内容はペインズフォード・ロープクライミング+移動アーサーズパスです。
但し、登っている写真は1枚もない・・・メンバー2人だから。
画面拡張アイコンをクリックして見て下さい。
菅野雪虫さんの最新作発売、と聞き、ソッコー取り寄せて読んだ。
カドカワ銀のさじシリーズの一冊として発売された。
(このシリーズではRDGが有名)
さて、菅野雪虫さんと言えば、「天山の巫女ソニン」を思い出す。
これは、非常に面白かった。
(だから、今回も無条件で、購入した)
【ネット上の紹介】
ひとつしか瞳をもたない鷹のアキと暮らす少女・ムメは、都から来たばかりの少年・春名丸と出会った。それが縁で春名丸の父親・小野春風にさまざまなことを教わるムメ。やがて見違えるような娘へと育ったムメは、春名丸との友情をはぐくんでいく。だがそのころ、羽州では都に対する戦いが起きようとしていて―!!それが、東北の地、羽州で起きた「元慶の乱」のはじまりだった。
【参考図書】
→天山の巫女ソニン(全5巻)菅野雪虫(講談社)
ずっと気になっていた作品、やっと入手読了した。
著者ブルボン小林となっているが、コラムニストとしてのペンネーム。
芥川賞作家・長嶋有、である。(俳人・長島肩甲でもある)
だが、(そんなことに関係なく)評論として、本書は質が高い。
そのレベル、中条省平クラスか、それ以上、と思われる。
もちろん、切り口が全く異なるけど、そこが面白い。
(表紙は寝転んで本を読むハットリくん・・・これが著者の姿勢、スタンスを表現している、と思う)
内容は非常に細かい点を突いてるんだけど、これが作品の核心だったりする。
以下、興味深かった箇所を紹介する。
P42「ガラスの仮面」に生じたねじれ
あまりに長期間にわたって連載されているので、過去の作品と現在の風俗が合わなくなっている。
例えばテレカ→ポケベル→携帯、と世の中進化した。
「ちびまる子」だと登場人物が成長しないが、「ガラスの仮面」は成長している。
それをどう調整するのか?
(関係ないけど、ドイルがシリーズ後半、ホームズに電話を使わせた、ってのを思い出す)
P47あとがき漫画について。
美化も、過剰なデフォルメもない佐々木倫子のあとがき漫画に驚いている。
以下、著者の言葉。
本編の面白さもだが、あとがきのドライさ一点だけで、僕はこの作者になんだか一目おいてしまうのである。きっとこの人にはなにかある。
P102
「キャラ」という言葉だが、僕の定義ではこれは「個性」と似て非なるものだ。
たとえば野球もので『ドカベン』は主としてキャラの漫画だが、『キャプテン』は主に個性を描いた漫画である。
P104
八十年代、ジャンプ漫画の主人公の多くには共通点があった。「女の子に甘く」「明るいお調子者」だが「やるときはやる」。
著者によると、その後傾向に変化が見られるそうだ。
まず「女子に甘い」どころか、女子に興味がない(作中に女子があまり登場しない)。冷静で「お調子者」でもない(脇役にもお調子者は見当たらない)。「やるときゃやる」だけは発揮されるが、「やるときゃ」という軽みは感じられない。
(中略)
これはあれだ、安直な見立てだが、草食系男子だ。
少し前から指摘されている、少年漫画の「少年」読者減少のせいだろうか(外野から眺めていても、ここ十年ほどのジャンプ漫画の人物造形は女子ウケのする美少年ばかりだ)。
P140
「ハチクロ」について書かれている。
絵本作家の佐野洋子さんの感想を引用している。
「私が美大生のころの方が楽しかった」、と。
(漫画相手に)負けず嫌いなことをいってるのも格好いい!
そしてこの漫画が恋愛以上に「楽しさ」を描こうとしていることを正しく見抜いたということも。
『ハチクロ』は僕も楽しく読んだ。他『のだめカンタービレ』など読み終えて思う。最近(といってもここ十年ほどさかのぼるが)の少女漫画には特徴がある。「だらしない生活ぶりをあえて描く」「オタクギャグを散りばめる」「人物の画にリアル調とギャグ調とあって、展開によってスピーディに使い分ける(描線が二つあることでなく、切り替え速度が今風)」。
P170
萩尾望都さんとの対談について。
「大物」というのは偉そうに振舞うから大物なのではない。この人こそ手塚治虫と同時代に大活躍して文化を築き上げた存在であり、今なお現役で大作に取り組んでいる、あの人だという圧倒的な「情報量」が、こちらを畏敬の念ですくませるのだと思う。
とにかく萩尾さんのおかげで笑いのたえない対談だったが、一瞬だけその場の全員に陰のさした瞬間があって、それは『テレプシコーラ/舞姫』の千花ちゃんが亡くなった話題のときだった。
P180-183
花輪和一は宮崎駿のやりたかったことを易々とやってしまった、と。
エコロジー作家だなんで思われたくないという宮崎駿の気持ちは分かる。だが『もののけ姫』はそのせいで、さらに重い「テーマ」をまとってしまった。
(中略)
絶対に宮崎は花輪をうらやましいと思っているはずだ。マイナーな雑誌で、変な期待をされることなく好きに描けるということの自由さを。
P189-193
浦沢直樹について。
様式で衝撃を与えることが悪いわけではないが、浦沢直樹のそれは「うますぎる」。うまいことはいいことだが、すぎるとどうなるか。口に運ぶと、味と同時にシェフの自信ありげな顔が浮かぶ感じがする。
P201
読み込んだ漫画ですら、覚えているのはほんの一場面ということが多い。だから我々はときに「再読」ということをする。忘れてしまっているから思い出すためにする再読もあるけど、そうじゃなくて、覚えているあの一場面や一キャラクター、一セリフをもう一度みたいとう欲求が多いのではないか。
漫画というのはそういう一コマがあれば、もういいんじゃないかと思うときがある。極論のようだけど。小説なんかもそうだ。我々は小説を暗記できない(よほど頑張らないと)。でもページをめくるたびにあのキャラクターが(記憶と同じ)台詞をいっていたり、何かのしぐさをしている。物語とかテーマではなくて、鮮烈ななにかを一箇所でも読者に残すことができれば、それは成功だ。
【ネット上の紹介】
『美味しんぼ』の山岡さんと栗田ゆう子の結婚をなげき、『デトロイト・メタル・シティ』をデーモン閣下目線で語り、『ぼのぼの』の激やせを心配、『臨死!江古田ちゃん』Tシャツを着て、「少年ジャンプ」主人公たちの草食男子化を考え、骨川スネ夫の自慢を分類・統計化する。最強のスーダラ・コラムニストが入魂の書き下ろしを加えて贈る、マンガをマンガとしてもっと楽しむためのアイデア68本。
松田志乃ぶさん、「嘘つきは姫君のはじまり」シリーズ最新刊。
待った、待った、待ってました。
現在私が追いかけてるシリーズ、多々ある。
でも、一番気になるのは、このシリーズとRDG。
平安朝を舞台にしたロマンチックコメディなんだけど、軽い部分とシリアスな箇所の使い分けが巧い。
(この緩急使い分けの巧さ、吉田秋生さんクラス)
政治的な駆け引きが詳細に語られるが、迫真のリアリティ。
シリーズ9冊目となった本作であるが、全く弛緩無し、ハイレベルをキープしている。
(かつての「ジャパネスクシリーズ」(氷室冴子)を彷彿させる)
私が楽しいと思ったシーン、感動のシーンを紹介する。(ネタバレあり、未読の方注意)
P24-P41。
東宮が蛍の宮のいる桐壺を訪問して、朝食を共にするシーン。
そこに、本来堀川邸にいる鹿子が給仕にやってくる。
ここでの会話の数々、鹿子、ホント楽しい性格だ。
P165-166、姫子の蛍の宮ものまねシーン。
姫子も芸達者で、鹿子に匹敵するキャラクター。
これはおかしい、笑ってしまう。
さらに、東宮のセリフP241。
「元服の義において、鷹を賜ること、駒をいただくことをのぞみません。内蔵寮を動かし、装束、宝物を調えさせるにも及びません。私が大人となるのに必要なものはただ一つだけ・・・・・・のぞむ宝は一つだけなのです。どうか私にかの姫を――二条の姫をお与えください」
P221、真幸と東宮の会話。
「―ですが、もし・・・・・・もし姫君がふたたび後宮に戻られることをご決心なさったら。こころに抱えられたさまざまなもの思い、世の煩いを越えられて、姫君がもう一度東宮さまお仕えすることをお決めになられたら。そのときには・・・・・・」
「真幸」
「そのときには・・・・・・どうか、我が姫君をおしあわせにしていただきたいのです。そのように、次郎君を通じて東宮さまにお伝えしてほしいのです」
さて、この後、どう展開するのか?
次巻10冊目は7月、さらに11冊目が8月予定、とのこと。
もう、待ちきれません!
(ちなみに「悪魔のような花婿」3巻は、4月発売予定)
PS
今回も気分を盛り上げるため、前作を読み返してから、本作に臨んだ。
この写真集の原本が出版されたのは、1989年10月。
長らく絶版だったのが、昨年10月に再構成され出版されたと聞き、さっそく取り寄せて購入した。
う~ん、これはいいよ~。
ふくろう、愛嬌あるし、見ていて飽きない。
絶妙なショットがいっぱい掲載されている。
なにげないシーンも、あとがきを読むと、そうとう苦労して撮影していることが分かる。
(以下、あとがき引用)
同じ冬でも雪の降り方は年ごとに違い、今年がだめだったからと翌年に雪のシーンを期待してもほとんどが空振りに終わってしまうのだった。
そこで気づかされたのは、大雪などは10年に一度といったスパンで自然界にプログラムされているということであり、この写真集の雪のシーンはその10年間でたった一回だけのチャンスをものにできた結果であることを申し添えておく。
ちなみに私の気に入っている写真はP78。
雄が雌にネズミをプレゼントする写真。
次のようなキャプションが付いている。
フクロウの求愛給餌 巣穴から100メートルの松の枝に雌がいる。雄が獲物をもってくると、雌はあまえた声で鳴く。その声を聞くと雄は雌に獲物をプレゼントする。
購入する余裕のない方は、図書館で借りてみて。
【ネット上の紹介】
はじめて見る、自然のフクロウの美しさ、りりしさ、愛らしさのすべてがここに!「幸運を運ぶ鳥」「不苦労」と言われ、多くの人に愛されているフクロウ。1990年に写真界の直木賞ともいわれる土門拳賞を、動物写真で初めて受賞した、本物のフクロウに出会える伝説の名写真集が、リーズナブルなHANDY EDITION版で登場!