みうらじゅん曰く「京都はBeautiful、奈良はStrange」。京都は、Beautifulな「和食の都」である。しかしそんな京都の「食」にも、構造的な変化が起きているという。それを食文化の観点から論じたのが『京都の食文化 歴史と風土がはぐくんだ「美味しい街」』(中公新書)だ。本書から抜粋する格好で、その「構造変化」を探ってみたい。奈良新聞「明風清音」(2023.3.16付)から。
※写真は全て「西陣 魚新」の料理(2010.11.28撮影)
「京都の食文化」を探る
佐藤洋一郎著『京都の食文化 歴史と風土がはぐくんだ「美味しい街」』(中公新書、税込み968円)を興味深く読み終えた。著者は、京都府立大学文学部和食文化学科特別専任教授だ。生まれも育ちも京都の外で、京都人ではない。フィールドワークの対象として、京都を見てこられたという。
帯には〈三方を山に囲まれ、水に恵まれた京都。米や酒は上質で、野菜や川魚も豊かだ。それだけではない。長年、都だった京都には、瀬戸内のハモ、日本海のニシンをはじめ、各地から食材が運び込まれ、ちりめん山椒やにしんそば等、奇跡の組み合わせが誕生した。近代以降も、個性あふれるコーヒー文化、ラーメンやパン、イタリアンなど、新たな食文化が生まれている。風土にはぐくまれ、人々が創り守ってきた食文化を探訪する〉。以下、私の印象に残ったところを紹介する。
▼京都の食文化の特徴
〈ひとつは、良質な水が地下水としてふんだんに利用できたこと。二つ目は街が盆地に立地し、山、川の食材が入手しやすかったこと。そして三つ目はその盆地が適当なサイズで周囲から隔離され、そこに暮らし、なりわいを営む人同士の関係が世代を越えて続いてきたこと〉(本書から抜粋、以下同じ)。
▼食材の宝庫ではなかった
〈京都には古くから多くの食材が集められた。食材を集めるための街道が一〇〇〇年以上も前から整備され、全国の津々浦々の産物が集められた。そう、京都は都であり、あらゆるものが集められたのである。京都産の食材などほとんどなかったといって過言ではない〉。
▼京料理の「五体系」
大饗(たいきょう)料理、本膳料理、精進料理、懐石料理、有職(ゆうそく)料理(またはおばんざい)の五つが「京都固有の料理」だとされる。ただしこれらは京の都の料理であり、「ハレの食」である。
▼客が決める料理店の水準
〈ある街の食の実力を決めているのは、その街の消費者である。京の場合は訪問客が加わるが、それも含めて消費者の実力である。常連たちが疎遠になれば、店の力は確実に落ちてゆく。回り回って食材の質もしだいに下がってゆく。力をつけるには長い時間と努力が必要だが、転落するのはすぐである〉。
▼空洞化する京都の食
現在「食の地域性」がどんどん失われ、「旬の感覚」も薄れてきている。その一方で「食べ物の工業化」が進んでいる。
〈こうした、おそらく全世界で進みつつある動きは、京都の食だけを例外にはしておかない。ただし、京都の場合、他の街とは大きく違う点がひとつある。それは、京都が「和食の街」としての看板を背負っているところだ。(中略)店の主人たちが口をそろえていうのが、伝統を継承することの難しさだ。先出の村田吉弘さん(菊乃井主人)も、このことを繰り返し強く主張している。精神論をいっているのではない。食材や食器、調理器具、室内のしつらえの生産者たちが、後継者不足や業績不振を理由に次々と廃業してゆく〉。
締めにはスッポン鍋がでてきた、さすがは京都である
▼伝統の和食材が売れない
それにも増して深刻なのが「京都人の和食離れ」だという。〈かつては「京都の台所」といわれた錦市場でも伝統の和食材はどんどん売れなくなってきている。足もとの市民たちが和食への関心を薄めていく状況で、果たして和食に未来があるといえるだろうか〉。
「京都はビューティフル、奈良はストレインジ」とはみうらじゅんの名言だが、きらびやかなイメージの「和食の都」にも、このような構造変化が起きているのだ。和食について奈良は、京都の「胸を借りる」立場にある。京都が直面する課題は将来の奈良の課題として、今からよく考えておかねば…。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)
※写真は全て「西陣 魚新」の料理(2010.11.28撮影)
「京都の食文化」を探る
佐藤洋一郎著『京都の食文化 歴史と風土がはぐくんだ「美味しい街」』(中公新書、税込み968円)を興味深く読み終えた。著者は、京都府立大学文学部和食文化学科特別専任教授だ。生まれも育ちも京都の外で、京都人ではない。フィールドワークの対象として、京都を見てこられたという。
帯には〈三方を山に囲まれ、水に恵まれた京都。米や酒は上質で、野菜や川魚も豊かだ。それだけではない。長年、都だった京都には、瀬戸内のハモ、日本海のニシンをはじめ、各地から食材が運び込まれ、ちりめん山椒やにしんそば等、奇跡の組み合わせが誕生した。近代以降も、個性あふれるコーヒー文化、ラーメンやパン、イタリアンなど、新たな食文化が生まれている。風土にはぐくまれ、人々が創り守ってきた食文化を探訪する〉。以下、私の印象に残ったところを紹介する。
▼京都の食文化の特徴
〈ひとつは、良質な水が地下水としてふんだんに利用できたこと。二つ目は街が盆地に立地し、山、川の食材が入手しやすかったこと。そして三つ目はその盆地が適当なサイズで周囲から隔離され、そこに暮らし、なりわいを営む人同士の関係が世代を越えて続いてきたこと〉(本書から抜粋、以下同じ)。
▼食材の宝庫ではなかった
〈京都には古くから多くの食材が集められた。食材を集めるための街道が一〇〇〇年以上も前から整備され、全国の津々浦々の産物が集められた。そう、京都は都であり、あらゆるものが集められたのである。京都産の食材などほとんどなかったといって過言ではない〉。
▼京料理の「五体系」
大饗(たいきょう)料理、本膳料理、精進料理、懐石料理、有職(ゆうそく)料理(またはおばんざい)の五つが「京都固有の料理」だとされる。ただしこれらは京の都の料理であり、「ハレの食」である。
▼客が決める料理店の水準
〈ある街の食の実力を決めているのは、その街の消費者である。京の場合は訪問客が加わるが、それも含めて消費者の実力である。常連たちが疎遠になれば、店の力は確実に落ちてゆく。回り回って食材の質もしだいに下がってゆく。力をつけるには長い時間と努力が必要だが、転落するのはすぐである〉。
▼空洞化する京都の食
現在「食の地域性」がどんどん失われ、「旬の感覚」も薄れてきている。その一方で「食べ物の工業化」が進んでいる。
〈こうした、おそらく全世界で進みつつある動きは、京都の食だけを例外にはしておかない。ただし、京都の場合、他の街とは大きく違う点がひとつある。それは、京都が「和食の街」としての看板を背負っているところだ。(中略)店の主人たちが口をそろえていうのが、伝統を継承することの難しさだ。先出の村田吉弘さん(菊乃井主人)も、このことを繰り返し強く主張している。精神論をいっているのではない。食材や食器、調理器具、室内のしつらえの生産者たちが、後継者不足や業績不振を理由に次々と廃業してゆく〉。
締めにはスッポン鍋がでてきた、さすがは京都である
▼伝統の和食材が売れない
それにも増して深刻なのが「京都人の和食離れ」だという。〈かつては「京都の台所」といわれた錦市場でも伝統の和食材はどんどん売れなくなってきている。足もとの市民たちが和食への関心を薄めていく状況で、果たして和食に未来があるといえるだろうか〉。
「京都はビューティフル、奈良はストレインジ」とはみうらじゅんの名言だが、きらびやかなイメージの「和食の都」にも、このような構造変化が起きているのだ。和食について奈良は、京都の「胸を借りる」立場にある。京都が直面する課題は将来の奈良の課題として、今からよく考えておかねば…。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)