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社殿の再建にご支援を!勝手神社(吉野町吉野山)/毎日新聞「やまとの神さま」第37回

2023年03月15日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2023.3.9)掲載されたのは〈吉野山入り口 社殿復興願う/勝手神社(吉野町)〉、執筆されたのは生駒市在住で、同会副理事長の小野哲朗さんだった。
※トップ写真は、記事で使用された写真(社殿が消失する前の貴重な写真)
奈良県立図書情報館の「奈良の今昔写真WEB」から、お借りしたもの

消失した勝手神社の窓口が吉水神社であることや、吉水神社を事務局として「勝手神社再建委員会」があり、そこで寄付を募っているということは、この記事で初めて知った。再建委員会のHPによると、寄付金は郵便振替で送金することになっているが、郵貯口座を持っていないと手数料がとても高い。聞くところによると、吉水神社でも受け付けているようなので、4月に花見に行った時に、現金を預けてくるつもりである。皆さんにも、ご協力をお願いしたい。では、記事全文を紹介する。

勝手神社(吉野町)
役行者が開山して以来1300年以上、幾多の歴史の残影や悲話が残る吉野山。その町並みの中、蔵王堂から南へ。上千本と如意輪寺に向かう道が二手に分かれる手前に、勝手神社があります。「勝手」とは吉野山の入り口という意味で、また勝負事や戦いの神としても信仰されてきました。

吉野に隠れ住んだ大海人皇子(後の天武天皇)がこの神前で琴を奏でたところ、五色の雲の中から天女が現れ、袖を五度ひるがえして舞い、それが吉祥のしるしと伝えられています。この舞が宮中の「五節(ごせち)の舞」の起源とされ、大嘗祭(だいじょうさい)や新嘗祭(にいなめさい)でも舞われます。

また鎌倉時代初期、源義経と別れた静御前が、吉野衆徒(しゅと)に捕らえられてこの神前で舞ったという伝承があり、境内には「静御前の舞塚」が残り、芸事の神として信仰されています。境内のベンチで、休憩や昼食をとるハイカーの姿も見られます。

ところが、三間社流造(ながれづくり)檜皮葺(ひわだぶき)の社殿(江戸時代の再建)が2001(平成13)年9月、不審火により焼失してしまいました。今、ご神体は近くの吉水神社に遷座し、そこでご朱印もいただけます。再建の寄付も募っておられます。袖振山を背景とした本殿の、早期復興・再建が望まれます。(奈良まほろばソムリエの会副理事長 小野哲朗)

(住 所)吉野町吉野山2354
(祭 神)天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、大山祗(おおやまつみの)命、久々能知(くくのちの)命、木花咲耶姫(このはなさくやひめの)命、苔虫(こけむしの)神、草野姫(かやのひめの)命
(交 通)近鉄吉野駅下車、吉野山ロープウェイ「吉野山駅」から徒歩約25分
(拝 観)境内自由。駐車場無
(電 話)0746・32・3024(吉水神社)


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