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「家康、江戸を建てる」門井慶喜

2016年09月02日 22時03分31秒 | 読書(歴史/時代)


「家康、江戸を建てる」門井慶喜

家康は江戸をどう作ったのか?
小説の形で紹介した作品。

P19
「つまり、どうなのだ」
 話をうながすと、伊奈忠次は、このときばかりは明瞭に、
「川そのものを、まげまする。江戸に流れ込む前に」

P112
「値さがりが見えている通貨など、誰が持ちたがりましょう。たとえ太閤様に手ずから拝領したものであっても、なるべく早くこっそり両替商へもちこんで武蔵小判に替えてしまう、そういう動きに出るはずです。(後略)」

P175
 ここにおいて、日本の通貨史はまったく新しい発展段階に入った。取引のたびに天秤や分銅をひっぱり出して金銀の重さを量るような秤量貨幣から、枚数をかぞえるだけで正確に額を共有できる、いわゆる計数貨幣の世になった。

P186(七井の池=のちの井の頭)
「七井の池か」
「こいつを最初にみつけたんは、かの源頼朝公さ」

P343
(年寄りは、議論では若者に勝てんの)
 反射神経がおとろえたとか、頭の回転がにぶくなったとかいう以前の問題として、そもそも議論などという人間的行為そのものに意味を見いだせなくなっているのだ。

P353
関ヶ原の戦いというのは、建前の上では豊臣政権内部の内輪もめにすぎないからだ。あれは要するに徳川家康と石田三成という家臣どうしがごたごたを起こし、
――私闘に走っただけである。
 というのが豊臣家の公式な見解だった。法理論上は「天下分け目の戦い」などという大げさな話では断じてなく、天下は依然として豊臣の手のなかにあるという立場なのである。

【ネット上の紹介】
「北条家の旧領関東二百四十万石を差し上げよう」天正十八年、落ちゆく小田原城を眺めながら、関白・豊臣秀吉は徳川家康に囁いた。その真意は、水びたしの低湿地ばかりが広がる土地と、豊饒な現在の所領、駿河、遠江、三河、甲斐、信濃との交換であった。愚弄するかのような要求に家臣団が激怒する中、なぜか家康はその国替え要求を受け入れた…。ピンチをチャンスに変えた究極の天下人の、面目躍如の挑戦を描く快作誕生!