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脳はNO!と言う「平等」

2019年11月28日 | 読書
 SNSによる事件がまた世間を騒がせている。そうはいってもネット普及は留まる所を知らない。こんなふうに書く自分も含めて、それを脳科学的に説明すれば「自分の話をすることは快感」という生理に理由があるらしい。読書から得たことを面白がる個は肥大していく一方か。嫌悪感のある話でもそうなのだから。

2019読了104
『脳はなにげに不公平』(池谷裕二  朝日文庫)



 「平等」「公平」を、教師としての矜持のように考えていたのは、いつ頃までだったろうか。今振り返ると技能の足りなさを棚上げした言い訳に過ぎない。それはさておき、平等は大事だ、格差が広がるのは駄目、税金は金持ちから多く取れ…などと今も普通に思っている。そんな凡人の脳には刺激的な第一稿だった。


 その題は「不平等な世界のほうが安定する」。えっ、何と思う。これは脳内の組織や回路の話にとどまらず、「安定」を基準に考えると、我々人間社会にも当てはまるかもしれないという。「平等さを突き詰めると不平等になるのは、自然なプロセス」という統計学的事実があり「ボルツマン分布」として紹介されている。


 お金のトレードを繰り返す実験において所持金の変化をみた結果である。ルールに不平等性がなくとも、一部の大金持ちと多数の貧乏人が出現する。これはよく知られているらしいが、人はそれでも平等や民主主義を相変わらず理想とする。だから争いが起き、結果的には不安定さが増すようになる。しかし簡単には…。

 
 「不平等な世界」とは今の長期政権を指すのか、と揶揄の一言も書きたくなる。平等を求めた暴力的な諍いが、今日も世界のどこかで起こっていることを考えれば、確かに安定の成立には不平等さを受け入れる素直さが不可欠だ。江戸時代もそうだしね…。書いていて平等・公平がどこか口先の自分に気づき、嫌になる。


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