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田中利典師の『霊山へ行こう』(13)女人禁制のままで、大峯信仰は存続できるのか?

2023年03月09日 | 田中利典師曰く
金峯山寺長臈(ちょうろう)田中利典師は以前、『霊山へ行こう』という対談本を準備されながら、上梓されなかった。利典師はその原稿(自らの発言)に大幅に加筆され、Facebookに17回にわたり連載された(2023.1.21~2.10)。心に響く良いお話ばかりなので、当ブログでも紹介させていただいている。
※トップ写真は大和郡山市・椿寿庵のツバキ(2010.2.6 撮影)

第13回のタイトルは「大峯山の女人禁制」。昨日(3/8)は「国際女性デー」だったので新聞各紙は特集を組んでいたが、「大峯山の女人禁制」に言及したものは見当たらなかった。

これについて利典師は〈大峯の信仰を考えた時に、女性を受け入れなくて存続できるのかどうか。これを考えることが大事なんです。女人禁制だけ残って、行く人がなくなったら意味ないわけでしょう。禁制のままで信仰が続いていくならそれがいちばんいいのかもしれませんけど。それができるのかどうか。難しい現状ですよね〉と危惧される。では、師のFacebook(2/5付)から全文を抜粋する。

シリーズ「山人vs楽女/大峯山の女人禁制」⑬
著作振り返りシリーズの第6弾は、実は校了まで行きながら、諸般の事情で上梓されなかった対談書籍の下書きの、私の発言部分を大幅に加筆してみました。もう20年近く前のことですので、時効でしょうけど、内容はなかなか面白い。みなさまのご感想をお待ちしております。

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「大峯山の女人禁制論」
あかんもんはあかん、って話をしましたが、ちょっと違う話をします。大峯山の女人禁制は、昔から、あかんもんはあかんというふうにやってきましたが、それは違うのではないかなと、私は思っているんです。今までのように、ほんとにあかんもんはあかんで未来永劫いいのでしょうか。

たとえば役行者の伝説の中で、お母さんさえ女人禁制のために登れなかったという伝説があります。だけど役行者には常に前鬼後鬼という侍者が従っているんです。この前鬼後鬼って夫婦なんですよ。つまり後鬼は女性なんです。だから、いつも前鬼後鬼を従えて修行をしていたという役行者は、ほんとに大峯山では女性はダメだと言ったのかどうかはわからない。まあ、鬼ですから、人間とは違うっていえば違うのですけどね。

ただ、『義楚六帖(ぎそろくじょう)』という10世紀に書かれた中国の史書にはすでに大峯は三ヶ月の精進潔斎の後に登る山で、かつて女人が登ったことがないという記述が出ているわけですから、千年単位で女性は登れなかった山であることは間違いありません。

で、大事なことは、「大峯山は女人禁制が信仰ではない」ということです。お山自体がもともと聖地であって、女人禁制だから聖地だということではない。実際には女人禁制であることで聖地性が高められているのは認めますけどね。

四国の石鎚山だって昔は女人禁制だったでしょ。でも登れるようになっても、それでもあそこが聖地であることに代わりはないわけです。大峯山も禁制を解いたら聖地でなくなるわけでない、とするなら、考える余地はあるだろう、と。ただし、ジェンダーフリーとか差別の問題であの山が登れないわけではないのだということははっきりとさせておかないといけないと思っています。

本当に信仰で考えた時に、いままでとは違って、女の人がいろんなものに直接かかわっている時代ー女性のマラソンランナーやプロレスラーやプロサッカー選手など、今まで男性だけのものと言われていた世界に女性がどんどん参加しているそういう時代になった現代で、これは考えねばならないでしょう。

「いや、女の人が登れない非日常性に大峯の聖地性が保たれている」というなら、『義楚六帖』に記述された時代は三ヶ月精進潔斎しなければ登れなかったというのだから、今のように男なら誰だって登れるということの方も考えないといけないことになる。精進潔斎という厳格な戒律だけをなくして、女人禁制の方はなくしたらあかんというものは、論理的に通らないと私は常々考えています。

だけど、論理を越えたところで考えるというのも、ここまで続いてきた大きな意味があるのだろうし、そう簡単には乗り越えられるものでもない、っていうのも理解しています。

ただね、一番の問題は、大峯の信仰にかかわった人達がこれから信仰上でどうしていくのか、このままでいいのか、戒律をもとのように厳しくして守っていくのか、そういった信仰上の問題を第一に、山の神仏に問うて答えを導き出すべきものかと思っています。

私の気持ちも複雑です。いまの社会は、なんでもかんでも男女同権だっていうことになって、逆に男しかいない場所って、もうあまりないんですよ。女だけしかいない世界はたくさんあるのにね。たとえば女子大はあっても男子大はないわけでしょ。この前、電車の女性専用車両に間違って入って、あわてて降りたことがありましたが、あの時は女人禁制は守らなきゃいかんと思いました。(笑)

私は世間的には禁制の開放論者のようにいわれたこともありましたが、ほんとはそうではないんですよ。ただ大峯の信仰を考えた時に、女性を受け入れなくて存続できるのかどうか。これを考えることが大事なんです。女人禁制だけ残って、行く人がなくなったら意味ないわけでしょう。禁制のままで信仰が続いていくならそれがいちばんいいのかもしれませんけど。それができるのかどうか。難しい現状ですよね。

といって、誰も登らなくなって、経済的に成り立たなくなって、それであけるっていうことになるなら、今まで守ってきた先人に申し訳ないです。ですから、そういう自体になっても残せるっていうような手だてを考えた上で、断固禁制堅持を言うのならいい。

でも、いままでの単に守ろうという人達は、あかんもんはあかんという昔からの理屈で言うてしまうから、それでは間違いなく時代に取り残されてしまう。何度も言いますが、一番大事なことは信仰として継続していくことが前提ですからね。私は大いに危惧しているのです。

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この記事はもう20年ほど前にお話ししたものなのですが、いよいよ大峯山の信仰は危機的状況を深めています。私はすでに直接の当事者ではないのですが、未来は決して明るくはないですね。
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