今日と明日(2018.4.7~8)は「春の神武祭」。そんなタイミングで昨日(4月6日)、奈良新聞1面トップに「神武東征神話を日本遺産に 橿原市 宮崎市 共同で申請準備」という記事が出た。全文を紹介すると、
初代の神武天皇による縁で姉妹都市盟約を結んでいる橿原市と宮崎市は、その「神武東征神話」にまつわるストーリーを日本遺産に申請しようと準備を進めている。同神話ゆかりの自治体と連携して認定を目指し、広域での活性化につなげたい考えだ。
神武東征は、神武天皇が九州の日向(宮崎県)から東に向けて出発し、大和の橿原宮(橿原市)で即位するまでを描いた、古事記や日本書紀に登場する国家草創の神話。橿原市によると、宮崎市とともにこの神武東征神話のストーリで、日本遺産に申請する計画を立てている。
神話にゆかりがある西日本の約20市町村と連携を図りたい考えで、県内では東吉野村や宇陀市、桜井市に参画を呼び掛ける。早ければ平成31年、遅くとも32年までの認定を目指す。橿原市は「神武天皇の実在性に捉われず、古事記や日本書紀に記されたストーリーで関係市町村と連携し、活性化につなげたい」と話す。
日本遺産は地域の歴史や文化にまつわるストーリーを文化庁が認定する制度。平成27年度に創設された。橿原市が関係するものでは「日本国創成のとき~飛鳥を翔(かけ)た女性たち~」と「1400年に渡る悠久の歴史を伝える『最古の国道』~竹内街道・横大路(大道)~」が、既に認定を受けている。
「奈良まほろまん―日本書紀の旅【神武東征篇】」(県文化資源活用課のHPより)
うーん、これは素晴らしいチャレンジである。「神話にゆかりがある西日本の約20市町村と連携を図りたい」というのもいい。奈良県は「古事記ゆかり地マップ」というすごいマップを作っている。ネットで見ることができるが、ぜひ現物を手に入れてほしいものだ。神武東征ルートとヤマトタケルの西征・東征ルートが一目でわかるスグレモノである(担当:県地域振興部 文化資源活用課)。ちなみに神武天皇とは『ブリタニカ国際大百科事典小項目事典』によると、
第1代に数えられる天皇。名はカンヤマトイワレヒコノミコト,神武は諡号(しごう)。「記紀」によればニニギノミコトの曾孫,ウガヤフキアエズノミコトの子,母は妃タマヨリヒメノミコト。日向を出発して瀬戸内海を東進し,難波に上陸したが,ナガスネヒコの軍に妨げられ,迂回して吉野を経て大和に攻め入り,ついに大和一帯を平定,前 660年大和畝傍橿原宮に都し,元旦に即位し,ヒメタタライスズヒメノミコトを立てて皇后とし,127歳で没したと伝えられる。
これは『日本書紀』の紀年法の誤りからきたもので,考古学的にみれば原始社会の段階における大和の一土豪として喧伝されてきた話を,こんな形で描いたものであろうといわれ,その東征説話も大和朝廷の発展期における皇室の淵源を悠遠のかなたにおき,九州と大和との連係の必然性をうたおうとしたものであろうといわれる。また崇神天皇こそ第1代天皇で,神武天皇はその投影であるとする説もある。陵墓は奈良県橿原市の畝傍山東北陵。
以前私は仲間と一緒に、県内に7ヵ所ある「神武天皇聖蹟記念碑」すべてを訪ねるバスツアーをやったことがあった。過去最高の約90人が参加し、バス2台で巡るという大キャラバン隊となった。日本遺産に認定され、宮崎市と橿原市が中心となり、そこに西日本の約20市町村が連携すれば、ゆかり地すべてを巡るバスツアーなど、面白い企画ができそうである。
橿原市さん、日本遺産への早期認定を大いに期待していますよ!
初代の神武天皇による縁で姉妹都市盟約を結んでいる橿原市と宮崎市は、その「神武東征神話」にまつわるストーリーを日本遺産に申請しようと準備を進めている。同神話ゆかりの自治体と連携して認定を目指し、広域での活性化につなげたい考えだ。
神武東征は、神武天皇が九州の日向(宮崎県)から東に向けて出発し、大和の橿原宮(橿原市)で即位するまでを描いた、古事記や日本書紀に登場する国家草創の神話。橿原市によると、宮崎市とともにこの神武東征神話のストーリで、日本遺産に申請する計画を立てている。
神話にゆかりがある西日本の約20市町村と連携を図りたい考えで、県内では東吉野村や宇陀市、桜井市に参画を呼び掛ける。早ければ平成31年、遅くとも32年までの認定を目指す。橿原市は「神武天皇の実在性に捉われず、古事記や日本書紀に記されたストーリーで関係市町村と連携し、活性化につなげたい」と話す。
日本遺産は地域の歴史や文化にまつわるストーリーを文化庁が認定する制度。平成27年度に創設された。橿原市が関係するものでは「日本国創成のとき~飛鳥を翔(かけ)た女性たち~」と「1400年に渡る悠久の歴史を伝える『最古の国道』~竹内街道・横大路(大道)~」が、既に認定を受けている。
「奈良まほろまん―日本書紀の旅【神武東征篇】」(県文化資源活用課のHPより)
うーん、これは素晴らしいチャレンジである。「神話にゆかりがある西日本の約20市町村と連携を図りたい」というのもいい。奈良県は「古事記ゆかり地マップ」というすごいマップを作っている。ネットで見ることができるが、ぜひ現物を手に入れてほしいものだ。神武東征ルートとヤマトタケルの西征・東征ルートが一目でわかるスグレモノである(担当:県地域振興部 文化資源活用課)。ちなみに神武天皇とは『ブリタニカ国際大百科事典小項目事典』によると、
第1代に数えられる天皇。名はカンヤマトイワレヒコノミコト,神武は諡号(しごう)。「記紀」によればニニギノミコトの曾孫,ウガヤフキアエズノミコトの子,母は妃タマヨリヒメノミコト。日向を出発して瀬戸内海を東進し,難波に上陸したが,ナガスネヒコの軍に妨げられ,迂回して吉野を経て大和に攻め入り,ついに大和一帯を平定,前 660年大和畝傍橿原宮に都し,元旦に即位し,ヒメタタライスズヒメノミコトを立てて皇后とし,127歳で没したと伝えられる。
これは『日本書紀』の紀年法の誤りからきたもので,考古学的にみれば原始社会の段階における大和の一土豪として喧伝されてきた話を,こんな形で描いたものであろうといわれ,その東征説話も大和朝廷の発展期における皇室の淵源を悠遠のかなたにおき,九州と大和との連係の必然性をうたおうとしたものであろうといわれる。また崇神天皇こそ第1代天皇で,神武天皇はその投影であるとする説もある。陵墓は奈良県橿原市の畝傍山東北陵。
以前私は仲間と一緒に、県内に7ヵ所ある「神武天皇聖蹟記念碑」すべてを訪ねるバスツアーをやったことがあった。過去最高の約90人が参加し、バス2台で巡るという大キャラバン隊となった。日本遺産に認定され、宮崎市と橿原市が中心となり、そこに西日本の約20市町村が連携すれば、ゆかり地すべてを巡るバスツアーなど、面白い企画ができそうである。
橿原市さん、日本遺産への早期認定を大いに期待していますよ!