「台湾少女、洋裁に出会う」鄭鴻生
1930年代の台湾、日本の婦人雑誌を見て洋裁を知り、夢中になる。
日本人が経営する店で洋裁を実践から学び、やがて洋裁学校を経営するまでになる実話。日本統治下から、戦後の復興、経済成長の歴史も背景として語られる。著者・鄭鴻生は、主人公の女性の息子。資料を駆使して、淡々と語られ、好感が持てる文章だ。(翻訳も読みやすい、「台湾海峡一九四九」の訳者と同じ天野健太郎氏だ)
日本留学を決意する
P102
切符は、例の専売局で仕事をしていたおじに頼んで買ってきてもらったという。綴り式で、値段は32円。小冊子みたいなそれは、台南駅から基隆駅までの鉄道、基隆駅から九州の門司港までの船、そこからの東京市内までの鉄道の切符がセットになっていて、経由地に着くたびに1枚もぎとられた。
P216
現在台湾に住む客家人は、人口の15%弱と言われる。
P217
台湾で広く話されている「台湾語」は、中国大陸より移民してきた漢民族の多数を占める福建南部の方言(閩南語)だが、台湾のなかでも各地で細かい差がある。
【ネット上の紹介】
もうひとつの“カーネーション”がここにあった!『主婦之友』『婦人倶楽部』…日本統治下の一九三〇年代の台湾で、日本の婦人雑誌に魅了された少女は、親の反対を押しきって、洋装店の見習いとなり、やがて台南に自ら洋裁学校を開校する。母が息子に語った“小さな近代史”
序―六〇年の洋裁人生
目覚めのころ 1931‐36
学びのころ 1936‐44
戦中戦後の混乱を生きる 1944‐53
独立のころ 1953
夢中で仕事をしていた 1953‐60
路地裏で花開く洋裁学校の全盛期 1960‐74
終わりの季節―1974‐94
終わりに―最後の盛装
目覚めのころ 1931‐36
学びのころ 1936‐44
戦中戦後の混乱を生きる 1944‐53
独立のころ 1953
夢中で仕事をしていた 1953‐60
路地裏で花開く洋裁学校の全盛期 1960‐74
終わりの季節―1974‐94
終わりに―最後の盛装