公園整備が進められてきた田原本町の「唐古・鍵遺跡史跡公園」が、いよいよ4月17日(火)にオープンする。産経新聞奈良版(4/6付)「改修終えシンボル楼閣ピカピカ 唐古・鍵遺跡史跡公園が環濠復元し17日オープン」によると、
※トップ画像は田原本町の「唐古・鍵総合サイト」から拝借
田原本町が「唐古・鍵遺跡史跡公園」(約10万平方メートル)の整備の一環として進めていた復元楼閣(ろうかく)(高さ12・5メートル)の改修工事が終わり、真新しくなった同遺跡のシンボルが姿を現した。復元楼閣は、楼閣を描いた絵画土器(紀元前1世紀ごろ)の出土を受け、平成6年に遺跡内の唐古池に建てられた。木造2層構造で屋根は茅葺(かやぶ)き、渦巻き状の棟飾りを配し、欄干には鳥の飾りが付いている。
しかし、建築から24年が過ぎて老朽化が激しかったことから、史跡公園整備に合わせ、屋根をふき替えるなど約1400万円をかけて全面的に改修された。唐古・鍵遺跡は、国内最大級の弥生時代の環濠集落跡(約42万平方メートル)。遺跡中心部の約10万平方メートルが史跡に指定され、同町が平成21年度から史跡公園として整備してきた。
これまでに工事はほぼ終了し、ガイダンス施設の遺構展示情報館や園内を巡る遊歩道、休憩所、出土遺物の説明板が整備され、復元された環濠や、クヌギやコナラなどを植えた「弥生の林」も姿を見せている。唐古・鍵遺跡史跡公園は17日午前9時にオープンする。
公園内にできる道の駅「レスティ 唐古・鍵」は4月20日(金)グランドオープン、また「唐古・鍵 考古学ミュージアム」は5月31日(木)オープン予定なので、念のため。なお『情報・知識 imidas 2017』によると唐古・鍵遺跡とは、
奈良県田原本町大字唐古から大字鍵にひろがる弥生時代の遺跡。この時代を代表する大型環濠集落であり、国史跡に指定されている。弥生時代を通じて存続したが、弥生時代中期後半(紀元前1世紀~後1世紀頃)に最大となり、5重の環濠で囲まれている。その面積は約30ヘクタールである。
環濠の中には多くの建物があり、青銅器の工房も存在し、木器生産も行っていた。土器・石器・木器・玉などが大量に見つかっている。近畿の弥生土器編年研究は唐古遺跡出土土器によって確立し、学史的にも重要である。絵画土器も多く出土し、鹿・鶏・魚・スッポン・竜・人・建物・船など多様な表現があるが、2階建ての高層建築の絵画土器が発見されて、出土地の近くに楼閣として復元されている。
卑弥呼の生誕地という説があるので、「邪馬台国畿内説」ツアーのおりには必ずここを訪ねていた。弥生時代が稲作農耕社会だったことを早くから提唱していた森本六爾(もりもと・ろくじ)の話も、ここでやった。
今年のゴールデンウィークには、ぜひ唐古・鍵遺跡史跡公園をお訪ねください!
※トップ画像は田原本町の「唐古・鍵総合サイト」から拝借
田原本町が「唐古・鍵遺跡史跡公園」(約10万平方メートル)の整備の一環として進めていた復元楼閣(ろうかく)(高さ12・5メートル)の改修工事が終わり、真新しくなった同遺跡のシンボルが姿を現した。復元楼閣は、楼閣を描いた絵画土器(紀元前1世紀ごろ)の出土を受け、平成6年に遺跡内の唐古池に建てられた。木造2層構造で屋根は茅葺(かやぶ)き、渦巻き状の棟飾りを配し、欄干には鳥の飾りが付いている。
しかし、建築から24年が過ぎて老朽化が激しかったことから、史跡公園整備に合わせ、屋根をふき替えるなど約1400万円をかけて全面的に改修された。唐古・鍵遺跡は、国内最大級の弥生時代の環濠集落跡(約42万平方メートル)。遺跡中心部の約10万平方メートルが史跡に指定され、同町が平成21年度から史跡公園として整備してきた。
これまでに工事はほぼ終了し、ガイダンス施設の遺構展示情報館や園内を巡る遊歩道、休憩所、出土遺物の説明板が整備され、復元された環濠や、クヌギやコナラなどを植えた「弥生の林」も姿を見せている。唐古・鍵遺跡史跡公園は17日午前9時にオープンする。
公園内にできる道の駅「レスティ 唐古・鍵」は4月20日(金)グランドオープン、また「唐古・鍵 考古学ミュージアム」は5月31日(木)オープン予定なので、念のため。なお『情報・知識 imidas 2017』によると唐古・鍵遺跡とは、
奈良県田原本町大字唐古から大字鍵にひろがる弥生時代の遺跡。この時代を代表する大型環濠集落であり、国史跡に指定されている。弥生時代を通じて存続したが、弥生時代中期後半(紀元前1世紀~後1世紀頃)に最大となり、5重の環濠で囲まれている。その面積は約30ヘクタールである。
環濠の中には多くの建物があり、青銅器の工房も存在し、木器生産も行っていた。土器・石器・木器・玉などが大量に見つかっている。近畿の弥生土器編年研究は唐古遺跡出土土器によって確立し、学史的にも重要である。絵画土器も多く出土し、鹿・鶏・魚・スッポン・竜・人・建物・船など多様な表現があるが、2階建ての高層建築の絵画土器が発見されて、出土地の近くに楼閣として復元されている。
卑弥呼の生誕地という説があるので、「邪馬台国畿内説」ツアーのおりには必ずここを訪ねていた。弥生時代が稲作農耕社会だったことを早くから提唱していた森本六爾(もりもと・ろくじ)の話も、ここでやった。
今年のゴールデンウィークには、ぜひ唐古・鍵遺跡史跡公園をお訪ねください!