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田中利典師の講演「生と死…修験道に学ぶ」より(7)僕らはみんな、つながっている

2023年01月10日 | 田中利典師曰く
金峯山寺長臈(ちょうろう)田中利典師は、ご自身のFacebookに、ご講演「生と死…修験道に学ぶ」(第42回日本自殺予防学会総会 2018.9.22)の内容を10回に分けて連載された(2022.11.7~20)。心に響くとてもいいお話なので、私はこれを追っかけて当ブログで紹介している。
※トップ写真は、大和郡山市の椿寿庵で撮影(2008.3.15)

今回のタイトルは「人間の本質は繋がりにある」。利典師が修行中に、啓示を受けたという話だ。「疲労困憊しながら一生懸命お勤めをしている中で、ふと、自我が消滅して、自分は、降ってる雨とも、雨を受けている草とも大地とも空とも、全部繋がっているということを体中が感じたのです」。

私もかつて、1人でぽつんとバス停でバスを待っているとき、いきなり土砂降りになり、トタン屋根の雨音に耳を澄ましながらアスファルトにたたきつけられる雨を見ていて、そんな感覚にとらわれたことがある…。では、師のFacebook(2022.11.14付)から抜粋する。

シリーズ「生と死…修験道に学ぶ」⑦「人間の本質は繋がりにある」
次に3番目です。それは「人間の本質は繋がりにある」ということ。山の修行で学んだこと感じたことはたくさんありますが、その一つに、私が吉野から熊野に至る大峯奥駈修行の11回目を迎えたときのことです。そこで強烈な体験をしました。

その日は朝からすごい雨が降っていました。もう体中ぐしょぐしょです。行中は1日に20箇所ぐらい「靡」(なびき)といわれる場所で勤行するのですが、そのときは、七曜ヶ岳の遥拝所というところで勤行をしていました。

ずっと雨が落ちていました。わずかな時間、勤行する間に、ふと、そこで勤行をしている自分と、降っている雨と、雨を受けている草や樹や大地や岩と、雨を降らしている空や雲や、あらゆるものが、まさに自分と繋がっている、ということを実感したのです。これはもう突然でした。

たぶんその日はすでに8時間ぐらい歩いていて、くたくたでした。行に入って3日目だと思いますが、疲労困憊しながら一生懸命お勤めをしている中で、ふと、自我が消滅して、自分は、降ってる雨とも、雨を受けている草とも大地とも空とも、全部繋がっているということを体中が感じたのです。そしてすべてが繋がっていることを感じたその時に、私の死に対する考えが変わったのでした。

冒頭に紹介したように、私は、死を考えたとき、常に地球を外側から見ている自分がいて、全てから疎外されて、自分だけ死んでそれでも地球はいままで通りに運行をしている、そう思うとすごい阻害感というか、恐怖感にさいなまれ、それが私にとって死への恐怖を生む原因だったのですけれど、繋がっているということが実感できた時に、私の死に対する恐怖は極めて小さくなって行ったのです。この繋がっているということを、山の修行がすんなりと心に教えてくれたのです。

大自然の中で修行していると全部のものに繋がっている、自分が、私が、という我執のようなものが消えてしまって「懺悔懺悔六根清浄」を繰り返す中で、全てのものと繋がっている自分を諒解することが出来たのです。

これは単に人と人との繋がりだけではなくて、家族とか友人とか地域社会とか国家とか、なおそういうものだけでもなく、先祖との繋がり、人間が持ってきた歴史との繋がり、過去の繋がり、そして未来への繋がり。風土との繋がり、自然、宇宙、森羅万象、それら全部と繋がっているということを山の修行の中で学んだわけであります。

それは「人間の本質は繋がりにある」いう言葉で言い表されると思います。たとえば、人間とはなんぞやと考えた時に人間の本質は実はなかなか見つけることができない。人間の本質っていうのはこれだ、というものはないのかもしれない。いや、人間の本質は繋がり合う中にこそある、ということです。

「夫婦」という本質そのものというのは実はなくて、ここに奥さんがいて旦那さんがいるから、夫婦というものがあるのです。親子も、ここに自分がいて子供がいるから親子というものが出来上がる。つまりこの繋がりの方にこそ本質があるのではないか。

心というものの本質もなかなか難しい。でも心という本質は難しいけれども、悲しい時には悲しくなる、辛い時には辛くなる、楽しい時には楽しくなる、繋がりの中に現れてくるものに本質があるのではないか。そういう繋がりの中に本質があるということを、山の修行で私は気づかせて頂きました。

つまり孤独な生の克服というのは繋がりの中に自分があるという事を自覚するところに生まれる、と思うのです。自分というものを極めようとして、自分を中心に物を考えると、どんどん孤立する、孤独になっていく可能性が人間の心の中にはありますが、繋がりの中に本質があるということを思うと、今、自分が生きていること、生かされてきたこと、これから生きること、それらが全部繋がっている。社会とも歴史とも先祖とも宇宙とも全部繋がっている、そういうことを、極めるのが実は大事なのではないでしょうか。

これは大きなキーワードになると思います。唯一絶対の神との繋がりというような欧米的なものとは違う、多神教を基層とする日本的な独特の世界観と言っていいのかもしれません。

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好評いただいている?私の著作振り返りシリーズの第4弾は、平成30年に開催された第42回日本自殺予防学会での特別講演「生と死…修験道に学ぶ」を、10回に短く分けて紹介させていただきます。もう4年前の講演ですが、なかなか頑張ってお話ししています。ご感想をお待ちしております。
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