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「 美術品でたどるマリー・アントワネットの生涯」中野京子

2016年10月09日 19時38分49秒 | 読書(歴史/時代)


「 美術品でたどるマリー・アントワネットの生涯」中野京子

このような作品を読むと、考えてしまう。
「もしここで、こうしていたら」、と。
上手くやっていたら、亡命して長生き出来たかもしれない。
でも、それは現代人から見た後知恵。
…悲劇の王妃だからこそ、記憶に残るのでしょう。

アントワネットの夫・ルイ16世について
P47
女性にはほとんど興味がなく、15歳で妻を娶りたいなどとは思っていなかった。

2人の初夜について
P51
王太子ルイはこの日の日記に「リアン(=何もなし)」とメモした。好きな狩猟をしなかったという意味らしいが、肝心の点でもリアンだった。

デュー・バリー夫人との対立について
P67
「負けて勝つ」という戦いができなかったのは、年齢のせいばかりではないだろう。皆が感じたように、すでにもうここにアントワネットの性格上の特徴がはっきりあらわれている。侮辱を許さぬプライドの高さだ。それは自信のない人間に限って極端な表出となる。(自信のないヤツほど、プライドが高く、威張ったりする、ってのは確かにある。ただし、クライミングに関しては、登ればすぐ実力がバレてしまうから、威張りようがない。山屋の場合は、様々な要素があって、実力を推し測るのは少し難しい…その点、ハッタリが効くかもしれない。では、仕事の場合は…どうだろう?)

ポリニャック夫人について
P105
ポリニャック家はブルボンの疫病神だったのかもしれない。
(ランバル公爵夫人は最後まで忠誠を尽くし暴徒に惨殺される、一方ポリニャック夫人は財産を抱えて国外逃亡、息子は王政復古で首相となりブルボン終焉に導く)

ヴェルサイユからチュイルリー(1世紀以上も捨て置かれた建物で荒れ放題)へ移される
P135
ルイ・シャルルが、「ここはずいぶん汚いね、ママ」と言ったとき、アントワネットの返事はみごとなものだ。「ここにはルイ14世がお住みになり、居心地が良いと思われていたのですよ。わたしたちがそれ以上を要求してはなりません」。
 この誇り高い言葉は、次の感慨へ一直線に続いている、「不幸になって初めて、自分が何者かわかるのです」。

ルイ16世の遺書
P165
「我が妻には、わたしのせいで彼女の身にふりかかってしまった不幸、そしてともに過ごした期間にわたしが彼女に与えたであろう悲しみについて赦しを乞います」

【参考リンク】
「マリー・アントワネット運命の24時間」中野京子

【ネット上の紹介】
フランスの栄華をきわめたヴェルサイユの歴史。なかでも最も魅惑的な人物として語り継がれる悲劇のヒロイン、マリー・アントワネット―その三十八年の生涯を、「ヴェルサイユ宮殿(監修)マリー・アントワネット展」の出展作品を題材にしながら紡いでいく。王妃の運命を決めた“偶然・暗転・想定外”(コラム)を収載。
[目次]
ハプスブルク家のプリンセス
変わりはじめた国際地図
嫁ぎ先ブルボン家
王太子妃としての生活
神に選ばれた王妃
ロココの薔薇
忍び寄る革命
「パリへ!」
逃亡失敗とフェルゼン
引き裂かれた家族
忘れ得ぬ王妃