学会終わりました。ちょっと疲れました。学会の規模も二、三年前から目に見えて小さくなりました。学会運営の収支報告を見ましたが、やはり大きいのが製薬会社からの協賛の低下と学会員数の低下で、ピーク時から2-3割は落ちている様子です。景気の良かった頃に貯めた十億円ほどが唯一の学会の資産ですが、そこから年に合計一億円ほどの小さなグラントを出して苦しむ研究者の一部を助けるという活動を続けるとのことなので、これは、はやければ十年で尽きます。支出を抑えるため、プログラムを凝縮して日程を短縮しているのも、学会で疲れる原因だと思います。
それでも、旧友に会ったり、色んな人と話をする良い機会で、楽しかったです。わがグループの二人も大変よい発表で好評でした。
帰りの空港で、来年の学会会長を見つけたので雑談。どうもこの人は日本人同士がお辞儀をしあう風習が興味深いようで、以前にも日本人に対する正しいお辞儀の仕方を聞かれたことがあり、今回も挨拶しようとしたらいきなりお辞儀をされて面食らいました。学会長の補佐は私のよく知っている二人です。この十年で、彼らも偉くなりました。昔は私と同じ名も無いポスドクだったなあと、我が身を振りかえってしばし嘆息。しかし、人にはそれぞれ特有の社会への貢献の仕方があります。彼らはリーダーシップのポジションについて学会や研究フィールドを引っぱって行く役目。私の役目は自分の身の回りから小さな貢献を続けていくことです。
それで、今日から学会中に休んでいたことを再開することになりました。〆切が迫ったグラントは最後の追い込みで何よりこれが最優先事項です。論文のリバイスが一件、なんとかなりそうです。多少の実験。書かないといけない論文が二件、これはグラントの後に回します。
学会中、数ヶ月前にとある一流紙にリジェクトされた論文がその姉妹紙に回り、そのレビューの依頼が来ました。この論文、複数の新しい遺伝子変異マウスを作り、それに別のマウスモデルを掛け合わせて、数年にわたって腫瘍の発生を追うという、カネと時間と労力のかかった研究で、私のような零細では絶対できないようなことをやっています。確かにDescriptiveではありますが、アクセプトでもよいレベルではないかとポジティブな回答をしましたが結果はリジェクト。こういう雑誌の論文のレビューはやはり疲れます。ちょっと迷いましたが引き受けることにして、早速、原稿を印刷することにしました。サプリメンタルデータも沢山あって論文をダウンロードして保存するだけで10分はかかりました。これを読まないといけないのかと思って、さらに暗い気分になりました。こっちは、この雑誌より3段階は低いレベルの雑誌に論文を通してもらうのに必死になっているのになあ、などとどうでもいいことを思いました。ま、違う世界の研究室の話ですワ。
学会中に共同研究者の人から原稿を読んでくれとの依頼があり、早速、チラッと目を通しました。前途多難な予感。しかもこの人は既に研究室を去ってしまって今は医者になるべく医学校に行っているので、どうしたものか、という感じです。その時、偶然、この研究室(癌の研究室です)の出した昔の論文に田谷洋一さんの名前を見つけました。柳田先生の田谷洋一さんの追悼文を読んだちょうど後でした。そういえば、私が研究を始めた頃はp53やRbなどの癌抑制遺伝子の研究は花盛りで、そもそもこの共同研究の論文も癌遺伝子と抑制遺伝子を操作して新たな癌モデルを作ろうとしたことが最初でした。田谷洋一さん編集の実験医学などの総説本をよく見かけたのを思い出しました。
故人と言えば、学会中に別の講座の教授が死亡したというニュース。まだまだ若い年齢でしたが癌だったようです。専門が違うので直接知りませんけど、そこに以前いた研究者の人と個人的に知り合って、売り出し前の研究材料などを都合してもらったことがあります。命ははかないものです。人はあっけなく去って行き、そして忘れられていきます。
それでも、旧友に会ったり、色んな人と話をする良い機会で、楽しかったです。わがグループの二人も大変よい発表で好評でした。
帰りの空港で、来年の学会会長を見つけたので雑談。どうもこの人は日本人同士がお辞儀をしあう風習が興味深いようで、以前にも日本人に対する正しいお辞儀の仕方を聞かれたことがあり、今回も挨拶しようとしたらいきなりお辞儀をされて面食らいました。学会長の補佐は私のよく知っている二人です。この十年で、彼らも偉くなりました。昔は私と同じ名も無いポスドクだったなあと、我が身を振りかえってしばし嘆息。しかし、人にはそれぞれ特有の社会への貢献の仕方があります。彼らはリーダーシップのポジションについて学会や研究フィールドを引っぱって行く役目。私の役目は自分の身の回りから小さな貢献を続けていくことです。
それで、今日から学会中に休んでいたことを再開することになりました。〆切が迫ったグラントは最後の追い込みで何よりこれが最優先事項です。論文のリバイスが一件、なんとかなりそうです。多少の実験。書かないといけない論文が二件、これはグラントの後に回します。
学会中、数ヶ月前にとある一流紙にリジェクトされた論文がその姉妹紙に回り、そのレビューの依頼が来ました。この論文、複数の新しい遺伝子変異マウスを作り、それに別のマウスモデルを掛け合わせて、数年にわたって腫瘍の発生を追うという、カネと時間と労力のかかった研究で、私のような零細では絶対できないようなことをやっています。確かにDescriptiveではありますが、アクセプトでもよいレベルではないかとポジティブな回答をしましたが結果はリジェクト。こういう雑誌の論文のレビューはやはり疲れます。ちょっと迷いましたが引き受けることにして、早速、原稿を印刷することにしました。サプリメンタルデータも沢山あって論文をダウンロードして保存するだけで10分はかかりました。これを読まないといけないのかと思って、さらに暗い気分になりました。こっちは、この雑誌より3段階は低いレベルの雑誌に論文を通してもらうのに必死になっているのになあ、などとどうでもいいことを思いました。ま、違う世界の研究室の話ですワ。
学会中に共同研究者の人から原稿を読んでくれとの依頼があり、早速、チラッと目を通しました。前途多難な予感。しかもこの人は既に研究室を去ってしまって今は医者になるべく医学校に行っているので、どうしたものか、という感じです。その時、偶然、この研究室(癌の研究室です)の出した昔の論文に田谷洋一さんの名前を見つけました。柳田先生の田谷洋一さんの追悼文を読んだちょうど後でした。そういえば、私が研究を始めた頃はp53やRbなどの癌抑制遺伝子の研究は花盛りで、そもそもこの共同研究の論文も癌遺伝子と抑制遺伝子を操作して新たな癌モデルを作ろうとしたことが最初でした。田谷洋一さん編集の実験医学などの総説本をよく見かけたのを思い出しました。
故人と言えば、学会中に別の講座の教授が死亡したというニュース。まだまだ若い年齢でしたが癌だったようです。専門が違うので直接知りませんけど、そこに以前いた研究者の人と個人的に知り合って、売り出し前の研究材料などを都合してもらったことがあります。命ははかないものです。人はあっけなく去って行き、そして忘れられていきます。