昨日(6/23)の読売新聞に《日吉館よ さよなら 解体工事始まる》と言う記事が出ていた。《作業員5人が木造2階建ての建物の周囲に足場を設け、屋根から防音シートをつり下げた。通行人らは、シートで覆われる様子を名残惜しそうに見守りながら、カメラで撮影していた。解体工事は7月上旬に完了する》とのことだった。
うっかりしているうちに、もう解体工事が始まっていたのだ。
「事件は現場で起こっている」。早速、昨日の会社の帰り、現場に立ち寄ってみた。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20090622-OYT8T01070.htm
隣の建物は、釜飯の志津香(しづか)
県庁側から坂を登っていくと、建物が見えてきた。すでに、すっぽりと防音シートで覆われていた。見るも無惨な姿である。建物の横には解体業者の表示も出ている。後ろの建物の解体は、これからのようだが、相当傷んでいるのが見て取れる。こうして日吉館は、なくなってしまうのだ。何とも無念なことである。
私が日吉館の取り壊しを知ったのは、5/13付の奈良新聞だった。見出しは《「日吉館」取り壊しへ-文化人が愛した宿》だ。引用すると…。
http://www.nara-np.co.jp/n_soc/090513/soc090513a.shtml
《会津八一ら多くの文化人に愛された奈良市登大路町の旅館「日吉館」が、老朽化のため取り壊されることが分かった。名勝奈良公園の一角で、所有者の申請を受けた文化庁が現状変更を許可した。店舗兼用住宅に生まれ変わる予定で、古都の名物旅館は多くの思い出とともに姿を消す》。
《日吉館は奈良国立博物館北側にあり、平成10年に88歳で亡くなった田村キヨノさんが切り盛りしてきた。延べ床面積約250平方メートルの木造2階建て。歌人で早稲田大学教授だった会津八一や「古寺巡礼」を著した和辻哲郎、評論家の小林秀雄ら多くの文化人が定宿とした》《学生にも愛されたが、田村さんの高齢化で平成7年に廃業、約80年の歴史に幕を閉じた。セミナーハウスとして活用する計画もあったが、立ち消えとなっていた》。
背後の建物は、まだ残っていた
地元有志の間から「セミナーハウスとして活用したい」という声が上がったのは3年前のことだが、彼らの話では「所有者の同意が得られなかった」のだそうだ。所有者間の「権利関係が複雑だった」という話も聞いた。決して、自然に「立ち消え」となったのではない。
私は日吉館に泊まったことはないが、宴会で使わせてもらったことがある。素朴な家庭料理が出てきたという記憶がある。帰り際には、奥に座っておられた田村キヨノさんに、挨拶させていただいた。ならまちの町家のような雰囲気の旅館だった。
ネットには出ていないが、奈良新聞(5/13付)の記事には続きがある。手元の切り抜きによると《今年に入って所有者が建物の解体を文化庁に申請。県教育委員会が建物を調べたところ、柱が傾くなど中に入るのも危険な状態で、報告を受けた同庁は再利用不可能と判断した》。
http://blogs.yahoo.co.jp/kazupon279/26696928.html
《周辺は第一種風致地区と歴史的風土特別保存地区。奈良市景観課にほぼ同面積の店舗付き住宅で申請が上がり、先月3日に許可された》。
《文化庁(文化財部)記念物課の担当者は「保存の動きをもう少し早く知っていれば」と残念がる。現在のままでは倒壊の危険もあり、所有者が県と協議することを前提に現状変更を許可したという》。
文化庁担当者のコメントが気になる。記者がつけ加えた「残念がる」は、本当なのか。「保存の動きをもう少し早く知っていれば」文化庁は動いてくれたというのだろうか。文化庁担当者の不勉強(情報不足)はさて置くとしても、霞ヶ関に対して、「地元でセミナーハウスの構想があるよ」と知らせるべきは、(現地調査担当の)奈良県教育委員会なのだろうか。県教育委員会が早い段階でそのことを報告してさえいれば、この文化遺産の解体は免れたというのか。
※解体前の日吉館:橋川紀夫氏のホームページ「奈良歴史漫歩」(No.067 日吉館の記憶)より拝借
http://www5.kcn.ne.jp/~book-h/mm070.html
日吉館の常連客にはマスコミ関係者もいるが、早くに全国紙で報道されていれば、文化庁を動かすことができたのだろうか。また、われわれ県民が打つ手はなかったのだろうか…。考えれば考えるほど、疑問や後悔の念が浮かび上がってくる。
記念物とはいえ、私有財産の処分に文句をつけてはいけないのだろうが、権利関係が複雑で所有者が手放さないと聞いていた日吉館が、たった3年で方向転換し、手回しよく市の許可も得て、あっさり解体・新築されてしまうというのは、どうも後味が悪い。これは、新たな反省材料としなければならない。
近代奈良の貴重な文化遺産が、また1つ失われてしまった。文化庁が《正面外観を現状に近いものにすることや、使える部材の活用を所有者側に求めている》ということを、(強制力はないものの)せめてもの救いといなければならないのだろうか。
うっかりしているうちに、もう解体工事が始まっていたのだ。
「事件は現場で起こっている」。早速、昨日の会社の帰り、現場に立ち寄ってみた。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20090622-OYT8T01070.htm
隣の建物は、釜飯の志津香(しづか)
県庁側から坂を登っていくと、建物が見えてきた。すでに、すっぽりと防音シートで覆われていた。見るも無惨な姿である。建物の横には解体業者の表示も出ている。後ろの建物の解体は、これからのようだが、相当傷んでいるのが見て取れる。こうして日吉館は、なくなってしまうのだ。何とも無念なことである。
私が日吉館の取り壊しを知ったのは、5/13付の奈良新聞だった。見出しは《「日吉館」取り壊しへ-文化人が愛した宿》だ。引用すると…。
http://www.nara-np.co.jp/n_soc/090513/soc090513a.shtml
《会津八一ら多くの文化人に愛された奈良市登大路町の旅館「日吉館」が、老朽化のため取り壊されることが分かった。名勝奈良公園の一角で、所有者の申請を受けた文化庁が現状変更を許可した。店舗兼用住宅に生まれ変わる予定で、古都の名物旅館は多くの思い出とともに姿を消す》。
《日吉館は奈良国立博物館北側にあり、平成10年に88歳で亡くなった田村キヨノさんが切り盛りしてきた。延べ床面積約250平方メートルの木造2階建て。歌人で早稲田大学教授だった会津八一や「古寺巡礼」を著した和辻哲郎、評論家の小林秀雄ら多くの文化人が定宿とした》《学生にも愛されたが、田村さんの高齢化で平成7年に廃業、約80年の歴史に幕を閉じた。セミナーハウスとして活用する計画もあったが、立ち消えとなっていた》。
背後の建物は、まだ残っていた
地元有志の間から「セミナーハウスとして活用したい」という声が上がったのは3年前のことだが、彼らの話では「所有者の同意が得られなかった」のだそうだ。所有者間の「権利関係が複雑だった」という話も聞いた。決して、自然に「立ち消え」となったのではない。
私は日吉館に泊まったことはないが、宴会で使わせてもらったことがある。素朴な家庭料理が出てきたという記憶がある。帰り際には、奥に座っておられた田村キヨノさんに、挨拶させていただいた。ならまちの町家のような雰囲気の旅館だった。
ネットには出ていないが、奈良新聞(5/13付)の記事には続きがある。手元の切り抜きによると《今年に入って所有者が建物の解体を文化庁に申請。県教育委員会が建物を調べたところ、柱が傾くなど中に入るのも危険な状態で、報告を受けた同庁は再利用不可能と判断した》。
http://blogs.yahoo.co.jp/kazupon279/26696928.html
《周辺は第一種風致地区と歴史的風土特別保存地区。奈良市景観課にほぼ同面積の店舗付き住宅で申請が上がり、先月3日に許可された》。
《文化庁(文化財部)記念物課の担当者は「保存の動きをもう少し早く知っていれば」と残念がる。現在のままでは倒壊の危険もあり、所有者が県と協議することを前提に現状変更を許可したという》。
文化庁担当者のコメントが気になる。記者がつけ加えた「残念がる」は、本当なのか。「保存の動きをもう少し早く知っていれば」文化庁は動いてくれたというのだろうか。文化庁担当者の不勉強(情報不足)はさて置くとしても、霞ヶ関に対して、「地元でセミナーハウスの構想があるよ」と知らせるべきは、(現地調査担当の)奈良県教育委員会なのだろうか。県教育委員会が早い段階でそのことを報告してさえいれば、この文化遺産の解体は免れたというのか。
※解体前の日吉館:橋川紀夫氏のホームページ「奈良歴史漫歩」(No.067 日吉館の記憶)より拝借
http://www5.kcn.ne.jp/~book-h/mm070.html
日吉館の常連客にはマスコミ関係者もいるが、早くに全国紙で報道されていれば、文化庁を動かすことができたのだろうか。また、われわれ県民が打つ手はなかったのだろうか…。考えれば考えるほど、疑問や後悔の念が浮かび上がってくる。
記念物とはいえ、私有財産の処分に文句をつけてはいけないのだろうが、権利関係が複雑で所有者が手放さないと聞いていた日吉館が、たった3年で方向転換し、手回しよく市の許可も得て、あっさり解体・新築されてしまうというのは、どうも後味が悪い。これは、新たな反省材料としなければならない。
近代奈良の貴重な文化遺産が、また1つ失われてしまった。文化庁が《正面外観を現状に近いものにすることや、使える部材の活用を所有者側に求めている》ということを、(強制力はないものの)せめてもの救いといなければならないのだろうか。