

そこに愉しさや懐かしさが…

2024年08月24日 | 雑記帳
 木曜日の朝刊一面トップに、教員の「教職調整額」増額の話題が出た。むろん、そのこと自体は賛成だが、付随している様々な「処遇改善案」なるものをみると、本当にそれが学校現場にプラスになることなのかは、疑わしく思えてくる。これは教員志望者の減少に歯止めをかけるための政策でもあろう。そもそもが違う。


 思い出すのは、教員採用試験!!を受けた時だった。確か二次の面接(あの頃は集団などなく、全部個別だった)で「ジンカクホウとは何か」という問いが出た。ええっ、全く頭になく思い浮かんだ字は「人格法」、思想上のことかと思ったが、正直に「わかりません」と答えた。「人確法」いわゆる人材確保法であった。




 公務員であるメリットは知っていても待遇がどうかという点には疎かった。時代的には、採用時に数万円台から始まった給料が急激に増えていく。その歴史はさておき、当時言われていたのは「金が欲しかったら教師なんかしないよ」ということだ。それは今でも変わらないのではないか。経済的な保障は不可欠だか…。


 極論すれば、志望する可能性のある者が全員、経験し接する「学校」「教師」の存在が、愉しかったり懐かしかったり必要があるのではないか。少なくとも、そう見える余地を残していることが、その「場」に仕事を求めたい者の下地になっていくだろう。誰しもが、毎日学校へ通い、毎日生の姿を見てきたのだから。


 教員業務に「残業」が多いことが既定事項になったり、上下関係が強まり今以上に上意下達になったりすることが、愉しさや懐かしさに結びつくだろうか。働き方改革と言われるが、それは教師裁量の拡大につながっているのか。人も物も隙間なく詰められ、効率性が重視され、息苦しさだけが募る場にしてはいけない。

あの時、何を祈って踊ったか

2024年08月19日 | 雑記帳
 久しぶりに盆踊り本番の日に通りへ向かう。コロナ禍になってからずっと観ていなかったので数年経ってしまった。2019年の時は初日にその場で町CM撮影をしたことを思い出した。今夏は小学生になった孫も、少しの時間は列に加わったようでぎこちなく手足を動かす姿を笑いながら観た(ただし、スマホ画面で)



 様々な問題はあるにしろ、大勢の観光客が来る現状は町にとって嬉しいことだ。貴重な文化が残っていくことを誇りと思うし、継承する方々には励みとなるだろう。ただ、ここで生まれ育ち、間近に接してきた者としてより注意深く見れば、文化継承は夢中になってやる、自己感情に従うだけでは陥穽となるかもしれない。


 先日、NHKBS再放送で「スピリアル・ジャパン」で盆踊りを取り上げた番組を視聴した。リポーターであるスペイン女性は、自分が体験してきたdanceと盆踊りの違いに驚きながら、さらに独特である西馬音内盆踊りの特徴を、最後に「顔を隠す」という言葉で語った。ああそうか、と今さらながらに気づかされた。



 まだ踊りの輪に加わっていた学生の頃に、取材に来ていたラジオ番組の方にインタビューを受けた。質問は定番の彦三頭巾についてだった。「亡者踊り」と言われていることなどを話した記憶がある。ただよく考えれば、編み笠も深くかぶり、顔を見せない点は共通している。これは何を意味しているかと問うてみる。


 顔を隠すとは「自分をなくす」こと。表を晒さない、かがり火を囲んで並び、揃って同じ振りをつける意味の一つは鎮魂である。そこに個性はいらない。つまり自己表現ではなく身体を使っての祈りの共同作業と呼べるか。そう結論づければ、若い頃に踊りながら感じた居心地の悪さに納得し、冷静に全体像が見える。

空はパリにも広がっている

2024年08月14日 | 雑記帳
 三年前の東京五輪の事は読書と関連付けて書いて残してあった。今回も熱心に見たわけではないが、備忘の一つとしてメモしておきたい。まずは、従来とは違う開会式の設定は面白かった。ただ入場行進?はダラダラ感が強く、何で締まったかというといわゆるパフォーマンス部門だと感じた。「芸術の都」だからね。


 新聞等でも取り上げられていたが、選手の活躍は大会前予想と違っていた部分が多数あった。当事者にすれば強化の時点から可能性の範囲を掴んでいたはずで、「勝負の綾」という面はあるにしろ、結果だけが今の力を示している。ただ、メダル数が国力を示しているなんていう乱暴な見解は、奢りに感じてしまう。





 いわゆるアーバンスポーツが前回に続いて注目された。カントリー(笑)に住む高齢世代にはまさしく縁遠い。映像やメディアを通してなんとなく普及しているイメージが少しだけ腹立たしく思えたりするのは、明らかにひがみだな。ただ、個々の競技がどんな「身体」を理想とするのか考える材料としては興味深い。


 男子マラソン放送を見られなかったが、女子は珍しくきちんと最後まで県出身者を応援した。増田さんの解説がいつも以上に冴え(笑)、鈴木選手が中学生の時に書いた作文の題名「走り抜けた夏」を何度か語ったことも微笑ましい。それにしても沿道の応援?伴走?の様子がいかにも自由で、羨ましく妬ましく思えた。


 自転車でスマホ撮影しながら追いかける若者もいた。日本開催ならまずあり得ない。そういえば期間中の新聞記事でパリの人々の様子を伝えるコラムがあり、「信号を守らない」ことへの驚きと考察があった。国民性の違いに関する見解は諸説あるが、根本は何を信じて生きていくか。多様性の時代に軽視されない点だ。

葉月立秋の頃日記

2024年08月11日 | 雑記帳
8月5日(月)
 パリ五輪真っ盛り。競技の時間帯が合わないので高齢者にはつらい。録画だと今一つ緊張感がなく、つまらない。午前中、いつものごとく孫の夏休み帳に付き合う。眠りが浅いのか、体調は今ひとつ。それにしても暑さが続いていて今年は夜もエアコンつけっぱなしの日が多い。9月の高校での絵本実習依頼あり。


8月6日(火)
 午前中はこども園へ。「海」がテーマなので「波音」をBGMに使ってみた。これがなかなか良かった。午後、歯科医院に行く。本格的治療は盆明けとなる。知り合いの方へ自作本を届けたら、礼状が届いた。この内容が凄い。自分の志向を見事に言い当てられている。さすがの「読書人」だ。新しい気づきもあった。


8月7日(水)
 立秋。とはいえ真夏日は続く。昨日に続き別のこども園へ。今日は年中児が相手なのでTVは使わず、すべてアナログで通す。久しぶりだが顔を見渡す頻度が増え心地よい。借りていた本の返却で隣市の図書館へ。今日まで七夕祭りだが日中は閑散としている。帰宅後、今月後半の読み聞かせ候補本をリストアップする。





8月8日(木)
 朝のベッドで読み続けた是枝裕和の本の感想メモをアップする。夕刻から知人たちが発起人になって、出版記念会を開いてくれた。たくさんの懐かしい方々と会う。気恥ずかしかったが、こういう機会がある幸せを思う。たくさんの「交換」が出来た。知らず知らずのうちに盃を重ねて、なんとか家にたどりついた。


8月9日(金)
 昨夜手当てはして寝たつもりだが、やはり撃沈状態。ぼやっと甲子園での金足農業戦を視聴する。六年前とは違うと予想しつつ見ていたが、最終回に「らしさ」を発揮し、なんとなく落ち着く。台風が東北地方へ向かっている予報が出ている。地震情報といい、災害対応に終始する国になったか…とまたぼんやりする。


8月10日(土)
 一昨日お世話になった方々へ御礼メールを送信。その後、予約した大型絵本を取りに図書館へ。イベントありで忙しそうだ。次の読み聞かせは「こわい話」で攻めてみる。展開を工夫したい。五輪は新競技の活躍が目立ち、放送もそれが多い。TBS系が見られずマラソンが観戦できないとは、いかにも時代の流れだ。

文月のエッ!!三つ

2024年08月01日 | 雑記帳
 七月のハイライトは、愛知・岐阜への旅行だった。アクシデントと呼べるほどの出来事はなかったがエーーーッと思わず声が出たことはある。二日目に長良川沿いのホテルの温泉に浸かり、部屋に戻って浴衣の裾をみると、血が点々と付いている。結構な赤さに染まっていて、どうやらふくらはぎからの出血らしい。
 
 
 右足を見ると、ポツンと虫刺されのように赤くなり、なかなか血が止まらない。立ち寄ってきた「天空の茶畑」と予想がついた。絆創膏を貼ってみたがすぐ滲んでしまう。単なる虫なのかそれとも蛭なのか見当がつかない。痛みも痒みもないが不安は残る。結局、翌朝には血が固まったが、赤い跡は今もって消えない。
 
 
 
 一学期の終業式があった日の午後。(やる必要はないのに)夏休み帳の一ページ目をやり終えた孫と居間で寛いでいたら、窓の外からバタバタと轟音がする。障子を開き目をやると、そこにはヘリコプターの大きな姿。墜落ではないよなと思うほどに近い。あっという間に降下して、我が家の近くの中学校グラウンドへ。
 
 
 エエッ!!ドクターヘリだ。孫の手を引き、着陸が見える場所へ。担架が出され、乗員が降りて校舎の方へ。何か重大な事故や怪我などがあったのだろうかと、心配してしばらく見ていたが、状況が進まず家へ戻る。少し経過してからヘリも戻った。命に関わる件ではなかったらしいが、平凡な日常には珍事と呼べる一つだ。
 
 
 
 以前「道の駅」で家人が菓子販売していた経緯もあり、知り合いから商品用シール作成を頼まれ続けている。久しぶりに注文があり消耗品をネット通販で購入しようとサイトに入ったら…エッ!!用紙も印刷インクも随分と値上がりしている。物価高は言われ続けているが初めて実感した次第。何事も身に迫らないとね…。