産経新聞(4/3付夕刊)1面トップにこんな仰天記事が出ていた。
日本酒初の「日本遺産」はどこに?認定レースに兵庫・伊丹市参戦
「清酒発祥」誇りかけ阪神間5市が準備会
「清酒発祥の地」を掲げる兵庫県伊丹市が、神戸や西宮など近隣の阪神間4市を巻き込み、日本遺産認定を目指す準備会を発足させた。地域には日本一の酒どころ「灘五郷」があり、来年の認定を目指している。日本酒分野で日本遺産に認定されれば全国初だが、日本酒では広島県東広島市が申請済み。「清酒発祥の地」は奈良市も標榜(ひょうぼう)しており、日本酒をめぐる認定レースが激化する可能性がある。(中井芳野)
「最古の酒蔵」PR 〝サケ・ストーリーづくり〟進める
慶長5(1600)年ごろ、山陰地方の戦国武将、山中鹿之助の長男が伊丹で酒づくりを始め、「どぶろく」といわれる濁り酒とは異なる澄み切った清酒「双白澄酒(もろはくすみざけ)」の醸造方法を生み出した-との記述が残る伊丹市。「清酒発祥の地」として、日本酒文化を国内外にPRし、観光誘致につなげようと、日本酒に縁の深い近隣自治体に声をかけた。応じたのは、
▽国内清酒生産量の4割近くを占める灘五郷がある神戸と西宮
▽鏡開きに使われる菰樽(こもだる)の生産量全国一の尼崎
▽酒造会社「櫻正宗」創業家の別宅などが残る芦屋
の4市。伊丹市は今後、各市や酒造組合と協議し、認定に不可欠な文化や伝統を語る具体的なストーリーづくりを進める考えだ。
来年2月に予定する申請では、清酒発祥の由来を記した石碑や現存する国内最古の酒蔵「旧岡田家住宅」などを構成文化財とし、「伊丹の清酒が灘五郷の酒づくりに影響を与え、世界でも高い評価を受ける現在の日本酒文化誕生につながった」というストーリーを構想。伊丹市の藤原保幸市長は「阪神間を『ザ・マスト・プレイス・オブ・サケ(日本酒に欠かせない場所)』と国内外に伝えたい」とする。
ライバルは…東広島市が先手 愛知県、奈良市も
一方、日本酒分野では東広島市が昨年、「吟醸酒のふるさと」として日本遺産に申請済み。5月ごろの認定を期待しており、認定されれば日本酒分野で初となる。また、愛知県は28年に醸造文化として申請したが選外に終わっており、現在はストーリーの練り直しを検討中。新たな切り口で再申請する可能性もある。
「発祥の地」ライバルはほかにもある。伊丹市同様に「清酒発祥の地」を打ち出す奈良市は奈良県酒造組合と共同で「日本酒の日」にあたる毎年10月1日に、「清酒発祥の地 大和のうま酒で乾杯」と銘打ったイベントを開催。約30の蔵元が自慢の銘酒を用意してPR活動を展開している。現時点で日本遺産申請に向けた動きはないが、伊丹市の動きが“呼び水”となり、奈良市を含む各地の酒どころが名乗りを上げる可能性もある。
伊丹市の担当者は「先を越される可能性もあり、気は抜けない」とするが、藤原市長は「出されたら出されたでおもしろい。それぞれが議論することで日本酒全体のPRにつながる」としている。
◇日本遺産 地域の活性化を図る目的で平成27年に創設された。各自治体から申請を受け、文化庁が文化財の魅力や地域の歴史を盛り込んだストーリーごとに認定する。現在までに和歌山県の「鯨とともに生きる」や京都府の「300年を紡ぐ絹が織り成す丹後ちりめん回廊」など54件が認定されており、2020年東京五輪までに200件に拡大する予定。
これがなぜ仰天記事かといえば、たとえば《慶長5(1600)年ごろ》《現存する国内最古の酒蔵「旧岡田家住宅」》という記述。奈良市の正暦寺(しょうりゃくじ)では室町時代から清酒を醸造しているし、春日大社の酒殿(重要文化財)は日本最古の酒蔵だからだ。春日大社酒殿の創建は貞観元年(859)、のち江戸時代の寛永9年(1632)の式年造替により、今の建物に建て替えられた。
伊丹市の旧岡田家住宅・酒蔵は《店舗・釜屋・酒蔵からなり、店舗は江戸時代の延宝2年(1674年)に建てられた兵庫県内最古の町家で、年代が確実な17世紀の町家としては全国的にも貴重。酒蔵は、年代が判明し現存するものでは日本最古で、江戸時代に隆盛を極めた伊丹の酒造業の歴史を今に伝える重要な文化財です》(伊丹市のHP)と、春日大社酒殿より40年以上も新しいのだ。旧岡田家住宅の酒蔵は「年代が判明する町家の酒蔵として最古」というだけである。なお参考までに『奈良まほろばソムリエ検定公式テキストブック』(山と渓谷社刊)「特産品」の章からの抜粋を紹介しておく。
清酒
酒の歴史は古く、平城京から出土した木簡にも造酒のことが書かれている。長い間濁り酒だったが、室町時代に清酒が造られ、この上が無いと「無上酒」とまで呼ばれた。この清酒を造ったのが正暦寺。日本の清酒の起源はここから始まる。「菩提酛(ぼだいもと)」と呼ばれる酒母は奈良盆地の米、菩提山川の清らかで豊かな水によって生まれた。
戦国時代はかなりの量が造られ、武将たちは競って求めたという。武田勝頼を滅ぼした徳川家康を信長は「南都諸白」でもてなし、秀吉が吉野山で花見の宴を張った時も「南都諸白」。奈良正暦寺の僧房酒は天下一の酒として知られていった。近年、昔ながらの酒母造りが正暦寺で復活、「菩提もと」を使った地酒が造られている。
発祥地は伊丹市か奈良市か、という議論は以前からあった(2012年の日経新聞の記事は、こちら)。これが論争に発展しそうなとき「手を携えて毎年場所を変えて清酒発祥の地フェスタをやりましょう」ということに落ち着いた。そこに出雲市が「日本酒発祥の地」として加わり(ヤマタノオロチ神話のところに八塩折之酒[やしおりのさけ]が登場する)、今では「清酒・日本酒発祥の地フェスタ」が毎年開催されている。昨年(2017年)は奈良市で、一昨年は伊丹市で開催された。奈良市のHP(昨年の告知文)には、
室町時代、奈良市の正暦寺で造られたお酒が日本最初の清酒と主張する奈良市と、同じく「清酒発祥の地」を主張する兵庫県伊丹市、「日本酒発祥の地」を主張する島根県出雲市が、対立せず連携して地酒のPRをすることを目的に、「日本酒にまつわる講演会」と「奈良市・伊丹市・出雲市の地酒の試飲会」を開催します!
論争が収まったと思えば、今度は伊丹市が抜け駆け。奈良市は手をこまねいている場合ではない。堂々と本家本元「清酒発祥地」で、日本遺産認定をめざそうではありませんか!
日本酒初の「日本遺産」はどこに?認定レースに兵庫・伊丹市参戦
「清酒発祥」誇りかけ阪神間5市が準備会
「清酒発祥の地」を掲げる兵庫県伊丹市が、神戸や西宮など近隣の阪神間4市を巻き込み、日本遺産認定を目指す準備会を発足させた。地域には日本一の酒どころ「灘五郷」があり、来年の認定を目指している。日本酒分野で日本遺産に認定されれば全国初だが、日本酒では広島県東広島市が申請済み。「清酒発祥の地」は奈良市も標榜(ひょうぼう)しており、日本酒をめぐる認定レースが激化する可能性がある。(中井芳野)
「最古の酒蔵」PR 〝サケ・ストーリーづくり〟進める
慶長5(1600)年ごろ、山陰地方の戦国武将、山中鹿之助の長男が伊丹で酒づくりを始め、「どぶろく」といわれる濁り酒とは異なる澄み切った清酒「双白澄酒(もろはくすみざけ)」の醸造方法を生み出した-との記述が残る伊丹市。「清酒発祥の地」として、日本酒文化を国内外にPRし、観光誘致につなげようと、日本酒に縁の深い近隣自治体に声をかけた。応じたのは、
▽国内清酒生産量の4割近くを占める灘五郷がある神戸と西宮
▽鏡開きに使われる菰樽(こもだる)の生産量全国一の尼崎
▽酒造会社「櫻正宗」創業家の別宅などが残る芦屋
の4市。伊丹市は今後、各市や酒造組合と協議し、認定に不可欠な文化や伝統を語る具体的なストーリーづくりを進める考えだ。
来年2月に予定する申請では、清酒発祥の由来を記した石碑や現存する国内最古の酒蔵「旧岡田家住宅」などを構成文化財とし、「伊丹の清酒が灘五郷の酒づくりに影響を与え、世界でも高い評価を受ける現在の日本酒文化誕生につながった」というストーリーを構想。伊丹市の藤原保幸市長は「阪神間を『ザ・マスト・プレイス・オブ・サケ(日本酒に欠かせない場所)』と国内外に伝えたい」とする。
ライバルは…東広島市が先手 愛知県、奈良市も
一方、日本酒分野では東広島市が昨年、「吟醸酒のふるさと」として日本遺産に申請済み。5月ごろの認定を期待しており、認定されれば日本酒分野で初となる。また、愛知県は28年に醸造文化として申請したが選外に終わっており、現在はストーリーの練り直しを検討中。新たな切り口で再申請する可能性もある。
「発祥の地」ライバルはほかにもある。伊丹市同様に「清酒発祥の地」を打ち出す奈良市は奈良県酒造組合と共同で「日本酒の日」にあたる毎年10月1日に、「清酒発祥の地 大和のうま酒で乾杯」と銘打ったイベントを開催。約30の蔵元が自慢の銘酒を用意してPR活動を展開している。現時点で日本遺産申請に向けた動きはないが、伊丹市の動きが“呼び水”となり、奈良市を含む各地の酒どころが名乗りを上げる可能性もある。
伊丹市の担当者は「先を越される可能性もあり、気は抜けない」とするが、藤原市長は「出されたら出されたでおもしろい。それぞれが議論することで日本酒全体のPRにつながる」としている。
◇日本遺産 地域の活性化を図る目的で平成27年に創設された。各自治体から申請を受け、文化庁が文化財の魅力や地域の歴史を盛り込んだストーリーごとに認定する。現在までに和歌山県の「鯨とともに生きる」や京都府の「300年を紡ぐ絹が織り成す丹後ちりめん回廊」など54件が認定されており、2020年東京五輪までに200件に拡大する予定。
これがなぜ仰天記事かといえば、たとえば《慶長5(1600)年ごろ》《現存する国内最古の酒蔵「旧岡田家住宅」》という記述。奈良市の正暦寺(しょうりゃくじ)では室町時代から清酒を醸造しているし、春日大社の酒殿(重要文化財)は日本最古の酒蔵だからだ。春日大社酒殿の創建は貞観元年(859)、のち江戸時代の寛永9年(1632)の式年造替により、今の建物に建て替えられた。
伊丹市の旧岡田家住宅・酒蔵は《店舗・釜屋・酒蔵からなり、店舗は江戸時代の延宝2年(1674年)に建てられた兵庫県内最古の町家で、年代が確実な17世紀の町家としては全国的にも貴重。酒蔵は、年代が判明し現存するものでは日本最古で、江戸時代に隆盛を極めた伊丹の酒造業の歴史を今に伝える重要な文化財です》(伊丹市のHP)と、春日大社酒殿より40年以上も新しいのだ。旧岡田家住宅の酒蔵は「年代が判明する町家の酒蔵として最古」というだけである。なお参考までに『奈良まほろばソムリエ検定公式テキストブック』(山と渓谷社刊)「特産品」の章からの抜粋を紹介しておく。
清酒
酒の歴史は古く、平城京から出土した木簡にも造酒のことが書かれている。長い間濁り酒だったが、室町時代に清酒が造られ、この上が無いと「無上酒」とまで呼ばれた。この清酒を造ったのが正暦寺。日本の清酒の起源はここから始まる。「菩提酛(ぼだいもと)」と呼ばれる酒母は奈良盆地の米、菩提山川の清らかで豊かな水によって生まれた。
戦国時代はかなりの量が造られ、武将たちは競って求めたという。武田勝頼を滅ぼした徳川家康を信長は「南都諸白」でもてなし、秀吉が吉野山で花見の宴を張った時も「南都諸白」。奈良正暦寺の僧房酒は天下一の酒として知られていった。近年、昔ながらの酒母造りが正暦寺で復活、「菩提もと」を使った地酒が造られている。
発祥地は伊丹市か奈良市か、という議論は以前からあった(2012年の日経新聞の記事は、こちら)。これが論争に発展しそうなとき「手を携えて毎年場所を変えて清酒発祥の地フェスタをやりましょう」ということに落ち着いた。そこに出雲市が「日本酒発祥の地」として加わり(ヤマタノオロチ神話のところに八塩折之酒[やしおりのさけ]が登場する)、今では「清酒・日本酒発祥の地フェスタ」が毎年開催されている。昨年(2017年)は奈良市で、一昨年は伊丹市で開催された。奈良市のHP(昨年の告知文)には、
室町時代、奈良市の正暦寺で造られたお酒が日本最初の清酒と主張する奈良市と、同じく「清酒発祥の地」を主張する兵庫県伊丹市、「日本酒発祥の地」を主張する島根県出雲市が、対立せず連携して地酒のPRをすることを目的に、「日本酒にまつわる講演会」と「奈良市・伊丹市・出雲市の地酒の試飲会」を開催します!
論争が収まったと思えば、今度は伊丹市が抜け駆け。奈良市は手をこまねいている場合ではない。堂々と本家本元「清酒発祥地」で、日本遺産認定をめざそうではありませんか!
