「大統領でたどるアメリカの歴史」明石和康
P6
建国から200年余の期間で、独立直後の大切な時期を指導したワシントンと19世紀半ばの南北戦争を克服したリンカーン、そしてフランクリン・ルーズベルトの3人が、アメリカ史上最も尊敬されている大統領です。
P24
満場一致で2度も大統領に選出されたのはワシントンだけです。
P26
ワシントンは惜しまれながらも、二期8年で引退しました。これは、生まれて間もない民主主義国アメリカの指導者の在り方を明瞭に示した点で大きな意義があります。つまり、大統領の権力は非常に強いけれども、民主国である以上、1人の指導者が権力の座に長くとどまるのは良くないとの信念です。(毛沢東、金日成など政治家より、教祖か家元に近い気がする)
P80
双方とも、よもやこの戦い(南北戦争)が4年も続き、計62万人もの犠牲者をだす近代史上最大規模の内戦に発展するとは思ってもいなかったようです。(中略)第1次世界大戦での米兵の死者数は40万5千人、ベトナム戦争では5万8千人です。
P150
民間経済が失敗したなら、連邦政府が積極的に経済に介入して、国民の生活を守らなければならない。それを行動で示し、危機の時代のリーダーシップを確立したのがルーズベルトです。(中略)30年代から40年代に大人になった多くのアメリカ人は「彼が職を与えてくれた」「彼が救ってくれた」との思いが強く、民主党時代は戦後の60年代まで続くのです。黒人層がリンカーンの政党だった共和党から民主党支持に変わる歴史的な変化が起きたのも、中間層が急速に厚くなったのもルーズベルトが築いた民主党時代の特徴と言えるでしょう。
P175
ベトナム戦争は、アメリカが軍事的に支援する現地政府に対して、南ベトナムの人々が植民地主義からの脱却を目指して戦う民族解放戦争の意味合いがありました。東南アジアにおける共産主義の浸透を恐れるあまり、ジョンソン政権はもちろん、多くのアメリカ人がそのことをなかなか理解しようとしなかった点にも問題があります。
68年1月に北ベトナムが仕掛けたテト攻勢(the Tet Offensive=テトとはベトナムの旧正月です)はアメリカ軍を守勢に追い込みます。国内の批判が高まる中で、同年3月31日、ジョンソンは北爆の中止と自らの再選出馬断念をテレビを通じて国民に発表します。ちょうど68年が大統領選の最中だったため、民主党は大混乱。(中略)フランクリン・ルーベルト以来、長年続いた民主党優位の時代は、ベトナム戦争の激化とともに終焉を迎えるのです。
P201
カーターの稚拙な外交手腕に失望した保守的な民主党員の中には、レーガンの指導力に引き付けられ、共和党入りする人が出てきました。(中略)まさに、「レーガン革命」とも言うべき政治的大変動が起きたのです。そのうねりは、基本的に第43代ジョージ・W・ブッシュ政権まで続き、共和党主導の一時代を画するのです。
【参考リンク】
歴代アメリカ合衆国大統領の一覧 - Wikipedia
【ネット上の紹介】
大国アメリカを率い、世界に強い影響力を及ぼすアメリカ大統領はどのように指導力を発揮してきたのだろうか。「建国の父」と呼ばれる初代ワシントンから、リンカーン、ルーズベルト、レーガン、ブッシュそして初の黒人大統領オバマまで、歴代大統領の足跡をたどりながらアメリカの歴史をわかりやすく解説します。
序章 大統領が導くアメリカ
第1章 独立からフロンティア拡大の時代―一七七六‐一八六〇年
第2章 分裂の危機と南北戦争―一八六〇‐一八九六年
第3章 欧州列強に並ぶ大国への道―一八九六‐一九三二年
第4章 ルーズベルト連合と民主党の時代―一九三二‐一九六八年
第5章 アメリカの復活とレーガンの時代―一九六八‐二〇〇八年
第6章 変わるアメリカ、オバマの登場―二〇〇八年‐現在