「家族という病 」下重暁子
話題の作品を読んだ。
P51
たとえ家族だったことがあるにしても、人はつれ合った配偶者のことをほんとうに理解することはない。死という形で終止符が打たれてはじめてそのことに気がつき、もっと話をすればよかったとか、聞いておけばよかったと後悔する。
P55
ある女優さんから聞いた話だが、知人のパーティで、男性から声をかけられた。
「やあ、元気ですか」
どうしても思い出せなかったという。よく知っている人のはずだが、いったい誰だったのか。
家に帰りついてから突然思い出した。かつて数年間結婚していた相手だったのだ。
P110
「一番家族がわかり合える、話が出来るのは、親に介護が必要になった時ではないか。家族はいやおうなく向かい合い、お互いを理解するために話を始めるのではないか」
【ネット上の紹介】
日本人の多くが「一家団欒」という言葉にあこがれ、そうあらねばならないという呪縛にとらわれている。しかし、そもそも「家族」とは、それほどすばらしいものなのか。実際には、家族がらみの事件やトラブルを挙げればキリがない。それなのになぜ、日本で「家族」は美化されるのか。一方で、「家族」という幻想に取り憑かれ、口を開けば家族の話しかしない人もいる。そんな人達を著者は「家族のことしか話題がない人はつまらない」「家族写真入りの年賀状は幸せの押し売り」と一刀両断。家族の実態をえぐりつつ、「家族とは何か」を提起する一冊。
[目次]
序章 ほんとうはみな家族のことを知らない(家族とは何なのか
なぜ私は家族を避けてきたのか)
第1章 家族は、むずかしい(家族を盲信する日本人
なぜ事件は家族の間で起きるのか ほか)
第2章 家族という病(家族のことしか話題がない人はつまらない
家族の話はしょせん自慢か愚痴 ほか)
第3章 家族を知る(介護で親子は互いを理解する
親は要介護になってはじめて弱い姿をわが子に見せられる ほか)
第4章 旅立った家族に手紙を書くということ(家族を知ることは自分を知ること
父への手紙―冬の雷 ほか)